元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

吉田今宮社 神幸祭  10月12日ー14日

2012年10月20日 | 日記
●10月14日(日)

   <吉田今宮社 神幸祭 宝剣を持つ>

 秋晴れ!吉田今宮社神幸祭の当日。
 まず出発の前に、近くは錦林小学校での聖護院学区の区民運動会の開会式に。体育振興会会長挨拶の後、来賓紹介をしてもらって直ぐに第三錦林小学校での浄楽学区の運動会に。ここでも来賓紹介をしてもらって知人らにあいさつ。

 10時前には吉田神社の社務所に駆け込む。いつもは剣鉾を差すのだが、今年は40年に一回しか各町内に回ってこないという神輿の前を宝剣も持って歩く大役を拝命。神主さんに装束を着付けてもらう。

 

 そして11時前には神輿の前での御発輿祭。剣鉾が神輿の周りの「サイアレ、サイアレ」と拝殿回り。11時に参道に剣鉾が並び神輿が京大学生らの参加もあり勇壮に出発。KBS京都放送の取材もあり。
 京大時計台前にも入り副学長さんらも迎えていただく。門川市長と就任したての松本総長が迎えてくれたのはもう5年前かな。ぼくはそのとき剣鉾を差して蘇ったのだ。
 今年は、ふれ太鼓と弓の後、剣鉾の前を粛々と宝剣を持って行列。宝剣は神剣で持ち方も決まっていて軽々しく持てない。百万遍から万里小路を下がり、松井酒造前に着いたのは1時過ぎ。手がしびれてくるよ。駐輿祭という儀式が行われ、パンとお神酒で昼食。やっと一息入れられてほっとした。

 2時には、出発して下阿達町から東山通を渡って近衛町から二本松を巡幸。近衛広場、ファミリーマート前では、第四錦林小学校の児童の和太鼓演奏に子ども剣鉾、そして造形大学の女子学生と吉田剣鉾保存会の剣鉾が秋空に鈴(リン)の音を見事に響かせて、神輿も勇壮に差し上げられた。
 以降、神楽坂を神輿は登り剣鉾を各所で差されて、上大路の子ども神輿の前ではおでんなどの振る舞いも。そして午後5時前には神さんが神輿に乗せられてまちを巡幸して無事に帰還。
 薄暮になったころ神輿から御社に神さんが戻る還幸祭。終日まつり日和で何よりでした。宝剣をもってなんとか無事に歩き終えてほっとした。されど手が痛いよ。

 6時半からは、直会(なおらい)。澤井宮司さん、福井講社長らの挨拶の後、宝剣も持った人に毎年、大きな鯛が贈呈されるが、今年はぼくがその栄誉ある役。大きな大きな鯛をいただきました。ありがとうございます。そして神輿を担いだ京大の学生も一緒に、夜店を手伝った女性陣なども含めての直会は大いに盛り上がる。
 ぼくは途中で退席して事務所へ。鯛が近くの魚屋さんにさばいてもらってお刺身にしてもらったので、剣鉾仲間を中心に刺身を食べながら10時前までわいわい。3日間にわたる吉田のおまつりも大団円。心地よい疲れ、明日は手が筋肉痛になるかな?
 

●10月13日(土)

     <十二提灯子ども神輿の巡幸>

 ちょっと二日酔いだ。京都新聞朝刊には「女子学生剣鉾差し手に」と大きな記事。生田記者、ありがとう!10時には今宮社へ。明日の神幸祭の巡幸を控えて前日祭の神事。またぼくが代表をしている十二提灯こども神輿の飾り付けを祖霊社の前でして、太鼓を第四錦林小学校の三階まで取りに行ったりで右往左往。
 
 そして、午後の3時前には祖霊社前に十二提灯と子ども神輿を出していると吉田の子どもたちが三々五々集まって来てくれる。本神輿の前で子どもたちや保護者や世話人と一緒に巡幸の安全を祈願して玉串奉天の神事。こどもたちも神妙に頭を下げていたよ。


 こども剣鉾を先頭に、十二提灯と子ども神輿の2基を連ねて本町を巡幸。いちど吉田神社の参道に戻って、十二提灯は、中大路の吉田山の山麓から下大路を、子供神輿は二本松から近衛を巡幸して、ファミリーマート前で休憩して無事に5時過ぎには、帰還。子どもたちと一緒にサンサン七拍子で打ち上げして夜店の券を配布して一段落。この巡幸を復活してもう20年ほどか。秋の行事として夜店ともども子供たちが喜んでくれて続いている。
 夜店も色々と準備はたいへんだがこれも吉田の地域力。10時過ぎには片づけも終わってまたまた神輿の横で剣鉾仲間と秋の夜長を過ごす。

●10月12日(金)

     <吉田今宮社のおまつりが始まる>

 決算特別委員会の第2分科会は昨日で終了。朝、7時前吉田神社は今宮社に。今宮会や剣鉾保存会や長老らと神輿出し。今日から3日間、吉田のまつり。

     <大原にて> 

 10時前に一路大原へ。大原は自治連会長の佐竹さん宅に伺う。佐竹さんは、京都市の住宅行政に携わっていた人で退職後、地域で大活躍。大原地域での子育て施設の設置のことを中心に鳥獣害対策など諸々の要望をお聞きする。帰途、大原里の駅で地鶏の親子丼を天気がいいので比良山を眺めながら昼食、焼鯖寿司を買って帰る。


 午後2時からは、吉田神社は今宮社に飾り付けの終わった神輿の前でご出発祭。御社の扉が開かれて御霊が神輿に移されて、神輿巡行の安全を祈願する神事。厳かに執り行われ玉串の奉天。

 4時過ぎには、神楽岡にある川上服飾学園に、前原誠司事務所の齊藤所長と訪問。専修学校の学割制度について以前から要望を受けていたのでその今後の方向性について懇談。

     <常寂光寺の前ご住職、長尾憲彰さん逝去>

 薄暮の中を一路嵯峨野に。常寂光寺の前ご住職、長尾憲彰さんの通夜に。
 長尾憲彰さんに出会ったのは、ぼくが「月刊地域闘争」の編集をしていた頃、もう30数年前か。嵯峨野の空き缶の散乱問題に端を発して、デポジット制度の導入など全国的にも話題になった空き缶条例問題を提起し、「市民の眼」や京都市民のネットワークや原爆の図展、砂田明さんの水俣のひとり芝居、女の碑の建立など京都の市民運動になくてはならない人だった。4年ほど前、近くに立ち寄った時、お伺いしたが、ちょっと老け込んでおられたのが気になった。享年85歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

 それから一旦帰宅して服を着替えて、東山は安井金毘羅宮の横にあるギャラリー「風の倶楽部」に。店主の海原清子さんは、元第四錦林小学校の校長。冷やおろし利き酒の会をしているとのことで乱入。中畝酒店の若大将が選んだ酒を味わいながらメインまつたけごはん。美味かった!
 機嫌よくぶらぶら帰途歩いていると、消防のOBの酔っぱらった友人から呼び出しで、久しぶりにスナックへ行ったら、わが青春の喫茶店「駱駝館」の仲間の木尾君も来て暫しワイワイ。
 それから吉田に戻って、神輿の警護を兼ねて飲んでいる今宮会や剣鉾仲間の酒盛りに合流してもうフラフラ。朝から晩まで我ながらようやるよ。

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