ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

医院の前進

2012-01-05 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
長男次男、長女に幼子たち。上の子は下の子をよくよく面倒見て、貴方たち兄弟を見ているようで、微笑ましい限りです。子とは気付かぬうちに親の背を見ているものなのですね。
子供たち、それぞれに己の進む道を見つけたようです。そして、その道に灯りと、道しるべをつけたのは、夫の死なのかも知れません。
長男は父の仕事、政について、下の子は医療、薬学について、娘は介護について質問するようになりました。特に、下の子については専門的知識と教養が必要かと思い、来春にでも泉学舎(せんのまなびや※寺子屋の前進、私塾)に入れたいと考えておりますので、よろしく厳しく御指導下さいませ。
逞しい子たちです。私は、と言えば、女医とは名ばかりで夫の病の前では無力なものでした。
夫の、病と命と向き合い、私の医者としての役目は何だろうと塞ぐ事が多くなりました。
夫から託された7つの命は大きい。しかし、その命のバトンを無駄にしないためにも、これからの時間、自分の思い描いた夢のために使いたいと思います。
先日、三条通りに典薬寮(律令制の医療・調薬施設)の建設申請を朝廷に申し立てました。
薬と治療費はまだまだ高く、民間の手には届かない。それに、もう一度、病と向き合いたい、救える命があるなら、私の手に届く所から救いたい、救えるはずの命がもっとあるはずです。
その思いを遂げるためには、国を挙げて医療支援を行わねば成りません。
それには医学を志す、良き人材が必要です。
本題に入りますが、泉学舎には支援者(スポンサー)になって頂きたい、忌部様には寝具その他寝巻きなど支援を賜りたいと思っております。申請が通り次第、民間医療施設、医院(後の、民間総合病院)を開業させます。
私の、新たな夢と、決意と、未来の医療と命のために、ご協力を賜りたいと存じます。
追伸、
夫が最期、私を妻として良かったと言ってくれました。結婚させてくれた貴方たちのお陰です。ありがとう。最期に必要としてくれたのは女医ではなく、妻だった。そう思える瞬間が私にはある、それが何よりの救いです。これからは、そういう身近な幸せをこの手で救えるよう、尽力したいと思います。
花山院 藤原 冷香
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三条様は、その後、藤ノ木医院を創設され、多くの人々を病から救った。彼女らの、7人の実子養子ともに医院を手伝い、分院を作る等して、医療を広めていった。


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