故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

さなさんー21

2014-12-26 05:54:22 | 短編小説

第二十一話 カラス

翌日、血清が桟橋に届きました。
さなはそれを受け取り、急いで坂道を
登って行くのでした。
途中さなは、血清の壜を落としそうになりました。

「優しかの君 ただ独り 発たせまつりし 旅の空。」
さなは、落としてしまいたいと一瞬思っている自分に驚きを隠せませんでした。
血清がなければ、自分が伊藤を看病できると考えたのでした。
医者が待っていました。血清は、伊藤に打たれました。
二日後、いつもの伊藤に戻りました。
光男をはじめ家族全員が喜びました。
女達は、いつもの笑顔を取り戻しました。

「よかったのお。猫のたまちゃんはいだらけ。」
光男も笑えない冗談を言いました。
光男が顔を上げると、兄貴を心配した忠が軒先に立っていました。
さなには、大きな疑問が残りました。おかめの刺青。
そのことは、家族には黙っていました。

夏の終わり、さなは補習のため家から県女に通いました。
坂道を駆け下りる姿は、白いリボンをしたカラスのようでした。
朝早くから農作業に出ている近所の人たちは、
さなが降りていく姿を見ながら、笑顔になり

「カラスが、はやっていくわい。」
と独り言を言うのでした。
さなは、落下傘のスカートが嫌いでした。
お尻が大きいせいだと思いこんでいました。
江田島湾に白い筋が流れていました。
紫色の古鷹山の向こうには、早くも入道雲が出ていました。
風はなく、くまぜみが鳴いていました。

 いつかよき日

伊藤と光男達島人が造ったこの要塞は、まったく無意味な構築物に
なったのでした。
戦艦大和を造った軍港呉をもち、陸軍の要衝の地でもあった広島は、
終戦の年まで一度も米軍の空爆を受けませんでした。
この要塞の重火器は、時折飛来してくる艦載機グラマンを一度だけ
墜ち落としました。
落下傘で能登呂山に降りた米軍兵を、光男たち島人は、
鎌と竹やりで捕虜にしたのでした。
すべての答えは、昭和20年8月6日に米軍機B29から落とされた
新型爆弾でした。米軍は、新型爆弾の被害状況を知るために
京都、長崎、広島をその候補として、最後まで空爆しなかったのです。


1章終わり。

2013年7月26日。初稿作。
2013年10月1日。故郷バージョンとして改訂。
2013年10月8日。故郷バージョン、会話挿入として改訂。
2013年10月17日。時系列を考慮し、校正。
2013年11月5日。1章の最終校正をし、仕上げとする。
2014年10月24日。友人のアドバイスもあり校正、改訂。

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さなさんー20

2014-12-26 05:46:40 | 短編小説

第二十話 おかめ

さなは、伊藤の額にのっているタオルをたらいの水に浸し絞って
額に戻しました。何度も繰り返しました。
冷たくなった手でほほに触り冷ましてあげました。
布団の周りには、寝巻きと着替えが用意してありました。
蒸して寝苦しい夜でした。
月が昇り始め、明るい夜でした。
伊藤は汗びっしょりでした。
さなは、伊藤の身体の背中に手を回し伊藤の身体を前向きに
位置を変えました。
濡れた寝巻きをはがすようにとりました。

伊藤の背中に、顔が浮かんでいました。
そこには、おかめの刺青がありました。
月明かりのなか、さなはそれをしばらく見つめていました。
さなの知らない、およびもつかない伊藤の人生を見たように思いました。
伊藤が、どんなに暑い日でも行儀よく上着を着ていたことを思い出しました。
伊藤は相変わらず弱い息遣いでした。
さなは、新しい寝巻きをおかめの顔を覆うように着せ掛けてやりました。
 おかめ

「伊藤さん、ほんにありがとう。」
さなは、思わず伊藤のほほに自分の冷たいほほを重ねていました。
そして身体を寄せていました。伊藤は相変わらず苦しんでいました。
そっと伊藤の身体を元に戻しました。
タオルを代えて見つめていました。
母がそっと部屋に入ってきました。

「あとは、うちがやるけえ。」とさなに寝るよう、うながしました。
さなはもっとそばにいたかったのですが、母のいうとおり自分の部屋に
戻りました。胸がどきどきしていました。

(つづく)
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