故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
ここにいたんかいな、あざみ兄弟。
夏の盛りにアスファルトに咲いていたあざみ兄弟のことが気になっていました。
すっかり忘れた冬の朝、久しぶりにあざみ兄弟に出会いました。
昔話は、こんなこと。
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略。
人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるに当たって執る様々な準備や、
そこに向けた人生の総括を意味する言葉である。
(Wikipedia より)
今日のタイトルは、「急がず、慌てず」です。
冒頭に、終活なんぞ書いたものだから、なんとなく抹香臭い話と思われることでしょう。
終活ならば、捨てるだけと覚悟していますから、そんなに苦労はないように思います。
子供達に伝えることも少なからずあります。
私はかみさんを亡くした時、一度整理をしたことがあります。
かみさんに頼り切った生活をしておりました。
亡くなった時から、一日が長いなと感じる日が続きました。
子供達ともコミュニケーションがとれませんでした。
二年かかって、それまでため込んだ思い出を整理し、大事なものだけをひとまとめにしました。
どうしても取っておかなければならぬものは、ダンボール箱一つにもなりませんでした。
思い出はいずれ忘れることと、捨てることにしました。
記憶に残るものだけでよい。忘れることを怖れないようにしました
どうしても覚えておかなければならぬものは、誰が知ってるかだけ覚えることにしました。
ところが、妻と出会い、地縁も血縁もないところに来ることになった時から、初体験の連続となりました。
新たに出会った人達の顔と名前を一致させるために、似顔絵を描き始めました。
出会った人の顔を覚えるためでした。
これまでの経験が全く生かされない生活になりました。
子離れをせざるを得ず、親としての立場もなくなりました。
若い時、ドキドキしながら社会人になった時の感覚に似ています。
意識不明になった親族の終活のお手伝いをしています。
妻が骨折したときは、老々介護の練習をしました。
生きるために、身体を脳を鍛えています。
他に選択肢がないからです。
こんなことになったからには、「急がず、慌てず」の心境です。
相変わらずやることが多い。
若い頃のように、バリバリできないから、休まず少しずつやることになる。
自然がやることを教えてくれる。
暖かくなったから種を植え、畑を耕す。
作物を育てるために、草を抜く。
単に、食うために働く。
お腹がすくから、何かを食べる。
ストレスをためないように、友人たちと笑って過ごす。
かと言って、昔の生活のすべてを忘れることが出来るわけじゃない。
会っておかなければならぬ人がいる。
期限なしで、催促なしの借金の返済をしておかなければならぬ。
いっぱいお世話になりましたから。
返す人もいないので、次の世代に返すことになる。
おまけのような人生とも言えるし、毎日が真剣勝負でもある。
恋人と会ったとき、あんなに無理ばかりしたのに、
今は「急がず、慌てず」です。
風に舞い 水に流れて 種走る
2018年5月20日
このテーマ(filter)にあう絵手紙の在庫がありません。
助けてもらうのは、永観堂に鎮座のお地蔵さんです。
いつも、ウフフ、オホホです。
今日のタイトルは、「フィルター」です。
フィルター(filter)とは、
濾過器、濾過装置。
光の一部を吸収または透過するための特殊なガラス板。
写真撮影・焼付・印刷製版・光学実験などに使う。光学フィルター。濾光板。
電気回路で、ある範囲の周波数の電流を通過させ、
他の周波数の電流を阻止するための回路または装置。濾波器。
ニコチンなどを除去する。紙巻きタバコの吸口。
かつて、「あんたは、馬鹿か鈍いのか」とある会社の社長さんに言われたことがある。
詳細は、2014年12月1日投稿記事「あんたは、馬鹿か鈍いのか」を参照してください。
この方は、あるフィルターを持たざるを得なかった。
会社を発展させるためには、しっかりしたサポートが必要である。
会社を正しい方向に導くには、ポリシーが必要であった。
この方のとりあえずの選択(フィルター)があったのです。
フィルターについて書こうとしたのか。
理由は、二つ。
一つは、私達はなんらかの組織(立場)に属しており、制度というフィルターで判断せざるを得ない。
二つ目は、そのフィルターは時には色眼鏡となっていて、反対意見を殺してしまう。
自分の考えと相いれない意見を封じ込める。
こんなことは、世界情勢、政治、世事を見ていると常にあることである。
どちらかが正しいかは、近視眼的には多数決であったり、長いレンジでは歴史が判断することになる。
前出の社長さんの工場を拝見させていただいたとき、アンバランスなプロセスの是正を進言した。
ここをこうすれば、この工場はコンタミがなく能力を最大限に発揮できる。その予算はこれこれです。
工場診断の結果、コンピューターを使ったシミュレーション診断でした。
社長さんには、ありがたい提案だったと思います。
しかし、当時の役員(アンチ社長派)にとっては、提案の良し悪しの判断より、売り込みに見えたのです。
私の考えは、このようなアプローチが業界で通じるものなのか試してみたかった。
他の組織でも試しましたが、同様に断られました。
食の安全・安心が唱えられ始めた頃、あるプロセスを使うと、望まない汚染を1/10に軽減できる。
有機農法より確実なアプローチでした。
ある人(団体の会長)は、大いに興味を持たれました。
国際市場で売り出すには、国際基準の安全・安心が求められる。
会長さんは、業界全体の発展を望む立場の方でした。
前出の社長さんも賛成してくれました。
結果的には、これも受入れられませんでした。
業界全体をまとめきれませんでした。
もう少しいうと、見込み生産より注文生産がロスが少なく、場内外流通ともに優れています。
会社の生産体制を見込みから注文生産に切り替える提案をしました。
ある業界では受け入れられました。消費者に近い業界でした。
消費者から遠い業界では、無理でした。
優秀なロボットを入れることに夢中で、ロボットを有効活用するために、
ロボットの前は、仕がかり品の山、ロボットのあとは製品の山でした。
製品の山を捌くために自動倉庫まで作られていました。
そして、問屋に無理難題を押し付けていました。
これからは、AIが進んで常識が変化すると思われます。
現金至上主義の銀行が、現金を排除する動きになっています。
現金で買うより、カード決済の方が安い。
現金を数え、管理することが無駄と思われ始めたからです。
フィルターは常にフレキシブルでなくてはならない。
自分が後生大事にしているフィルターの見直しをしなければならない。
眼鏡視力が0.7以下になり、免許更新ができないと判断し、白内障の手術を受けました。
裸眼視力が1.2に改善されました。
カフェをオープンする時、何を売りにするか悩みました。
注文生産できるものにしたかった。ピザとお好み焼きを選んだのもその観点からです。
見込み生産(リードタイム4時間)のパンは、最小限のロットとしました。
定番料理をしないで、お任せ料理をお勧めしています。
好みが多様な酒類は持ち込みとしました。
フィルターは大事です。
しかしフィルターに振り回されては、道を外すことになります。
何が正しいかは、昨日から今日、そして続く未来へと変化しています。
普遍の物など何もない。
物差しは 世と個で測り 役にたつ
2018年5月19日
母の法事であった、従兄の笑顔です。
今日のタイトルは、「点から点の生活(Part3、都会編)」です。
中国で一つの新たな街を作り、奥地の農村を村ごと移住させる、大胆な施作を実施しました。
村民は、昔からの伝統的な農業で生活が成り立っていました。
新しい町は、整然とした街並みでした。
ガスも水道も完備されていました。
何よりも、村民の決断を促したのは、「農民工」からの脱却でした。
中国では、中小都市化計画が進んでいます。
輸出の伸び(外需)が鈍化して、経済下支え(内需拡大)を計画してのものです。
農村市民は生まれた時の戸籍があり、一定の条件(家の購入など)を満たさなければ
都市市民にはなれなかった。都市と農村では、医療、教育その他の補償制度が異なり格差がある。
農民が、都市市民になるのを進めるために、条件を緩和(購入→賃貸)して大都市に住んでいる
都市市民になれない農村出身者と農村に住んでいる農民工を中小都市へ移動するよう促しています。
農民の大移動による内需拡大が目的です。
(2016年11月1日投稿記事「後がない今がない」より抜粋)
街で暮らすには、お金が必要です。
お金を得るためには働かなければならない。
働くためには、コミュニケーションのツール(文字、技能)を習得しなければならない。
この村の文盲率は高かった。大人が字を学ばないと職にありつけない。
新しい街には、移住した人々のための農地が用意されていました。
効率よく作物を生産するために、その土地は民間の農業会社に貸し出される約束でした。
移住者は、農業会社に雇用されて農業をする。
自分たちが作りたい作物を作る訳ではありませんでした。
大胆な施策の重荷は、移住者に背負わされることになりました。
さて、東京杉並区の話をしましょう。
戦後、杉並区には農地も多く、また戦果の傷跡も少なかったのでしょう。
多くの家が建ちました。
中央線が走り、各私鉄も整備されてきました。
杉並区は、羨まれる「山の手」になったのです。
戦後70年、高くなった地価ごと相続できなくなりました。
売ることもできない土地が多く存在します。
アクセス道路が狭く、再開発できないからです。
古い家屋を壊して建て替えようにも、そもそもが違法建築だからそれもできない。
表通りはというと、シャッター街です。
駅から離れた商店街の夜は暗いのです。
店は畳んだが、住まいは2階という商店が多いのです。
点から点の生活は、都市住民のコミュニケーションを破壊しました。
村では、生活のために道をつけました。
各自が所有する土地を村に差し出しまして道ができました。
古い街には、袋小路が多く存在します。
通り抜けができない道の価値は低い。
都市の生活は、基盤ごと点と点の生活です。
子供を育てるために幼稚園に入れ、学校へと進学します。
ママ友はできるが、子供の進学先にあわせて新たなグループが出来上がります。
子供が卒業したら、ママ友は赤の他人になります。
町内会で決めたことは、アパートに暮らす住民には適用されないことが多い。
定住しない人には、回覧板も回ってこない。
役所の対応も地域に根付かない縦割り行政です。
ことを成就させるためには、いくつもの関連部署を回らなければならない。
気の利いたスーパーでは関連商品もメイン食材コーナー近くで売っているが
間の抜けた大きなスーパーでは、一つの料理の食材を揃えるのにあちこち広範囲に回らなければならない。
スーパー従業員の仕分け管理が、カテゴリーごとの縦割りだからです。
知らずに。「点と点の生活」に慣れてしまった。
住宅団地の開発や大型マンションの近くでも同じようなことが起こっている。
購入できる年代は、30-40代となる。
小学校も中学校も収容できないから、新たに作る。商業施設もオープンする。
30年後には、世帯主がすべて高齢者(前ー後期)となる。
小学校は廃校され、その地域だけ過疎になる。
回っていたものが、、回らなくなる。
昔の街は、いろんな職業の人が暮らしていた。
それが、サラリーマンばかりが住む町は、いずれゴーストタウンとなる。
「点から点の生活(Part3,都会編)」でした。
だからどうするの。
反省を踏まえて、自論を書きます。
生活の糧であると、職業は割り切る。
大工さんが、その職業故に尊敬されることはない。
腕が良くて、初めて仕事を依頼される。
どこそこの会社の偉いさんも同様である。
会社に捧げることはやめた方がよい。
組織から外れたらただの人です。
休みの日には、地域に出かけ食事をしたり話したりした方がよい。
テレビを止めて、家族と話すことから始まることになる。
身体を動かすことがあれば草刈りだけでも、掃除だけでもしたらよい。
とにかく、家から外に出ることです。
田舎に居たって、外に出なければ何も始まらない。
畑で草取りをしていたら、苗を植えていたら通りがかりの人と会話が始まる。
ゴルフ(運動)をしたら、仲間と飲めばよい。
会社の人とだけ飲むのはやめた方がよい。
なんの利害関係もない人と付き合うことです。
付き合うことで、知恵がつく。
経験者もそうでない人も、気軽に相談にのってくれます。
都会に住んでいて、知り合いになっても玄関までの付き合いです。
家の中まで入ることは稀です。
家の中にはいることが出来るまで、付き合いを深めることです。
飲めない人(妻など、家族)も一緒に飲み食いをすることです。
会社で偉くなくても、地域ではなくてはならぬ人になることです。
また、そんな人と付き合うことです。
点から点の生活は、便利です。
暇になった時、どこに行きますか。
そこに気軽に話せる人がいますか。
男は、銀座で男を磨くとママが言われていました。
そういう場面もあるでしょう。
普段から、コミュニケーションが取れない人が、銀座にデビューするのはママの助けがあってからこそ。
全ての人が、銀座にいけるわけもない。
少しだけ、視点を変えることでいろんなことが見えてきます。
癒しを求めて、都会の人は田舎に出ていく。
渋滞でもう二度と行きたくない。
そんなことより、自分の身の周り(地域)を良くすることに力を注いだ方がよい。
きっと、素晴らしいものがたくさんあるはずです。
なぜなら、そこが好きだから皆さん住んでいるからです。
この稿、長くなりました。
終わりにします。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
田んぼ道 子供連なり 水に映え
2018年5月17日
熊の磨崖仏です。
なん百年もこの顔です。
じっちゃんの顔に近いかもしれません。
これに較べたら、ほんのちょっとの間です。
今日のタイトルは、「年寄りの小言」です。
コンビニやデパートで買い物をする。
歳を重ねるごとに気短になるようです。
マニュアルトークはいいから、買ったものを早くよこせ。
俺の言う通りにしろと言わんばかりです。
隣にいる人は、他人の顔をする瞬間です。
身体はきれないし、新しいことには慣れない。
そんな自分に腹が立っているのは、外ならぬ自分自身です。
これまでは、仕事の関係もあり辛抱強く説明してきました。
それが突然別人のごとくになる。
酸いも甘いも噛分けてきた年齢の方は、若い人がやっている行動の次が見えてしまう。
やっぱりそうか。
そんなことは良いから、早くよこせとなるのです。
ところが、同じ年代のばあちゃんは違います。
あんたも年をとったね。
よぼよぼじゃないかなんて言われても、案外腹が立たない。
そうなんだよ。今朝食ったものまで忘れる始末さ。
年は取りたくねえもんだ。
と互いに、笑って過ごせるのです。
カフェで若い娘さん(二十歳頃)と件の先輩が話しています。
どうやら、コミュニケーションが成り立っているように見えます。
若い娘さんは、孫世代。爺ちゃんと一緒に生活しています。
爺さまの扱いがうまいね。
さすがに、〇〇さんの孫だけあるわい。
と私。
先輩も、なんだよそれは、と苦笑いです。
若い人は、核家族で育った世代。
親子二世代で暮らしていても、食卓は別という。
互いに、相手がどういう人(好みや考え方)なのか知る由もなし。
入れ歯でかみ砕けない固いものは好まない。
薬を飲みながら、油物は受け付けない。
酒(熱燗)だって、湯で割りながら飲む始末です。
ところが、口だけは達者です。
口だけは達者でも、暇があればうとうとしてしまう。
年寄りの小言は、生き字引です。
同じ話を何度も聞かされます。
話のきっかけ、次の展開と少しずつ違います。
よーく聞いていると違いが判ります。
俄然乗ってきても、聞いてあげましょう。
あれ、俺ばっかり話してすまないね。
ところでなんだね。
と思い出したように聞いてくれます。
若い頃頑張ったので、引き出しはいっぱいあるのです。
時々その引き出しを出さないとお蔵入りになってしまう。
年寄りの小言は、虫干しみたいなもんです。
なーんだ、こんなことも知らないの。
学者は嫌だね。となります。
どこかで聞いたくだりです。
券売機 前に来てはて また見上げ
2018年5月15日
昭和記念公園内で見たバス停です。
どうやらここが出発点であったように錯覚します。
今日のタイトルは、「新緑」です。
昨夜、痛飲しいつもの時間に起きられませんでした。
この時間を逃すと、ブログは書きにくくなります。
あまりに新緑が素晴らしいので書くことにしました。
昨日の雨と今朝からの風で、素晴らしい晴れ間となりました。
産毛のような木々の葉が、すっかり緑濃くなりました。
陽光のもと、洗いざらしのシャツのように、木々が揺らぎ葉っぱがうねっています。
田植えが終わった田んぼに、植えたばかりの苗がやっと顔を出しています。
まだ終わらぬ田んぼは、さざ波が立ち、車目線からは広大な湖のようです。
秋田の農道を夜走ったことがあります。
闇の中、湖面を走っているようで、不気味でありながら幻想的だったのを思い出しました。
新入社員の頃、久しぶりの休みで国分寺まで帰ってきた時、
新緑がまぶしかった。
やっと、社会人としてスタートが切れたと実感しました。
この地に移住して2年が経ちました。
実にいろんなことがありました。
空き家にしろ、畑仕事にしても、カフェを開店できたこともすべて初体験でした。
ただただ夢中で過ごした。
3回目の新緑に出会うことができました。
ゴルフ場に行ってもボールばかり追って、新緑を楽しむことはありません。
こんなことでは、苦心してゴルフ場を管理されてるグリーンキーパーの方に申し訳ありません。
新緑が元気をくれ、また頑張れよとささやいてくれてるような気がします。
この先何があるでしょう。
きっと、いくつもの初体験をすることでしょう。
新緑に 思い出せぬか 冬枯れ木
2018年5月14日