故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
さなさん
早起きの読者の皆さんへ。
私が書いた短編小説を、試みに載せることにしました。
ある女性に会ったことをきっかけに書き始めました。
いつしか、筆は勝手に進み、故郷を想う小説に仕上がりました。
故郷の島には、古びた砲台があります。現在は山の中に埋もれています。
小説に書いている内容は、史実と違う部分があります。
フィクションということで、許してください。
タイトルは、「さなさん」です。
時代は、太平洋戦争のころです。
子供達の日常には、今の時代と違うものがありました。
貧しいなかでも生き生きと島の生活を満喫していました。
故郷再生の一役になりたいと載せることにしました。
2014年12月13日
「さなさん」の筆者より
さなさん
-さなさんー
第一話 魚売り
(昭和15年春)
江田島湾の遥か遠く、呉の山に紫色の雲がかかり、
赤く染まり始めています。
夜半から続いた、追い込み漁は終わっています。
港では、石油ランプの灯りを頼りに、朝方男達があげた魚を、
女達が魚箱に投げ入れています。鱗がしわの手に張り付いています。
去年の秋、漁協に入った冷凍庫が作る氷のおかげで、
女達は酒を飲み始めた男達に、
朝ごはんを食べさせられるようになったことを喜んでいます。
「今日も、ええ天気じゃね。何が獲れたかいの。」
鞄を抱えた男が、覗き込みます。
「花見鯛、スズキやサワラのええ型がようけあがっとるんよ。」
と女が自慢します。
造船所の前を、焼玉エンジンのけたたましい音とともに
広島行きの船が、朝日に照らされて高田港に近づいてきました。
気持ちだけ岸から突き出た桟橋から船に板が渡されました。
「気いつけんさいよ。」
船員が、板の上を揺れながら乗り込む乗船客に手を貸します。
人々は恐る恐る渡って船に乗り込みます。それは満潮の時で、
干潮となると、切符売りが伝馬船を漕ぎ乗船客を船まで運びます。
客は、木製の狭い階段を定期船の上まで登らなければなりません。
女達は、魚箱を三段ずつ重ね、振り分けます。
天秤棒で担ぎ始めました。女達は、穴ぼこだらけの乾いた道に、
肴箱から落ちる水の跡を残し、島沿いの道を北と南に分かれて
行きました。
女達は、山の上まで急勾配の道を、ジグザグに歩きながら
天秤棒をしならせて担ぎ上げます。女達は取れたての魚を、
家々の裏口から声をかけながら、売りさばいて行きます。
断熱代わりにかけたこもを開けて、山の女が真剣に値踏みします。
朝とれた魚は、保存がきかないので昼飯のおかずで食べられて
しまいます。たまには、魚は芋や野菜と交換になります。
海の女は、真剣に山の幸を値踏みします。
「魚いらんかい。今朝あがったばかりの魚いらんかーい。」
くったくのない魚売りの女の声と、うわさ話に一時笑う山の女の声が
交錯します。姉さんかぶりのやじろべえが、見え隠れする一本道を
山の上へ、ゆらゆらと上がって行きます。山道のそばのせせらぎには、
せりが青々とのびています。山風から海風に変わり、女達を後押しします。
一番上のさなのうちに来る頃には、魚は少しになっています。
「姉さん、あんまり残っとらんのよ。いつも、よう買うてもらうけえ、
安うしとくけえね。」
「いつも、すまんね。ええあいなめじゃね。あじもくれんね。」
売れ残った魚は、さなのうちに来る頃には半値になるのです。
新鮮さを売り物にする女達の売り残したくない心意気と少しでも
安く新鮮な蛋白源を家族に食べさせたい山の女達の心意気が、
混ざり合って自然とそうなるのです。
山の途中の女達は、段々安くなることを知りません。魚売りの女達は、
昼までに売り切り、空になった魚箱を担いで坂道をまっすぐ降りていきます。
(つづく)