元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

在職25年京都市政を振り返る  7月7日・8日

2012年07月11日 | 日記


●7月8日(日)

 午前中、NHKで将棋を見る。女流棋士があっけなく敗退。
 午後は、事務所で議員レポート発送作業を黙々と。

    <40年目の七夕コンサート>

 夕方、ライブハウス「拾得」での「七夕コンサート」に。この「七夕コンサート」が始まったのは、1972年か、ベトナム戦争で孤児となった子供たちを救援し ようと、今は亡き沢井清君らが呼びかけ人となって、中山ラビ、豊田勇造、古川豪、東野ひとし、三浦久の5人が出演して同志社学館ホールで開催された。もちろんみんなは20代の若者だった。あれから40年、古川豪が事務局となって毎年続いてきた。5人が欠けることなく続いているのはすごいなあ!

 東野は、いつものようにハニカミながら歌う。亡き友のアコーデオンの歌が心にしみた。
 豊田勇造は、なつかしの名曲、「大文字」や「ジェフベックが来なかった雨の円山音楽堂」など熱唱。63歳やで。
 中山ラビちゃんは、魔女で妖艶。あこがれの人やった。11月に拾得でコンサートをやるという。また行こう。
 年上の三浦久さんは、京都精華大学を経て信州の短期大学の先生。念仏の歌もあり、いじめに会った少年の歌を披露。ちょっと太っらはりました。
 トリは、新大宮の商店街の薬屋をしていた古川豪。店を閉めて現在は人権資料施設「千本ツラッティー」で仕事をしている。西陣を歌った「トカトントン」はいつ聴いてもいいなあ。
 そして最後は、いつものようにみんなで「ホーボーの子守歌」を歌ういつものエンディング。来年もやれよ!
 「拾得」も来年40年とか、テリーもふうーちゃんも元気で何より。



●7月7日(土) 

 色々と顔を出したいイベントなどもあったが、8月5日に議員在職25年を記念して感謝の心をこめて市政懇談会を開催するので、早いこと案内を出さないかんということで、昼前から終日事務所に籠って議員レポート夏号の発送準備作業。
表紙には、25年の京都市政を簡単に振り返った文章を書いた。
以下、その文章です。

   <市会議員在職25年!-京都市政をふりかえる>

 「京都市会に送っていただいて25年。38歳で「市民に開かれた市政を!」と初当選したのは昭和の終わり1987年。今川市政の末期でした。それから田邊市政6年、桝本市政12年、門川市政5年と平成の時代を駆け抜けてきたことになります。
 田邊市政時代は、健康都市構想や情報公開条例を策定。バブル時代でマンション紛争や京都ホテル建て替え問題、大文字山とポンポン山のゴルフ場計画なども浮上。開発と保全、環境問題を議論しました。地下鉄東西線の工事費暴騰問題が大問題に。95年、阪神大震災と地下鉄サリン事件。制度疲労を起こしていた同和行政の在り方を巡って、問題提起したことが記憶に残ります。
 96年からの桝本市政は、「もっと元気に京都アクションプラン」を策定。環境基本条例の制定や京都駅ビルの開業、地下鉄東西線も開通し国際会館まで延伸、地球温暖化会議COP3が開催。鴨川歩道橋のことが話題になり、財政非常事態宣言もありました。市民参加推進条例や男女共同参画推進条例、地球温暖化条例が制定、京北町も編入合併。
 06年は京都市政にとって悪夢の1年でした。職員不祥事問題が続発、臨時市会も開かれました。家庭ごみの有料化も。私は副議長に就任。07年には新景観条例が可決。私は6期目、38票差で次点落選。しかし、繰り上げ当選で復活をしました。行政評価条例や路上喫煙禁止条例も制定されます。

 3期12年続いた桝本市政の後、08年、門川教育長が薄氷の勝利で市長に。新型インフルエンザや世界同時不況の時、マニフェストの実現を目指して、あるくまち京都や教育・福祉の充実に向けて取り組みを進め旧コミュニテイセンターを廃止。09年秋に政権交代がなりました。

 11年3月11日には東日本大震災。被災地への支援とともに原発事故による放射能汚染の問題が大きな課題となりました。左京区役所は、松ヶ崎に移転しました。
 12年2月、門川市長が再選。はばたけ未来に京プランの推進に向けて奮闘中。がれき処理や原発問題で右往左往です。
昭和の終わりから、平成の時代を京都市政の発展と市民生活の向上にどこまで寄与できたか、自省しながら、もうひとふんばりがんばる所存です」

 思いがけず遠くまで来たものです。
 
 みなさん、ありがとう!8月5日はぜひご参加くださいね。

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