7月27日の朝日新聞夕刊の記事からです。
[あなたのうれしそうな笑い声は、どんな暗闇にも一条の光があることを思い出させてくれました]。
葬儀にカナダのカウンセラー、リンダ・ジンガロさんが寄せた言葉だ。
院長・理事長をつとめた東京都江戸川区のまつしま病院は、
「子宮と地球にやさしい病院」をうたう。
性暴力被害者らの診療に早くから取り組んだ。
昨年6月スタートした性暴力救援センター(SARC)・東京の代表でもある。
実はがん治療中だったが、今年1月に余命宣告されるまで伏せていた。
今年も元旦出番の職員のためにおせち料理を作ったという。
「看護師や助産師などのスタッフと対等に議論した医者」だと、まつしま病院の小竹久美子市長(56)は話す。
「あの事件で、私はようやく本物の産婦人科医になった」。
繰り返し語ったのは富士見産婦人科病院事件のこと。
必要な手術で多くの女性が子宮や卵巣を摘出された事件で、1980年に発覚した。
元患者らが病院側を訴えたが、勝訴確定まで23年。
その被害者同盟の医師団に加わり、カルテを読み解いた。
当時は勤務医。
手を引くよう忠告されたという。
けれども、産婦人科医療は誰のためか、涌きだした疑問は止まらない。
子宮筋腫や更年期障害について集会や雑誌で語るようになった。
「患者の側から見て、医者の自分に何ができるか考えていた」。
被害者同盟代表の小西熱子さん(61)はふり返る。
手術で一度は持ち直し、まつしま病院理事長室に泊まって働き、
「4月までSARCの相談者も診てくれていた」と平川和子SARC事務局長(66)が話す。
「最後までドクターでいたいと昔から言ってました」とおいの戸部隆宏さん(49)。
「すべてに気合が入った人でした」
(編集委員・河原理子)
先日病院の主催のお別れの会がありました。
その日、22年目の開院記念日でした。
開院記念日には、いつもいろいろな分野で活躍される方々の講演会がされていました。
佐々木先生の人生に触れることができ、改めてこの偉大な先生と、もっとお話ししたかったと思いました。
「暴力はゆるさない」
その強い意志に貫かれた人生に圧倒されました。
「すべてに気合の入った人」と身近にみてきた方は、自分の人生は大きな影響を受けたと会で最後に語ってくださいました。
まつしま病院のキャッチフレーズは「子宮と地球に優しい病院」。
「子宮」と「地球」・・・
韻をふんでいて、おもしろい発想だなぁと就職したばかりのころは思いました。
ゆだねることしかできない環境であると同時に、大切に守っていくという発想も大事なんですね。
そして、究極の個人的な環境であるのが子宮であり、究極の背景として大きな環境が地球です。
どちらも大事。
自分の周りの環境はもちろん大事。
大きな視野での環境も大事。
地球をよくしたい、よりよい未来を残していきたい。
それを両側からのアプローチで考えられていた人ではなかったかと思います。
ひたすら自分の情熱で突き進んだ先生の人生を見せていただいたお別れ会でした。
先生に亡くなる前にいただいたアドバイス、忘れません。
私がどん底にあったときに語ってくださった言葉も絶対に忘れません。
知ろうの会の話をしたとき、開業したとき、先生はいつも応援してくださいました。
「誰のための医療か」
先生の信念は、私がいつも思っていることとつながっていると感じます。
「納得の医療を受けてほしい」
「人を幸せにする医療をめざしたい」
「自然と医療は両立する」
そして、私の仕事の中でできることを先生の心を忘れないで頑張っていきたいと思います。
私の仕事は母親支援です。
子育て支援につながる母親支援。
まつしま病院での仕事の中で教わってきたことは、今の私の仕事で財産だと本当に感謝しています。
だから、大事にして、先生への感謝を持って、よりよい仕事をしていく。
それが先生へのご恩返しです。
佐々木先生、ありがとうございました。
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