お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

戦国最強軍団を止めた武将 (村上義清1)

2011年02月20日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は源氏の血を引く名門家の末裔「村上義清(むかかみ・よしきよ)※写真」です。

率いる軍勢は”戦国最強軍団”と呼ばれ、恐れられていた甲斐の大将「武田晴信」
軍神「上杉謙信」と互角の勝負をし、天下統一にひた走る「織田信長」の心胆を寒からしめ彼ですが、生涯で大敗北という屈辱を味わっていたのです。
その相手こそ…今回の主人公「村上義清」なのでした。
ちなみに、上杉・武田が華麗に激突する「川中島合戦」ですが、その切っ掛けを作ったのもこの義清なのでした。
歴史的に凄い人なんですよ、ええ。
(※実は過去に一度やっているんですが、もう少し詳しくなったので新たに書いてお送りしています)

鎌倉時代から続く名門・村上家の末裔。
葛尾城を拠点に勢力を拡大し、一時期は信濃にて最大版図を持っておりました。
甲斐から攻め寄せる「武田晴信」を撃退したものの、策を弄する晴信に戦況は次第に悪化。
越後へと逃れ、軍神「上杉謙信」を頼ってお家再興を目指すこととなるのです。


そんな訳で、「村上義清」は「藤原道長」の四天王にして河内源氏「源頼信」の庶子である、「源義清」から続く一族でした。
信濃村上郷に流罪された「源盛清」
付近に勢力を持ち、その子「源(村上)為国」から村上氏を称することとなるのです。
南北朝から戦国時代の混乱期に、当主「村上信貞」は判断良く「足利尊氏」を支持し、戦功を上げました。
名目上では信濃の支配者であった、信濃守護の小笠原氏と肩を並べるほどの勢力になっていくのです。

なお、信濃国は清和源氏の末裔である、名族・小笠原氏が守護と国司を兼務していました。
しかし、その地域性か国人層は自立傾向。
室町時代頃より小笠原氏はたびたびの反乱に悩まされ、その勢力は衰退していったのです。
逆に、その内紛に乗じた「村上政清」、その子「村上顕国」はじわじわと勢力を拡大。
戦国期になると、中信濃から南信濃の守護家「小笠原長時」、北信濃を統べる「村上義清」という二大勢力となっていたのでした。
他の国人層を併合し、勢力を拡大させていた村上氏。
しかし、彼らを完全な被官にまではできず、戦国初期の武田氏と同様に地盤は不安定だったのです。

そんな「村上顕国」の子「村上義清」が誕生したのは文亀元年(1501)
ちなみに、安芸は「毛利元就」が明応六年(1947)の生まれ。
明応二年(1493)には「明応の政変(めいおうのせいへん)」という将軍家の勢力争いもあり、世が混乱してきたような時代でした。
元服は永正十二年(1515)頃。
父・顕国の実績などがいまいち不明ですが、ともかく家督を相続した義清の時代では、埴科(はにしな)郡を中心に、だいたい六郡(佐久・小県・更級、高井、水内)を領有。
文字通りに北信濃の王者となっていたのです。

⇒ つづく。
 ※次回は「信濃に攻め入った若き大将」(2/6)


[関連記事] 【目指せ下克上! 戦国梟雄の皆様】
⇒ 戦国時代の幕開け「北条早雲」 <前編> <後編>
⇒ 暗殺と裏切りはお手のもの「松永久秀」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 美濃の蝮 「斎藤道三」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 権謀術数の策士「宇喜多直家」 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
⇒ 意外と知らない軍神の父 「長尾為景」 [  ]
⇒ 梟雄?名将?不確かな東北出世頭 「津軽為信」 [ ]
⇒ 謀略が得意な天性無欲正直の人 「尼子経久」 [    ]
⇒ イケてる三好軍団 「三好長慶とその一族」 [         10]




 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


戦国武将Tシャツ「武田信玄・風林火山」(ブラック・Sサイズ)
クリエーター情報なし
歴史城

※武田家は色々とグッズ豊富でいいですねー。
 Tシャツは押さえておきたいシロモノでしょう。




最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-02-29 18:05:22
武田晴信の時代に大敗したんでしょ?やはり戦国最強軍団は、武田家ですね!天下統一した家康も武田家に負けてますし!しかも恐れのあまりウンコ漏らしたそうですよ?
返信する