故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

さなさんー16

2014-12-23 07:54:54 | 短編小説

第十六話 石垣道

トラックが上がれるように勾配を緩めるため、
光男達が築いた石垣に沿って道は何度も曲がっていました。
光男たちの石工の技術が活かされていました。
昭和16年も、二度の台風で大雨にさらされましたが、光男達の築いた
壮大な石垣は、どこも崩れることはありませんでした。
光男が曲がり道に敷いた杉の木により、段々畑の盛り土も流れるような
ことはなかったのです。
伊藤の采配は工事が進むにつれさらに冴え渡り、
伊藤が村役場の会議室で示した工程を見事に果たしたのでした。
普通は3年はかかると思われた工事を伊藤は半分の期間、
わずか1年半あまりで山の道を仕上げたのでした。

 石垣の道

道路完成の前には、すでに頂上付近の窪地が整地され、
長さ100m、幅20mの台地が出来上がっていました。
「えらいもんが、できるんじゃの。」
男達は、見る見る現れてくる構築物に驚きと恐れを抱くのでした。
道路の石組みが終わったのは、昭和16年の夏前でした。
光男は毎朝頂上まで通い、台地の石組みにかかっていました。
光男は、石組みだけのことを考えればよかったのでした。
人の手配、物資の調達、運搬と貯蔵まですべて伊藤がやり抜きました。
100人が200人になっても伊藤の差配はなんらぶれることは
なかったのでした。台地の完成にあわせ、台地の中に植林が施されました。

「まるで隠れ家のようじゃの。何のために使うんじゃろうか。」
男達は、言ったものです。
台地はあるが、森があるかのように隠れているのでした。
植林に選ばれた木に混じり多くの竹が植えられていました。

(つづく)
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さなさんー15

2014-12-23 06:15:43 | 短編小説


第十五話 戦争色  

待望の夏休みが来ました。さなは、もう男の子達と遊ぼうとしませんでした。
悪童達もきれいになって帰ってきたさなをこれまでのように誘うのをためらうようでした。
さなは、寄宿舎で教えてもらった手芸を一日中やるようになっていました。
また、さなは母を手伝うようになっていました。
さなが県女に通うのに、寄宿舎での生活費も含め百円近いお金が
かかりました。石工の手取りだけでは、到底まかないきれませんでした。
光男は、大工だった父から石船を2艘譲り受けていました。
それを弟が社長をする運輸会社に資産として提供し、
経営者の一人として石船を運用していました。
黒神島にも土地を持ち、その土地から切り出した石は、
数々の護岸工事や畑の石垣に使われていました。
食糧増産、江田島や呉での軍需施設の増強にあわせ、
石の供給は間に合わないほど盛況でした。

採石

このおかげで、さなは県女の学生を続けることができたのでした。
母は、今では一人で畑仕事をやっていました。母より、高くなった
さなは夏休み中、母を助けて働きました。
農作業を手伝うことが原因なのかお尻だけが段々と大きくなってきました。
胸はそのままで、お尻だけが大きくなっていくのだけは、
さなは嫌でたまりませんでした。

「好かん。うちだけ、なしてこんなに広がるん。」
県女のセーラー服を着ると、さなだけお尻の大きさにあわせ落下傘のように
スカートが広がるのでした。
寄宿舎生活でも、自分達で農作物を植え育てていました。
学校に入学するや、報告隊が結成され、先生や上級生に従って
なれない手つきで裁縫をしたり、木工をしたり、地域への奉仕活動として
道路掃除、神社の掃除などが朝の日課でした。
日中は校外活動として食糧増産に全校生徒で取り組みました。
第一県女になっても「親切・辛抱」の伝統は受け継がれ、
戦争一色となってきた世の中の動きにあわせ、学校生活も毎日のように
変化するのでした。

悪童仲間の信ちゃんは、昨年まで一緒に遊んださなが乙女になっていくのを
不思議な気持ちで見ていました。
さなは海でも、隠すようにしましたが、男の子達と一緒に着替えていました。
信ちゃんは見たのでした。
「こんなかったでえ。」と近くの短い草をむしって投げました。
風の中に、陰毛に見立てた綿毛が舞ったのでした。

(つづく)
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