●11月18日(金)
<92歳の親父と過ごす>
朝8時前、嵯峨にあるマンションに両親を訪ねる。84歳になるお袋は白内障の手術をするということでカミさんと病院に。ぼくは市会運営委員会があったが欠席して、92歳になる親父と終日過ごす。
午前中はウツラウツラと居眠りしている親父の横でぼくも同様に居眠り。
昼は近くのファミレスで食事。親父と二人で飯を食うのは、昨年、お袋の入院の時以来か。子どもの時はともかく、飲みに行ったりした記憶はほとんどない。入れ歯はないのでよく食べる。元気なのだ。
その後、紅葉が始まった高雄から京北町へドライブ。昔、来たことがあるなあ、とふと思い出しているかな。西山ドライブウェーの菖蒲谷池では鴨に餌をやりながら、楽しそうに笑う。帰途、行楽客で賑わう嵯峨野の叔母の家を久しぶりに訪問。従姉が在宅していて、スペイン土産のお菓子でお茶。あれ誰やったかな?という。
5時前、マンションに無事に帰宅。二人でテレビ見ながら「ほか弁」で晩飯。8時過ぎに弟がきて交代。老々介護というには早すぎるが、ちょっと疲れました。
事務所では、明日の民主党2区総支部の常任幹事会にかけるべき、大会議案書の今年度の活動報告と活動方針案を泥縄で書く。
●11月17日(木)
<市会改革推進委員会で「議事進行!」>
10時から市会改革推進委員会が開催。月一回のペースで20人の委員が集まり議論。
冒頭、議会基本条例の策定についてというところで、某自民党の若手議員が、過日の流山市議会の他都市調査で、二日目の14日の所沢市議会の調査時には、委員の参加者が少ないのが残念、民主の人は誰もいなかった、という趣旨の発言をしたものだから、議事進行をかける。
「事業仕分け」の日程を以前から決めていたことは正副委員長が承知の上で、視察の日程が決まり、参加できないのは、了承済みであったから、議事録削除を求めたのだ。取り扱いについては、正副委員長に任せて発言を終えた。まあひと波乱起こしたということかな。
その後、開かれた市会(市民に身近な市会)ということで議論があり、委員会の直接傍聴の実施については、前向きに検討する方向になったが、実施はまだ無理。本会議での一問一答方式は、合意できず。常任委員会のネット中継は対費用効果もあり結論はでず。また議案説明書資料のホームページへの掲載も無理。議会の新たな情報発信については、仙台市では議会開催のポスターを作製しているが、これは前向きに検討することになったのだったかな。委員会の審査内容の事前告知をホームページにおいて公表することにはなった。
全部の会派が合意に達するのは至難のことだが、まあボチボチですよ。
委員会終了後は、体操着のリサイクル運動に取組んでいる岡部達平君来室。教育委員会の担当者と経過報告や今後の見通しについて協議。来春には試験的に始めることができるかな。
事務所への来客は、豊田府会議員。民主党2区総支部の会計として決算と予算について協議。
夜は、聖護院の「炎の火」で珍しい取り合わせの5人のメンバーで秋の夜長を談論。楽しかったよ。
●11月16日(水)
<鴨沂高校を訪問>
昼前、わが母校の鴨沂高校へ。20日に同窓会総会を開催するので顧問・来賓としてのご参加をお願いがてら校長や事務長さんと懇談。スタインウエイピアノ再生のことや生徒たちの学力向上の取り組みなど四方山話。
午前中は、校門を閉門しているとのこと。ぼくらの時代はエスケープといって授業をサボるのが多くいたが、今も変わらないのかな。ぼくも御所や山岳部のクラブボックスで早弁をよく食べたものだ。猛者は、ジャズ喫茶の「シャンクレール」でタバコをふかしている輩もいたよ。鴨沂食堂で生徒たちに交じって昼飯。制服は今もないよ。
午後は、事務所にてウロウロ。保健福祉局の部長らが11月市会定例会の議案の説明に。障害者自立支援法に関連して条例の改正や児童館の指定管理者の選定についてが保健福祉局の議案。
また若い友人が結婚披露宴をもうすぐするのだが、お祝いのビデオメッセージを作るということで、カメラの前で「乾杯」を唄う。アルコールなしで唄うと声がでないな。
夕方は、保証協会に関連して返済のことで、連帯保証人が亡くなって相続人に通知があって、どう対処したらいいかと駆け込みの相談ごと。色々な相談ごとがありますよ。
夜は、選挙のときに弁当を作ってもらっていた「おかえり」という食堂(飲み屋?)で、友人と一献。なんやかんやで遅くなった。
<92歳の親父と過ごす>
朝8時前、嵯峨にあるマンションに両親を訪ねる。84歳になるお袋は白内障の手術をするということでカミさんと病院に。ぼくは市会運営委員会があったが欠席して、92歳になる親父と終日過ごす。
午前中はウツラウツラと居眠りしている親父の横でぼくも同様に居眠り。
昼は近くのファミレスで食事。親父と二人で飯を食うのは、昨年、お袋の入院の時以来か。子どもの時はともかく、飲みに行ったりした記憶はほとんどない。入れ歯はないのでよく食べる。元気なのだ。
その後、紅葉が始まった高雄から京北町へドライブ。昔、来たことがあるなあ、とふと思い出しているかな。西山ドライブウェーの菖蒲谷池では鴨に餌をやりながら、楽しそうに笑う。帰途、行楽客で賑わう嵯峨野の叔母の家を久しぶりに訪問。従姉が在宅していて、スペイン土産のお菓子でお茶。あれ誰やったかな?という。
5時前、マンションに無事に帰宅。二人でテレビ見ながら「ほか弁」で晩飯。8時過ぎに弟がきて交代。老々介護というには早すぎるが、ちょっと疲れました。
事務所では、明日の民主党2区総支部の常任幹事会にかけるべき、大会議案書の今年度の活動報告と活動方針案を泥縄で書く。
●11月17日(木)
<市会改革推進委員会で「議事進行!」>
10時から市会改革推進委員会が開催。月一回のペースで20人の委員が集まり議論。
冒頭、議会基本条例の策定についてというところで、某自民党の若手議員が、過日の流山市議会の他都市調査で、二日目の14日の所沢市議会の調査時には、委員の参加者が少ないのが残念、民主の人は誰もいなかった、という趣旨の発言をしたものだから、議事進行をかける。
「事業仕分け」の日程を以前から決めていたことは正副委員長が承知の上で、視察の日程が決まり、参加できないのは、了承済みであったから、議事録削除を求めたのだ。取り扱いについては、正副委員長に任せて発言を終えた。まあひと波乱起こしたということかな。
その後、開かれた市会(市民に身近な市会)ということで議論があり、委員会の直接傍聴の実施については、前向きに検討する方向になったが、実施はまだ無理。本会議での一問一答方式は、合意できず。常任委員会のネット中継は対費用効果もあり結論はでず。また議案説明書資料のホームページへの掲載も無理。議会の新たな情報発信については、仙台市では議会開催のポスターを作製しているが、これは前向きに検討することになったのだったかな。委員会の審査内容の事前告知をホームページにおいて公表することにはなった。
全部の会派が合意に達するのは至難のことだが、まあボチボチですよ。
委員会終了後は、体操着のリサイクル運動に取組んでいる岡部達平君来室。教育委員会の担当者と経過報告や今後の見通しについて協議。来春には試験的に始めることができるかな。
事務所への来客は、豊田府会議員。民主党2区総支部の会計として決算と予算について協議。
夜は、聖護院の「炎の火」で珍しい取り合わせの5人のメンバーで秋の夜長を談論。楽しかったよ。
●11月16日(水)
<鴨沂高校を訪問>
昼前、わが母校の鴨沂高校へ。20日に同窓会総会を開催するので顧問・来賓としてのご参加をお願いがてら校長や事務長さんと懇談。スタインウエイピアノ再生のことや生徒たちの学力向上の取り組みなど四方山話。
午前中は、校門を閉門しているとのこと。ぼくらの時代はエスケープといって授業をサボるのが多くいたが、今も変わらないのかな。ぼくも御所や山岳部のクラブボックスで早弁をよく食べたものだ。猛者は、ジャズ喫茶の「シャンクレール」でタバコをふかしている輩もいたよ。鴨沂食堂で生徒たちに交じって昼飯。制服は今もないよ。
午後は、事務所にてウロウロ。保健福祉局の部長らが11月市会定例会の議案の説明に。障害者自立支援法に関連して条例の改正や児童館の指定管理者の選定についてが保健福祉局の議案。
また若い友人が結婚披露宴をもうすぐするのだが、お祝いのビデオメッセージを作るということで、カメラの前で「乾杯」を唄う。アルコールなしで唄うと声がでないな。
夕方は、保証協会に関連して返済のことで、連帯保証人が亡くなって相続人に通知があって、どう対処したらいいかと駆け込みの相談ごと。色々な相談ごとがありますよ。
夜は、選挙のときに弁当を作ってもらっていた「おかえり」という食堂(飲み屋?)で、友人と一献。なんやかんやで遅くなった。