何回使ったかわからない、京都永観堂の地蔵の姿です。
私の仲人さんが教えてくれたお寺です。
敷地の端の竹林の傍に鎮座されていました。
「オホホ」、
「ウフフ」と笑っているように見えました。
それだけ穏やかなお顔でした。
「知恵」と「慈悲」の二文字が刻まれていました。
慈悲の心を持って、知恵を使って生きなさいと言われているのでしょうか。
つらい時に思い出す絵手紙になりました。
今日のテーマは、「生きる」です。
歳をとられた仲人さんが、「生きていては、子どもに迷惑をかける」と
言われました。
「私の母は、私の顔が認識できなくなって五年生きてくれました」
「そこに行くと、生きている母に会える」ことで救われたし、楽しかった。
仲人さんにそう伝えました。
「そんなものかね」という顔をされていました。
福島で、自殺が急増しています。
原因とされるのは、孤独と無関心です。
帰ったとしても元の暮らしができるわけじゃない。
昔のように子供や孫とも暮らせない。
彼らは、生きるために他県で仕事を見つけて暮らしている。
帰宅解除が出てすぐに帰宅した方も自殺を選んだ。
相談する人が無くなり、一生懸命復興を目指すも力尽きてしまった。
福島は、「あいまいな喪失感」に悩まされています。
いつか帰れるんじゃないか。昔のように暮らせるんじゃないか。
私の住む近くでも、死後二か月間発見されなかった老人の話を聞きました。
民生委員は何をしているんだと、私に話してくれた人が言われました。
朝起きてもやることがない。
そう思われる老人は多いことと思います。
生きる。
何がなんでも生きるには、相当な覚悟と希望が必要です。
覚悟を知っているのは、長年付き合ってきた親戚や近所であり友人です。
希望は、生きていていいんだよと言ってくれることであり、
あなたが生きていてくれることが、どんなに役に立ち励ましてくれることか
伝えることです。
私にできることは限られています。
でも、できることはやらなければならない。
休んではいられません。
少なくとも、生きることに怖気づいてはいられません。
鐘の音に 何を求めて 強く撞く
2017年1月14日
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