元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

梅雨空の週末 大文字山登山と七夕コンサート  7月5日・6日

2014年07月08日 | 日記
●7月6日(日)

    <久しぶりの大文字登山>

 朝9時に銀閣寺前に。たくま針灸院の吉澤拓馬君が呼びかけた「大文字に登ろう会 熱い夏篇」に同行。彼のお母さんのよしみさんは、ぼくが最初の選挙に出た時に女子大生で応援してくれた。あれから35年かな。拓馬君もすくすく育っていい青年になったなあ。彼の友達の子ども連れのメンバーや友達など十数人のグループでぼちぼち登る。
 途中、千人塚で休憩して火床で一服。どんよりとした梅雨空に京都の街が見えたよ。下りに、色々なキノコ類を発見。また昨年の台風18号の被害のあったところの復旧工事やナラ枯れ対策の現場など見ながらテレテレと下山。11時30分には銀閣寺前に下山。いい汗を流しました。みんなでカレーうどんを食べて散会。

 
    <42回目の七夕コンサート>

 夕方雨の降る中、ライブハウス「拾得」に。42回目の「七夕コンサート」。ベトナム戦争で犠牲になった孤児救援を目的に、われわれが二十歳代から始まった「七夕コンサート」。ひがしのひとし君が亡くなって追悼のコンサート。されど、われらが60代、古川豪、豊田勇造、中山ラビちゃん、三浦久さんが唄う。心にしみる夜になりました。ひがしの君もあの世で元気している、と勇造。「大文字」もよかったし、ピートシガーの伝記的な歌を唄った古川豪も、「ひらひら」のラビちゃんも、陸前高田で津波で犠牲になった男性のことを唄った三浦久さんもよかった!
 エンディングは、ジョーン・バエズの「勝利を我らに – We shall overcome」。「べ平連」のデモのとき、この歌をみんなでよく歌ったよ!わが青春がよみがえった!
 映画「阿賀に生きる」を制作した小林茂君や尼崎市議になった弘中信正君らも来ていたよ。


●7月5日(土)

 梅雨空の週末。昼、我が家近くの留学生寮「国際学生の家」に。留学生たちによる「国際食べ物まつり」。この地は、ぼくの通っていた錦林幼稚園のあったところですよ!60年前の話です。近所のタコとケンタローの小田 研太郎君や居酒屋「屯風」の稲本とん平君らも一緒。タイやモンゴル、韓国、イギリス、ブラジルなどからの留学生の料理を堪能。
 京都イングリッシュセンターのスタッフとして京都の留学生の悩みなどアンケート調査をしたのはもう35年ほど前か。当時京都の留学生は300人ほどだった。今や6千人ぐらいかな。課題は多いが、国際化も随分進んでよかった。内海先生らとしばし懇談。

 その後、友人に誘われてモラロジー講演会に。長寿すこやかセンターと地域包括支援センターのスタッフによる認知症のお話と「親から子、子から孫へ心をつなぐ」と題して社会教育講師の大住さんのお話。今も元気な95歳のと親父と88歳のおふくろと30年前に亡くなったわが祖母のことを思いながら拝聴。それにしてもぼくも認知症間近やなあ。痴呆議員にならんように気をつけないとね。

 夕方は、鴨沂会館にて、久しぶりの鴨沂高校同窓会の理事会。鴨沂会館から北運動場を見るとプールや体育館の解体が終わってました。クラブボックスももうすぐ取り壊しです。同窓会は11月9日(日)の午後ウエスティン都ホテルです。卒業生のみなさん、ぜひご参集くださいね。会報の発行のことなどで議論、校長先生も来られていて校舎の建て替えの見通しやこの春の入試状況など説明もあり。ノスタルジアで高校時代を思い出すのもいいが、これからの子どもたちのことを考えることが大事。新生、鴨沂高校の将来が楽しみ。
 散会後、荒神橋横の居酒屋でわいわい。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 7月です。朝の街頭演説を始... | トップ | 鈴木マサホ市政懇談会開催 ... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事