故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

関心と感心

2014-12-31 06:38:19 | 故郷再生

広島は、少し車で走ると海に出たり、山に入ります。
広島、呉、竹原、西条そして江田島まとめて広島です。
とりわけ、島は原風景です。私の心の風景です。
どの島に行っても懐かしいと感じます。
多少の違いがあるけど、生活は同じだなと感じます。
生活道路は海沿いです。暗くなれば、怖い海です。
晴れて風がなければ優しい海です。
瀬戸内に沈む夕日はどこまでも美しい。
私は、この風景を捨てるように東京に出ました。
決して振り返ることをしなかった。
私の古里への思いは、暗くて湿っていました。
そこから、気持ちの上で出られなかったのです。
蓋をしようとしていました。
間違っていました。
故郷は、私の気持ちに関係なく懐が深くて優しかったのです。

(つづく)
私も疲れていました。
今になってそのように感じます。
半袖シャツを長袖に着替えました。
遠ざかる島の灯りを見て思いました。
昔から、友人や家族が住んでいる故郷でしたが、長い間、足が向きませんでした。
今は、広島を近くに感じます。
広島のことをもっと知りたいと思っています。
昨日、訪ねた蒲刈、大崎島の風景を、今夕見た沖美の夕暮れの風景を美しいと感じました。
今までは、故郷なのか、旅で立ち寄った場所なのか時々迷うことがありました。
今は、間違いなく故郷です。もう遠い古里ではありません。

あなたに会ってから広島に対する感じ方が変わってきました。
時代と共に、開発された変化に対して感じるものではありません。

心の風景が変わりました。
今までも見えていたけど、積極的に見ようと、それは何か知ろうとしていませんでした。
あなたが、私の疑問に答えてくれます。
私は改めて感動します。

ありがとう。
私は、故郷の素晴らしさを見失ったまま、横浜で暮らしたかもしれなかった。

宇品発己斐行きは、今の時間なくて、宇品二丁目で乗り換えました。

2013年9月24日 (手記より)

<<現在の感想>>
人の見方は、その時の心情で大きく変わるものです。
関心を持つようになると、感心するものです。
どのように興味を持つかは、人それぞれです。
朽ちかけた看板に郷愁を感じる方もおられるでしょう。
不便に共感を持たれる方もいるでしょう。
私の原風景の広島は、自分の中で大きく変化しました。
大それたことを考えることはありません。
ただ、興味を持つことです。
それだけで、風景は変わるものです。

2014年12月31日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能美町のこと

2014-12-31 05:45:24 | 故郷再生

能美町に帰る時に感じたことを書きます。

道路が広く、便利になっています。
船もフェリーと高速艇の二機種にしている。
共に良い考えですね。

経済的に呉圏の旧安芸郡と、広島圏の旧佐伯郡が一緒になって江田島市が出来ています。
仮に、高田-小用-金輪島-呉道路か三高-似島-広島のいずれかに橋が架かると、
江田島市は一挙に変わるでしょうね。
広島のベッドタウンではなく、リゾートにするのです。
あらゆる文化施設も誘致するのです。
江田島湾を埋立て、ソフトウェア工場の専用地域を作りデータサーバーの基地とするのです。
また野菜や花を作るのです。エネルギーは太陽光と潮位発電が可能でしょう。
国際的な科学大学を誘致すれば、世界中から知能が集まるでしょう。
広島とも結ばれるのが良いでしょう。
平和、安全なデータバンクとリゾートが売りです。
呉市、倉橋、江田島市と広島市を環状線で結ぶのです。
呉、広島及び九州、中国、近畿地方のソフトウェアの発信基地にするのです。

島は不便で、閉鎖的だと思っていました。

自分は何も役に立てないと思っていました。
瀬戸内海はなにより安全です。温暖です。
水や電力を大量に使う工場は不向きです。
インフラに莫大な金と時間がかかります。

しかし構想を練るのは自由です。
小説で自然に調和した未来都市は好きに創れます。
ひょっとしたら、不可能と思っていた、故郷への恩返しが出来るかなと思ったりしました。

2013年10月23日(手記から)

<<現在の感想>>
法事で能美町に帰ることがあります。
生まれ故郷は、いつも温暖で優しい風景です。
残念ながら、段々畑が山に帰ってしまいました。
老人が亡くなられると、歯が抜けおちるように廃屋になっていきます。

開発のために削られた醜い山肌は、元の緑に戻っていました。
過疎も悪くはない。と思いました。
人には色々な事情があります。地域には、それぞれ特色があります。
昨今の、駅前開発は都市の個性を無視した同じような風景になっています。
便利ばかりが良いことではありません。無理な開発は、自然災害に弱いのです。

ドーナツ化現象が駅前のシャッター街を生み出し、
ドーナツを支えるためにインフラ整備はしたものの、
ドーナツに住む人々が高齢化し、地方経済は破綻しています。
そして今度はコンパクトシティーが唱えられ、
ドーナツで拡大化した郊外から都市に移住が始まっています。
東京の千代田区のような現象です。

友人の建築家が、政府主導ではない民間の知恵の結集が
現在の東京を更に発展させていると言いました。
地方の鉄道は、広軌と狭軌でグループ化されて、お互いに繋がりました。
地方と地方がつながっています。東京はある意味通過点にもなっています。
何がなんでも東京ではなくなっているのです。
アメーバのごとく発展と収斂(しゅうれん)を繰り返す大都市東京は、
地方創生のモデルとも言えるのではないでしょうか。

過疎は、単なる通過点です。
その土地の個性を生かした発展こそ未来につながる創生と考えます。

2014年12月31日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする