故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

点から点の生活(Part3、都会編)

2018-05-17 07:15:16 | プロジェクトエンジニアー

母の法事であった、従兄の笑顔です。


今日のタイトルは、「点から点の生活(Part3、都会編)」です。
中国で一つの新たな街を作り、奥地の農村を村ごと移住させる、大胆な施作を実施しました。
村民は、昔からの伝統的な農業で生活が成り立っていました。
新しい町は、整然とした街並みでした。
ガスも水道も完備されていました。
何よりも、村民の決断を促したのは、「農民工」からの脱却でした。

中国では、中小都市化計画が進んでいます。
輸出の伸び(外需)が鈍化して、経済下支え(内需拡大)を計画してのものです。
農村市民は生まれた時の戸籍があり、一定の条件(家の購入など)を満たさなければ
都市市民にはなれなかった。都市と農村では、医療、教育その他の補償制度が異なり格差がある。
農民が、都市市民になるのを進めるために、条件を緩和(購入→賃貸)して大都市に住んでいる
都市市民になれない農村出身者と農村に住んでいる農民工を中小都市へ移動するよう促しています。
農民の大移動による内需拡大が目的です。
(2016年11月1日投稿記事「後がない今がない」より抜粋)

街で暮らすには、お金が必要です。
お金を得るためには働かなければならない。
働くためには、コミュニケーションのツール(文字、技能)を習得しなければならない。
この村の文盲率は高かった。大人が字を学ばないと職にありつけない。
新しい街には、移住した人々のための農地が用意されていました。
効率よく作物を生産するために、その土地は民間の農業会社に貸し出される約束でした。
移住者は、農業会社に雇用されて農業をする。
自分たちが作りたい作物を作る訳ではありませんでした。

大胆な施策の重荷は、移住者に背負わされることになりました。

さて、東京杉並区の話をしましょう。
戦後、杉並区には農地も多く、また戦果の傷跡も少なかったのでしょう。
多くの家が建ちました。
中央線が走り、各私鉄も整備されてきました。
杉並区は、羨まれる「山の手」になったのです。
戦後70年、高くなった地価ごと相続できなくなりました。
売ることもできない土地が多く存在します。
アクセス道路が狭く、再開発できないからです。
古い家屋を壊して建て替えようにも、そもそもが違法建築だからそれもできない。
表通りはというと、シャッター街です。
駅から離れた商店街の夜は暗いのです。
店は畳んだが、住まいは2階という商店が多いのです。

点から点の生活は、都市住民のコミュニケーションを破壊しました。
村では、生活のために道をつけました。
各自が所有する土地を村に差し出しまして道ができました。
古い街には、袋小路が多く存在します。
通り抜けができない道の価値は低い。
都市の生活は、基盤ごと点と点の生活です。
子供を育てるために幼稚園に入れ、学校へと進学します。
ママ友はできるが、子供の進学先にあわせて新たなグループが出来上がります。
子供が卒業したら、ママ友は赤の他人になります。
町内会で決めたことは、アパートに暮らす住民には適用されないことが多い。
定住しない人には、回覧板も回ってこない。
役所の対応も地域に根付かない縦割り行政です。
ことを成就させるためには、いくつもの関連部署を回らなければならない。
気の利いたスーパーでは関連商品もメイン食材コーナー近くで売っているが
間の抜けた大きなスーパーでは、一つの料理の食材を揃えるのにあちこち広範囲に回らなければならない。
スーパー従業員の仕分け管理が、カテゴリーごとの縦割りだからです。
知らずに。「点と点の生活」に慣れてしまった。

住宅団地の開発や大型マンションの近くでも同じようなことが起こっている。
購入できる年代は、30-40代となる。
小学校も中学校も収容できないから、新たに作る。商業施設もオープンする。
30年後には、世帯主がすべて高齢者(前ー後期)となる。
小学校は廃校され、その地域だけ過疎になる。
回っていたものが、、回らなくなる。
昔の街は、いろんな職業の人が暮らしていた。
それが、サラリーマンばかりが住む町は、いずれゴーストタウンとなる。

「点から点の生活(Part3,都会編)」でした。
だからどうするの。
反省を踏まえて、自論を書きます。
生活の糧であると、職業は割り切る。
大工さんが、その職業故に尊敬されることはない。
腕が良くて、初めて仕事を依頼される。
どこそこの会社の偉いさんも同様である。
会社に捧げることはやめた方がよい。
組織から外れたらただの人です。
休みの日には、地域に出かけ食事をしたり話したりした方がよい。
テレビを止めて、家族と話すことから始まることになる。
身体を動かすことがあれば草刈りだけでも、掃除だけでもしたらよい。
とにかく、家から外に出ることです。

田舎に居たって、外に出なければ何も始まらない。
畑で草取りをしていたら、苗を植えていたら通りがかりの人と会話が始まる。
ゴルフ(運動)をしたら、仲間と飲めばよい。
会社の人とだけ飲むのはやめた方がよい。
なんの利害関係もない人と付き合うことです。
付き合うことで、知恵がつく。
経験者もそうでない人も、気軽に相談にのってくれます。
都会に住んでいて、知り合いになっても玄関までの付き合いです。
家の中まで入ることは稀です。
家の中にはいることが出来るまで、付き合いを深めることです。
飲めない人(妻など、家族)も一緒に飲み食いをすることです。
会社で偉くなくても、地域ではなくてはならぬ人になることです。
また、そんな人と付き合うことです。

点から点の生活は、便利です。
暇になった時、どこに行きますか。
そこに気軽に話せる人がいますか。
男は、銀座で男を磨くとママが言われていました。
そういう場面もあるでしょう。
普段から、コミュニケーションが取れない人が、銀座にデビューするのはママの助けがあってからこそ。
全ての人が、銀座にいけるわけもない。
少しだけ、視点を変えることでいろんなことが見えてきます。
癒しを求めて、都会の人は田舎に出ていく。
渋滞でもう二度と行きたくない。
そんなことより、自分の身の周り(地域)を良くすることに力を注いだ方がよい。
きっと、素晴らしいものがたくさんあるはずです。
なぜなら、そこが好きだから皆さん住んでいるからです。

この稿、長くなりました。
終わりにします。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

田んぼ道 子供連なり 水に映え

2018年5月17日
コメント
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