さなさん
第二話 仕事の依頼
江田島湾に白い筋が一本、江田島に向かってのんびりと伸びていきます。
高田から湾を挟んで向かいの江田島まで、1日3往復する渡船です。
昼の便が出たばかりです。坂道を、子供が身体を前のめりにして登ってくる姿が見えます。
島の子供達は、昼ごはんを食べに家まで帰ってくるのです。
菜の花が彩りを添えるこの時期、これから種を撒く段々畑では、
働いている人の姿が、はっきりと見えます。
山からの風が、畦道の生えたばかりの草をなでるように通ります。
空には、鳶が風に乗り呉の山より高く舞い上がっています。
魚の値段は、一番上にあるさなのうちが一番安いという暗黙の了解が崩れる日が、
前触れもなく突然やってきました。
島の魚売り
さなの父光男は、誰もが認める島一番の石工です。
家のある場所どおりの登口という姓でした。
その仕事は、秘密裏に始まりました。
昭和15年の田植え前のことでした。
苗床作りが始まった頃のある晩、海軍の偉い人がさなのうちを訪ねてきました。
村長も一緒でした。
「急な話なんじゃが、あんたの力がどうしてもいるんじゃ。」
村長はそう切り出しました。
島で一番高い能登呂山の頂上まで、道を付けるのが依頼の内容でした。
「村長さんの頼みじゃけえの、断れんじゃろ。やりますけえ。」
と光男は、集まりに行くことを承諾しました。
一週間後、光男たちの待つ役場の大部屋に若い将校がやって来ました。
将校の名前は、伊藤金得。村長から伊藤が紹介され、説明が始まりました。
大部屋から見える桜の古木には、三分ほど花が咲いていました。
時折吹く風は、海風に変わり枝を上下に優しく揺らしています。
畳の上に座った人達の前に、能登呂山全体の測量図が広げられました。
村の者達は、その地図の精巧さに度肝を抜かれました。
部落が切れる辺りから沢伝いに道らしき赤い線が引かれ、
頂上付近に丸印が打たれていました。
標高差400m、俯瞰距離にして5kmと説明がありました。
赤い線の道は光男の家の横から伸びていました。
若い技術将校は学校出たての、見るからにひ弱そうな男でした。
背だけはひょろひょろと高かったのです。
伊藤の細い目は、射抜くような力を持っていました。
そのことが、体つきとは対照的な印象を与えました。
最後まで、道をつける目的は、なぜか省略されていました。
工事の内容、工程、道具の種類と数量、石の他に必要な資材の量、
搬入方法と時期について、細かく的確に説明されました。
(つづく)
第二話 仕事の依頼
江田島湾に白い筋が一本、江田島に向かってのんびりと伸びていきます。
高田から湾を挟んで向かいの江田島まで、1日3往復する渡船です。
昼の便が出たばかりです。坂道を、子供が身体を前のめりにして登ってくる姿が見えます。
島の子供達は、昼ごはんを食べに家まで帰ってくるのです。
菜の花が彩りを添えるこの時期、これから種を撒く段々畑では、
働いている人の姿が、はっきりと見えます。
山からの風が、畦道の生えたばかりの草をなでるように通ります。
空には、鳶が風に乗り呉の山より高く舞い上がっています。
魚の値段は、一番上にあるさなのうちが一番安いという暗黙の了解が崩れる日が、
前触れもなく突然やってきました。
島の魚売り
さなの父光男は、誰もが認める島一番の石工です。
家のある場所どおりの登口という姓でした。
その仕事は、秘密裏に始まりました。
昭和15年の田植え前のことでした。
苗床作りが始まった頃のある晩、海軍の偉い人がさなのうちを訪ねてきました。
村長も一緒でした。
「急な話なんじゃが、あんたの力がどうしてもいるんじゃ。」
村長はそう切り出しました。
島で一番高い能登呂山の頂上まで、道を付けるのが依頼の内容でした。
「村長さんの頼みじゃけえの、断れんじゃろ。やりますけえ。」
と光男は、集まりに行くことを承諾しました。
一週間後、光男たちの待つ役場の大部屋に若い将校がやって来ました。
将校の名前は、伊藤金得。村長から伊藤が紹介され、説明が始まりました。
大部屋から見える桜の古木には、三分ほど花が咲いていました。
時折吹く風は、海風に変わり枝を上下に優しく揺らしています。
畳の上に座った人達の前に、能登呂山全体の測量図が広げられました。
村の者達は、その地図の精巧さに度肝を抜かれました。
部落が切れる辺りから沢伝いに道らしき赤い線が引かれ、
頂上付近に丸印が打たれていました。
標高差400m、俯瞰距離にして5kmと説明がありました。
赤い線の道は光男の家の横から伸びていました。
若い技術将校は学校出たての、見るからにひ弱そうな男でした。
背だけはひょろひょろと高かったのです。
伊藤の細い目は、射抜くような力を持っていました。
そのことが、体つきとは対照的な印象を与えました。
最後まで、道をつける目的は、なぜか省略されていました。
工事の内容、工程、道具の種類と数量、石の他に必要な資材の量、
搬入方法と時期について、細かく的確に説明されました。
(つづく)