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Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 1/16

2010年01月19日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、マラソンの高橋尚子さん。

まずは、

南原 「さぁ、高橋尚子さんことQちゃんでございます。おめでとうございます(笑)」
高橋 「おめでとうございます、よろしくお願いいたしま~す。お久しぶりです」
南原 「あ、どうも、ご無沙汰してます。ねぇ」
高橋 「(笑)」
南原 「えぇ~、ま、現役を引退して迎えた2年目の年末年始なんですけども」
高橋 「はい」
南原 「どうやって過ごされたんですか?」
高橋 「そうですね」
南原 「はい」
高橋 「今年ホントに久しぶりというか」
南原 「はい」
高橋 「初めてかもしれないです」
南原 「はい」
高橋 「実家にね、帰りました」
南原 「あら」
高橋 「はい」
南原 「正月じゃあずーっと実家へ帰ってなかったんですか?」
高橋 「帰ってないですね、1月1日というとやっぱり走り初めがあるじゃないですか」
南原 「いや、すいません」
高橋 「フフフフ」
南原 「「あるじゃないですか」って、普通の人はないんですけども、フッフフ」
高橋 「(笑)もうねぇ、あるんですよ」
南原 「あ、マラソン業界はあるんですか」
高橋 「あるんですよ」
南原 「必ず走り初めってあるんですか」
高橋 「必ず走り初めあります」
南原 「な、何やるんですか?走り初めっていうのは」
高橋 「神社に走りに行ったりしますね」
南原 「だいたい何キロぐらい離れてるんですか?」
高橋 「う~ん、走って45分ぐらいから50分ぐらいなので」
南原 「ハッハハハ」
高橋 「(笑)え~と、8キロぐらい」
南原 「8キロぐらい(笑)」
高橋 「はい」
南原 「もっと近い神社があるんじゃないですか?」
高橋 「ハッハハハハ、いえいえ、いつもそこって決めているので」
南原 「「じゃあ皆で行こう」って走るんですか」
高橋 「そうですね、あの、往復すると90分から100分ぐらい走ることになるんですね。ちょうどいい距離・・」
南原 「ちょうどいいですか(笑)」
高橋 「(笑)になるんですね」
南原 「ヤだなぁ~俺」
高橋 「いや、でもね、今年はもうホントゆっくりしました」
南原 「じゃあ初めてですか?年明けて走らなかったの」
高橋 「走らなかったの初めてですね」
南原 「何食べたんですか?そのとき」
高橋 「お雑煮ですね」
南原 「アッハハハ」
高橋 「ハッハハハ、ベタですけど、ハハハハ」

というやり取りで番組はスタート。
南原さんと高橋さんは、これまで何度か『Get』で話をしていますので、番組は和やかな感じで始まりましたが、元日は必ず走り初めをする、というマラソン選手あるある話には、本気でイヤそうな感じだった南原さん(笑)。
中学時代の駅伝部のトラウマは、今年もまだ癒されていないようですので(笑)、南原さんが風を切って走る日は当分来なさそうな感じです(笑)。


その後は、

南原 「今ね、久しぶりに話してみてやっぱりね、あの(笑)、マラソンやってた人ってエネルギー有り余ってるんですかね、どう、どうなんですかね」
高橋 「エネルギーね、有り余ってると(笑)思いますよ」
南原 「ねぇ、僕、現役時代何回かお話させてもらったんですけども」
高橋 「はい」
南原 「もちろん元気だったんですけども」
高橋 「はい」
南原 「走ってるぶんそっちに何か、元気の何十パー」
高橋 「うんうん」
南原 「80パーセント取られてたんで」
高橋 「はい」
南原 「えぇ、何て言うんですかね、もう少し声が落ち着いてたんですけども、今は、すっごいパワーがあるんですね」
高橋 「(笑)発散するところがないんでしょうね」
南原 「(笑)」
高橋 「あの、初め現役終えたときっていうのは」
南原 「はい」
高橋 「いつも多いと60キロ、70キロ走る・・」
南原 「はい」
高橋 「一日で走ってたんですけど」
南原 「はい」
高橋 「大きな部分がなくなってしまうじゃないですか」
南原 「そうですよ、バランスが崩れるでしょ」
高橋 「夜」
南原 「はい」
高橋 「寝るときに、夜中に全身がつっちゃうんですよ」
南原 「はっ?」
高橋 「あの、ふくらはぎはもちろん」
南原 「うん」
高橋 「お腹がつったり背中がつったり脇がつったり」
南原 「うん、な・・」
高橋 「肩がつったり」
南原 「何ですか?それ」
高橋 「たぶん、エネルギーが有り余っていて(笑)、放出できないから、もうグイグイ伸びるんでしょうね、こう動くというか」
南原 「熱がもう中に溜まってるというか」
高橋 「溜まっていて」
南原 「もっとグッと外に行けっていってるのを」
高橋 「行け」
南原 「何にもしないから」
高橋 「何にもしないで」
南原 「何にもしないお雑煮食ってるような状態だから(笑)」
高橋 「(笑)」
南原 「何やってんだと、体が」
高橋 「そう、それでそれが一ヶ月くらいね、毎日」
南原 「うわぁ~」
高橋 「つりました、怖かったんですけど」

というやり取り。
元マラソン選手=元気な人、というイメージが南原さんの中にはあるようで。
以前この番組に弘山晴美さんがゲストで出演したときも同じような質問をしていましたが、弘山さんや、同じく以前この番組に出演したことがある有森さんなどは、そうでもない感じだったけどな~(笑)。
あ、でも、千葉真子さんや谷川真理さんなどは、ものすご~く元気でテンションの高い人でしたので、南原さんのイメージはあながち間違ってはいないのかも(笑)。
それに、今回ゲストの高橋さんも自分で「エネルギーが有り余ってる」と言ってますし、現役を終えてから夜中に全身の筋肉がつってしまったというエピソードも披露してますので、マラソン選手はエネルギー有り余ってるという南原理論は、ほぼ実証されたと言っても過言ではない・・かもしれません(笑)。
それから、高橋さんは現役を引退してから食べる量が減ったとのことでしたが、現役時代の、

高橋 「食べる量が、まったくめっきり減りました」
南原 「あ、食べなくなったんですか」
高橋 「食べなくなりましたね」
南原 「それ食べなくなって寂しい感じなんですか?」
高橋 「いや、皆に「大丈夫?」「Qなんか病気になったの?」「体調悪いの?」って心配されるくらいですね」
南原 「アハハハ、それまでバリバリバリバリ、大体ご飯何杯くらい食べてたんですか?現役時代」
高橋 「昔は」
南原 「はい」
高橋 「お寿司でいうと50貫ぐらい」
南原 「ごっ(笑)・・50貫!?」
高橋 「お肉でいうと2キロくらい、食べてましたね」
南原 「「に、2キロ!?」
高橋 「(笑)普通でした」
南原 「この子いたら生活困るわ」
高橋 「(笑)」

という話も。
ごく普通のことのように肉を2キロも食べていたという話を聞き、マセキの会長のように「に、2キロ!?」とラップしながら驚いていた南原さん(笑)。
現役時代の高橋さんが家にいたらエンゲル係数がかなり高くなり、確かに生活に困ることになりそうです(笑)。
ちなみに、高橋さんがお肉を2キロ食べたのは、試合の1週間前だったそうで。
監督から炭水化物を取らずにたんぱく質を摂って来いと言われ、ホテルのバイキングで焼肉を食べて気が付いたら2キロになっていたとのことでしたが、監督からは「アホかお前は」「試合前にそんだけ食べたら重くなって走れないよ」と怒られ、試合もダメだったとのことでした(笑)。


あとは、
箱根駅伝の話・・東洋大の柏原選手のような「一人エースがいると違いますよね」。柏原選手は「この子には付いていけないというオーラを醸し出している」。
走るオーラは姿が見えなくても感じる。
10人くらい固まって走っていても、呼吸とか足の音とかでよくわかる。
高橋さんも練習で他の選手から5分後れぐらいでスタートして前にいる選手を追いかけていると、「ライオンに追われてるみたいでイヤだ」と皆から言われていた。
他人に負けることよりも手を抜きたくない。そして自分が一生懸命やれてさえいればいい。
監督に「このやろ~、クソっと思って走るんだ」と言われたが、監督やスタッフなどが自分のためにサポートしてくれているのが嬉しいので、「なにクソと思うことがないから思えません」と走りながら監督に言い返したことがある。
という話などがありつつ。
南原さんから、

南原 「僕、シドニーオリンピックをね、高橋選手が走った何日か後に行ったんですよ」
高橋 「あ、はい」
南原 「ずっとこう、ここ走ったんだよっていう線がずっと張ってあって」
高橋 「はい」
南原 「で、メインスタジアム入ったら10万人近い観衆がいるじゃないですか」
高橋 「そうです、はい」
南原 「で、マラソンに関しては、ま、他は競技はね、やってるとあっちこっちトラック競技もやってるし」
高橋 「うん」
南原 「フィールド競技もやってるし、もう同時にいっぺんにやってるんですけども」
高橋 「そですね」
南原 「マラソンに関しては(選手が)入ってきたらみんなそれを止めて」
高橋 「はい」
南原 「ずーっとこう見るわけじゃないですか」
高橋 「そうですね」
南原 「10万人の目がね」
高橋 「(笑)」
南原 「こう一人に注がれるじゃないですか」
高橋 「はい」
南原 「それを僕、想像したらね、ちょっとこうウルッときそうになったんですけども」
高橋 「(笑)」
南原 「ど、どういう気持ちだったんですかね?」

という質問。
疑似体験でウルッときそうになるなんて、南原さんはホントに想像力豊かで感受性が強い人です(笑)。
そんな南原さんですから『はじめてのおつかい』をまともに見てられないというのも納得ではありますが(笑)、それは兎も角として。
高橋さんいわく、34キロから飛び出してその後2位の選手とけっこう離れていたので、いけるかなという気持ちだった。
競技場に入る前に高架を下がると沿道の歓声もなくなり一気に静かになり、そのあと10万人のすごい歓声が耳鳴りのような感じで聞こえてきて、「この喜びをかみしめたい」「嬉しい~」と感動して歓声に浸っていた。
でも、ラスト200メートルぐらいのところで電光掲示板を見たら、2位の選手が真後ろに迫ってきていたので、すごく驚いて全力で頑張った。
1回気持ちが楽になった体はどうにもならなくなり、最後は余裕もなく必死だった。
とのことでした。
う~む、最後の最後に逆転されていたら泣くに泣けないところではありましたが、見事金メダルが獲れて、めでたしめでたしでありました(笑)。


あと、去年の暮れから北海道で農業を始めた。秋に収穫祭とジョギングをする会が出来たらいいと思う、という話。
それから、南原さんからは、「僕、お聞きしたいんですけど、ご両親にね、なんて言われて育ってきたんですか?」「「なんとかしなさいよ」とか小っちゃいとき言われたりするじゃないですか、躾とかいうことに関して言うと」という質問も。
南原さんはこの番組で、ゲストの人にこういう質問をすることが多い気がしますが・・・。
う~む、優さんの将来を考え(スポーツ選手にしたい・・のかな?・笑)、南原さんも♪悩み多~き年頃です♪(song by はいからさんが通るのエンディングテーマより)なのかもしれません(笑)。
ちなみに高橋選手は、親からは「いつまで(陸上なんてやって)遊んでるの、早く勉強して将来について考えなさい」と言われ続けてきたが、それに反発してあまり親の言うことは聞かなかった、とのことでした。
高橋さんの答えは、ちょっと参考にはならなそうな感じでしたので、南原さんの悩みが深まらないことを願いつつ(笑)。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 1/9

2010年01月12日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは青木功さん。

今回は恒例の10の質問でゴルフ話などをあれこれと。
"歳をとってからのほうがゴルフは楽しい?"という質問には「イエス」と答えていた青木さん。
いわく、若いときからずっとやってきて、まだこの歳でもゴルフが出来るというのが楽しい。自分が怪我さえしなければ幾つだって出来る。とのことでした。
で、

青木 「先ほど目の話したけど」
南原 「そうだ」
青木 「1.2から1.5あるんですよ、まだ目は、視力は」
南原 「皆さん、ちょっと聞いて・・(番組が)始まる前にちょっと聞いたんですけどね、青木さんね、視力は1.2から1.5あって、しかも、しかもですよ!老眼じゃないんですよ。普通にね、読んでるんですよ、中学生くらいの距離感で」
青木 「(笑)」
南原 「これ何でそんなに・・あるんですか」
青木 「これはね」
南原 「はい」
青木 「たぶん、真冬でも」
南原 「はい」
青木 「日本の場合は周りはほら、茶色くなってるけどグリーンだけ青いじゃないですか」
南原 「青い、はい」
青木 「あの青いのを見ることによって視力が落ちないんだと思うんだよ」
南原 「昔からね」
青木 「うん」
南原 「木を見たり森を見たりしろとか」
青木 「うん」
南原 「目には良いと言う・・」
青木 「うん」
南原 「良い状況ですね」
青木 「そう、だからホントに、先週も言ったけど」
南原 「はい」
青木 「このゴルフっていうのは俺の天職だよ」
南原 「天職ですよ~」
青木 「(笑)」
南原 「体にも良いし目にも良いし」
青木 「そう、ね」
南原 「けっこうね、歳を取ってくると、もう僕ら世代もだんだんそうですよ、もう老眼鏡かけるのも出てきてるんですよ(笑)」
青木 「ッハハハハ」
南原 「それで何か本読むのも辛くなってきたとかね」
青木 「う~ん」
南原 「だんだん言ってくるんですけども、それ素晴らしいですねぇ」

というやり取りも。
67歳の青木さんは視力が1.5もあって、しかも老眼じゃないのか!?
う~む、いまだ衰え知らずな青木さんにビックリでありました。
それから、南原さんが言っていた、僕ら世代で老眼鏡をかけてるのって、誰なんでしょう?(笑)
内村さんは遠視だと言い張って(笑)老眼鏡はまだかけてないと思いますが、でも、内村さんもたまにはゴルフをやったほうがいいんじゃないのかな?
そうすれば老眼の進行が・・いや、遠視が少しは良くなるかもしれませんので(笑)。


その後は、
自分は運は強いほうだと思う。
ハワイアンオープンの最終日の最終ホールにチップインイーグルを決めて勝ったときも、ピンとグリーンエッジの真ん中に乗せたいという気持ちで打ったらワンバウンドで入っちゃった。
キャディーは9番で打てと言ったが、ピンの上に乗せても下りのラインだと入らないと思い、直感的に考えて打った。
そういう自分の直感の運があると思う。
後からそのときのショットを写真やフィルムで見ても、「あんな素晴らしいスイングしてんのいまだかつて一生に一回しかないよあれ」「なにお前、こんなスイング出来んのかよって感じ」。
獲りたくて獲りたくて仕方なかった日本オープンでは、雨が降ってきて左のラフに入れてミスショットをしたりして、17,8年獲れなかった。
その後やっとタイトルを獲れたとれたけど、まだもう1回という気持ちがあるし、その悔しさがあるから今があるんだと思う。
という話・・何年も前の試合の話を、まるで昨日のことのように話していた青木さん。
そんな青木さんの話を聞き、南原さんは「いややっぱね、青木さんはいい意味で少年っていうか純粋ですね」「いつまでもその純粋の気持ちのまま「上手くなりたい!」「自分の目標を達成したい!」というのを、その情熱を燃やし続けられるの、それが素晴らしいと思うんですけども」と、いまだ現役でゴルフに情熱を燃やし続ける青木さんに、感心しきりという感じでした。


あと、

南原 「6問目、"(ジャック・)ニクラウスと妻には今でも勝てない?"(笑)「イエス」と言いましたけども」
青木 「う~ん、だって」
南原 「奥さんはアレですもんねぇ」
青木 「女房には勝てないのはわかるけど」
南原 「勝とうとも思わない」
青木 「ジャックには勝ててもいいなぁと思うんだけど」
南原 「おぉ」
青木 「あの人と最終日最終組で回って」
南原 「はい」
青木 「1回も勝ってないんだよ」
南原 「あぁ~、一緒に回っててこの人なに・・「上手いな」とか「強いな」とか何を感じたんですか」
青木 「何だか知らないけどね、天敵だねありゃ」
南原 「アッハハハハハ」
青木 「ハハハハハハハ」
南原 「アッハハハハハ、まぁ(笑)」
青木 「だって」
南原 「はい」
青木 「俺がこの一生かかってね、まだやってんだけど」
南原 「えぇ(笑)」
青木 「1回勝ってやろうと思ったら彼は引退しちゃっただろ」
南原 「そうですよぉ」
青木 「俺、勝たずじまいでやって、この人だけだよぉホントに、だから今でも勝てないって言うけど、やるチャンスがないんだからダメだよね」
南原 「そうですよね、もう1回帰って来いと」
青木 「そう」
南原 「来たらいつでも勝負してやるよと」
青木 「3年4年やってないとか言わせないでもう何でもいいから勝ちたいんだよ」
南原 「アッハハハハハハハ」
青木 「1回でもいいから」
南原 「アッハハハハハ」
青木 「うん」
南原 「なるほど」
青木 「うん、ウチのかみさんは一生勝てねぇけどさ」
南原 「うん」
青木 「ジャックはやってきたら勝てんじゃねぇかなって思ってるうちにやめられちゃった」
南原 「あぁ」
青木 「だから借りがあんだよね」
南原 「アッハハハハハハハ、ハハハハ」
青木 「あの人は事業家になっちゃったからもうないんだよ(笑)」
南原 「えぇ(笑)」

という、スポーツ選手らしく負けず嫌いな性格をうかがわせる話や(笑)、英語が苦手だという青木さんの、

南原 「これね、あのゴルフ解説者の人に聞いたんですけどもね」
青木 「うん」
南原 「青木さんと一緒にね、海外回って」
青木 「うん」
南原 「したらね青木さんはね(笑)、日本語で喋りかけてると(笑)」
青木 「そうだよ」
南原 「トム・ワトソンとかに(笑)、「どう?トム調子は」とか言って、「あ、そう」なんて言って(笑)、通じて返ってきてると(笑)」
青木 「だからね、やっぱりね」
南原 「(笑)ビックリしたって言ってますよ」
青木 「長く行ってると」
南原 「はい」
青木 「こういう場面では青木はこう言うふうに喋るとか」
南原 「はい、あ、向こうもね」
青木 「向こうもわかってんのよ」
南原 「はい」
青木 「ほで、「イサオ、英語で喋れよ」って「お前日本語で喋れ」って言うと「出来ねぇ」って言って、俺も「出来ねぇ」って言ってこれで終わりだから」
南原 「アッハハハハハ」
青木 「ね、だからこういうニュアンス」
南原 「(笑)」
青木 「ニュアンスプラス」
南原 「はいはい(笑)」
青木 「コミュニケーションだよあんなのぁ」
南原 「はい」
青木 「うん」
南原 「えぇ~、言ってましたけども(笑)」
青木 「自分勝手のコミュニケーションだから大丈夫だよ」
南原 「ハハハハ」

という、青木流コミュニケーション術も披露(笑)。
日本語と英語で喋ってるのにお互い通じ合うって、いったいどんなコミュニケーションなんだ?という感じですが(笑)、このへんはやっぱり、さすが世界のアオキということなのでしょう(笑)。


あとは、
青木さんやジャンボ尾崎さん、中島さんのように、カラーのある人間がゴルフ界に出てくるともっといいのではないかと期待している。
グリーンの上で死ぬということは、生涯をかけてきたゴルフを汚すことになってしまうし、グリーンは神聖なところだと思うのでグリーンの上では死にたくないが、かといって家や病院で死ぬのもイヤなので、グリーンを出て見えるところで死ねれば男冥利に尽きる。
という話などがありつつ、

南原 「"人生を18ホールに例えると青木さんは今何ホールめですか?"「1番」と」
青木 「うん、まだスタートですよ」
南原 「まだスタート」
青木 「うん、「ナンチャンと今これ話して」
南原 「はい」
青木 「終わって」
南原 「はい」
青木 「ゴルフ行くとまた1番。18ホールたどり着いたときには」
南原 「うん」
青木 「俺の人生終わってるよ」
南原 「あら、じゃあ今の話しを伺って思・・毎回毎回新鮮な気持ちで」
青木 「うん」
南原 「ティーグラウンドに立って」
青木 「うん、だからティーグラウンド立ったときに」
南原 「うん」
青木 「ゴルフというスポーツを創ってくれた神様に、気持ちの中で、グッと目をつぶって」
南原 「うん」
青木 「「俺の人生をかけられるゴルフを創ってくれてありがと」って、こうやって目つぶって、今でも行くもん」
南原 「捧げてると、気持ちを」
青木 「うん、自分のこの「ありがと」って気持ちね」
南原 「・・いや、青木さん、それがやっぱりね」
青木 「うん」
南原 「もしかしたら運の強さの元になってるかもわかんないですね」
青木 「そうですね、それであったならなお幸せだな」
南原 「ねぇ」
青木 「俺のね、うん」
南原 「皆さん、そういう気持ちで行きましょうよ!」
青木 「ねぇ」
南原 「ねぇ~ゴルフやるときには」
青木 「そう」
南原 「僕らもゴルフやるとき、何かね、「今日は行くぞ~!」とか(笑)こう、久しぶりだから(笑)」
青木 「ま、それもいいでしょう」
南原 「えぇ」
青木 「いいんだけどもやっぱりね、神聖な気持ちで」
南原 「いや~」
青木 「(笑)」
南原 「この10問の中に人生が凝縮されてましたね」

という話も。
南原さんは興味深そうに青木さんの話を聞いていましたが、その後のリクエスト曲をかけるコーナーでも、「昨日と今日は同じじゃない」「ゴルフは4日間の競技で1日1日の積み重ねで結果が出る」「今日はダメでも今日は今日で考えろ」「今の状況に応じた自分のやり方っていうのをしたらまた違った自分が見つかるような気がするんだよね」という青木さんの話に、南原さんは「奥深い、面白いですね」と大いに感心の様子。
青木さんの話は、自身の経験に基づくものだけに、どの言葉にも重みと含蓄がありましたので、南原さんがいつも以上に感心しきりだったのもわかりますし、私も南原さん同様ラジオの前で感心しながら(ゴルフはやらないのに)青木さんの話に聞き入ってしまいました(笑)。


あ、それから、番組の最後に南原さんは「今日のゲストは、プロゴルファーの青木功さんでしたが、初めてメディアを通して話を伺いました」と言ってましたので、青木さんとは今回が初対面だったようです(メディアを通して話を伺ったのが初めてということ・・かも??)。
それから、「あの青木さんも1番(のティーグラウンド)に立ったときには、「ありがとう」、ね、という気持ちで臨んでく。「そうするとナンチャンもちょっとプレーが変わるかもわからないよ」とも言われました」という話もしていた南原さん。
今まであっちこっちで仕入れたいろいろな理論の加え、今回は精神的な部分でも青木さんからアドバイスをもらっていましたので、これで鬼に金棒、今度南原さんがゴルフをやるときはスコアアップは間違いなし・・かもしれません(笑)。


ってな感じで、あれやこれやと話に花が咲いていた30分でありました。



『スポーツドリーム』 1/2

2010年01月08日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、プロゴルファーの青木功さん。

お正月の放送らしく、まずは南原さんから、「皆さん、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします」というご挨拶。
そして、ゲストの青木さんとの間でも、

南原 「さぁ、青木さんに来ていただきました。青木さん、新年明けましておめでとうございます!」
青木 「おめでとうございます」
南原 「本年もよろしくお願いしま~す」
青木 「お願いします、こちらこそ」
南原 「ねぇ、さて、青木さんの、ちょっと頬が、えぇ」
青木 「赤いね」
南原 「えぇ、何か」
青木 「お酒飲んでんのかなと」
南原 「アッハハハハハハ」
青木 「ハハハハハハハハ」
南原 「お正月ですから(笑)」
青木 「そらそうですよね」
南原 「いやいやいや、でもね、健康そうなツヤでねぇ」
青木 「えぇ、お陰さまで、あの~体動かすのが好きだから」
南原 「えぇ」
青木 「ちょっと暇さえあれば動かしてるんで」

というやり取り。
二人の挨拶などを聞いていると、南原さんと青木さんは以前から面識があったのかな?という感じですが(以前『Get』のゴルフ中継のときに、現地にいる解説の青木さんとスタジオの南原さんが少し話していたのは憶えてますが)、兎にも角にも、青木さんからお正月ギャグが出たりして(笑)、和やかな雰囲気のなか今年最初の放送はスタートしてました。
ちなみに、青木さんは普段からストレッチをしたり暇なときは歩いたり日常生活の一部として体を動かしてる、とのことでした。


ご挨拶トークのあとは、
娘さんはアメリカ育ちで奥さんもアメリカに住んでいたので、青木家はクリスマスがメインでお正月は普通に過ごしている。
青木さんが予想した通り、去年賞金王になった石川遼選手については、「(ドライバーを振り回すゴルフを)やり通したっていうのがあの子のよさですよ」「やるっていったらやり通す、大したもんですよ、これは」「これはたぶん強くなるんだろうなとは思ったけどね」「若き日の自分をみてるような」「俺の鏡で見てて若い青木功がいるような感じ」。
という話などがありつつ。

南原 「僕は青木さんのプレーで、今CMにもなってますけども、バンカーからのね」
青木 「うん」
南原 「あの、あの出し方」
青木 「うん」
南原 「腕がスーっと先にいって」
青木 「うん」
南原 「やるじゃないですか」
青木 「うん」
南原 「スローモーションで、あれが、マネしようと思ってもなかなか出来ないですね、あれ」
青木 「あれはね、たま~にやる人には無理」
南原 「ハッハハハハハ」
青木 「難しい」
南原 「もう壁みたいなバンカーのところで」
青木 「いや、これは高等技術っていうか、もっと上かな、大学技術っていうか知んないけど」
南原 「(笑)」
青木 「もっと高っいレベルですよ」
南原 「あ、もう技術の上のまた技術で」
青木 「はい」
南原 「なかなか出来る人が・・」
青木 「出来る人はいないですね」

というやり取りも。
興味津々という感じで話を聞きたそうにしていた南原さんでしたが、青木さんからはあっさり「無理」とのお言葉(笑)。
日曜ゴルファーが(南原さんは『Get』があるので日曜日にゴルフに行ってないと思いますが)青木さんのマネをするなんてことは考えないほうがいいみたいです(笑)。
ちなみに青木さんいわく、昔はクラブの種類もあまりなかったので、一つのクラブで色々な打ち方が出来るように細工をしていたそうで。

青木 「ちょっとしたバンカーなんかだったら」
南原 「はい」
青木 「5番アイアンでもバンカーショット出ますからね」
南原 「・・・え?」
青木 「「え?」じゃないですよ」
南原 「アハハハハハ」
青木 「そのくらい技術があったの」

とのことでした。
ゴルフは詳しくないので、5番アイアンでバンカーから出すというのがどれくらいすごいのか私にはよくわかりませんが、南原さんのナイスなりアクションから察すると(笑)、かなりすごいこと・・なのでしょう。
で、こういう話を、自慢するわけでもなく、ごく当たり前のことのように喋っているあたりが、世界のアオキの貫禄という感じでありました。


あとは、
トラブルショットで山の中に入って結果的にボギーになっても、そこからボールが出たことが楽しいし、「やっぱり俺もまだ腕あるな」と満足してる。
引退なんて考えてない。いずれはゴルフが出来なくなるときが来るが、そのときに悔いを残したくない。
OBしたからといって命まで取られるわけじゃないので、開き直って常にプラス思考でいる。
という話などがあり。
愛妻家として知られている青木さんと南原さんの間では、

南原 「夫婦円満の秘訣って何なんですか?結婚なされてもう36年・・」
青木 「うん、もう女房の言うことは全部筋が通ってるし」
南原 「はい(笑)」
青木 「逆らわないことかもしれないな」
南原 「アッハハハハハ」
青木 「ハハハハハハハ」
南原 「(笑)どんなにアゲインスト(の風)が来てもそのまま・・」
青木 「もうダメダメ、逆らえば、一つ逆らったら三つくらい返ってくっからね」
南原 「アハハハハハ」
青木 「やめたほうがいい、うん」
南原 「アハハハハハ」
青木 「ただね、やっぱりさっき言ったでしょ」
南原 「はい」
青木 「プラス思考だって」
南原 「プラス思考ですよ」
青木 「言ってもらえるだけ幸せだなと思ってりゃいいだよ」
南原 「ホントですよ、あ、そうですよ」
青木 「うん」
南原 「相手してくれるだけね」
青木 「そう、うん」
南原 「(笑)」
青木 「で、相手にされなかったら今度はこっちは寂しいしな」
南原 「ハッハハハハ」
青木 「うん、ホントに大変なんだよこれ」
南原 「寂しい(笑)、ハハハハハ」
青木 「お互いに大変だと思うんだよ」
南原 「ハッハハハハハハ」
青木 「うん」
南原 「お互いにね」
青木 「うん」
南原 「でも、やっぱそれほど、それぐらい相手を気遣ってるってことですね」
青木 「そう」
南原 「そんだけ見てるってことですもんね」
青木 「うん」
南原 「「ありがと」」
青木 「そう」
南原 「ハッハハハハハ」
青木 「その言葉ですよ」
南原 「(笑)」
青木 「「ありがと」っていうの出るはずよ、うん」
南原 「(笑)奥様にも使ってるんですか?」
青木 「言いますよ」
南原 「「ありがと」」
青木 「うん」
南原 「えぇ」
青木 「そうすると「自分の都合のいいときだけ言ってる」っていつも言われる」
南原 「ハッハハハ」
青木 「(笑)」
南原 「難しいですもんね」
青木 「難しい」
南原 「えぇ」
青木 「だからやっぱりあの、結婚生活なんていうのはね」
南原 「はい」
青木 「ウチの女房よく言うけど」
南原 「はい」
青木 「我慢だよ」
南原 「なるほど、お互いのね」
青木 「そう」

というやり取りも(笑)。
青木さんの話に、終始笑いっぱなしだった南原さん(笑)。
愛妻家ロードを驀進中の南原さん(笑)としては、青木さんの話には大いに共感して納得、ということなのでしょう(笑)。


その後は、一昨年受賞した紫綬褒章は自分が貰ったのではなく、サポートしてくれる人がいっぱいいて長年やっているゴルフをまっとう出来たから貰えた。
2年連続でエージシュート(自分の年齢の打数でホールアウトすること)で勝てたので、今年も68歳の誕生日の前までに67で回って、もう1回勝つ負けるの試合をやってみたい。
という話などがありつつ。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 12/26

2009年12月30日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは巨人の小笠原選手。

今回は恒例の10の質問で野球話などをあれこれと。
まずは、
巨人のユニフォームは、移籍して入団発表のときに初めて袖を通したときからから違和感はなかった。
日ハム時代は髭を伸ばしたり剃ったりしていたが、バブルヘッド人形(首振り人形)などのグッズを作るときに、「(髭の顔か剃った顔か)どっちにするんだ?」と言われ伸ばし始めた。
という小笠原選手の話などをがありつつ。
"今の自分があるのは社会人時代から支えてくれている妻のお陰だ?"という質問では、

南原  「そして4問目、"今の自分があるのは社会人時代から支えてくれている妻のお陰だ?"」
小笠原「(笑)これね~」
南原  「これね、点点点(・・・)、ちょっと間があって「はい」と」
小笠原「これね~」
南原  「一概には言えないですよね」
小笠原「いや、でも」
南原  「はい」
小笠原「実際そうなんですよ」
南原  「実際はそう、そらそう」
小笠原「実際そうなんですよ、この質問かと思って(笑)」
南原  「アッハハ、急にこれだと思って」
小笠原「う~ん、で、ちょっと悩んだんですけど、ま、でも、ことあるごとに」
南原  「はい」
小笠原「ひと言ひと言が、こう勢いをつけさせてくれたりとか」
南原  「あ~、ズシっと、今までありました?このひと言でちょっとこうグッと来たとか、やってやろうと思ったこととか」
小笠原「う~ん、敢えて」
南原  「はい」
小笠原「厳しい言葉を言いますね」
南原  「あ、そうですか」
小笠原「うん」
南原  「どういう時に言うんですか?」
小笠原「こう、お立ち台立ったりとかしてても」
南原  「はい」
小笠原「ダメ出しが出るときもありますよね、その、お立ち台に対してじゃなくて」
南原  「はい」
小笠原「その、「こんなの普通だ」と」
南原  「うん」
小笠原「「こんなのやって当たり前なんだ」と(笑)」
南原  「ハハハハハ」
小笠原「ま、逆に言えば」
南原  「はい」
小笠原「だからその、どの世界でもそうだと思うんですけど、満足したら終わってしまうと思うんですよね」
南原  「はい」
小笠原「だから多分そういう思いで」
南原  「はい」
小笠原「敢えて厳しく、こう満足させないために言ってるんじゃないかと」
南原  「あぁ」
小笠原「あとはこう、反骨精神っていうのを」
南原  「はい」
小笠原「そうやってこう言われれば誰だってこう、少しはイラっとしますよね」
南原  「そらします、はい、はい」
小笠原「「今に見とけよ」っていう(笑)」
南原  「アッハハハ、じゃあ、いちばんの見方でもあり」
小笠原「(笑)」
南原  「いちばん厳しい査定する人みたいな」
小笠原「えぇ(笑)かもしれないですね、うん」
南原  「(笑)逆に奥さんが「良くやった」って言われたことはないんですか?「あなた良くやったわね」とか」
小笠原「でも、ちゃんとフォローはありますよ、最後には。ただシーズン中はないですよ」
南原  「アッハハハハハ、あ、そうですか(笑)」
小笠原「終わったらやっぱり「1年ご苦労さま」っていうひと言ありますけど」
南原  「えぇ」
小笠原「やっぱり、そのひと言が欲しいですから」
南原  「はい」
小笠原「頑張りますよね」
南原  「そのひと言があって、「うん」わりに「うん」、わりに普通に聞いてるんですけども実はすごい嬉しかったり」
小笠原「「お、よし!」みたいなね(笑)」
南原  「アッハハハハハハハ」
小笠原「ハハハハハハハ」
南原  「いいっすね~(笑)、それいい関係だと思いますよ、えぇ」

というやり取り(笑)。
答えを言いよどんでいた小笠原選手に、「一概には言えないですよね」と言ったと思ったら、すぐさま「実際はそう、そらそう」と、コロリと発言を変えていた南原さん(笑)。
小笠原選手をフォローしようとしていたのだと思いますが、それにしても、変わり身の早いこと早いこと(笑)。
そんな気遣い上手な南原さん(笑)にちょっと笑ってしまいましたが、それはとりあえず置いといて。
サムライと言われる小笠原選手も、奥さんの前では大仏さんの手のひらで右往左往する悟空みたいだな~(笑)。
ただ、それをわかっていながら頑張っている小笠原選手もかなり大人という感じですので、小笠原選手と奥さんは、南原さんの言うように「いい関係」のご夫婦ということなのでしょう。
で、そんな小笠原選手の話を聞いて思ったのが、南原家はどうなんだ?ということ(笑)。
南原さんは日常生活についての話・・ゴミ出し大臣に任命されたとかそういう話はけっこうしていますが(笑)、南原さんの仕事について奥さんがどういうスタンスなのかは、あまり聞いたことがないような・・・。
『その日~』でとし子さんとの別れの撮影のときに、奥さんが子供を連れて旅行に出かけていた、という話は聞きましたが、これも大林監督から伝え聞いた話ですし。
う~む、このへんはまだまだ謎が多い南原家であります(笑)。


その後は、
現在36歳だが、年齢的に厳しいと思ってはいけないというのもあるし、危機感も感じなければいけないという思いもある。
これから先のことを考えたときに、トレーニングや体のケアなどしっかり計画を立てないといけないと考えている。
現役で50歳までというのを目標にしているが、それくらいの目標を持たないと1年でも長く出来ないと思う。
という話などがあり、

南原  「さぁ、そして7問目で、"それでもフルスイングはやめない?"これは「はい」と」
小笠原「まぁあの~、先週の」
南原  「うん」
小笠原「ま、話と繋がってるんですけども」
南原  「はい」
小笠原「「フルスイングには、いろんなフルスイングがある」って言いましたね」
南原  「あぁ言いました、種類がある、はい」
小笠原「うん、だからそういう意味でこう、自分の中で」
南原  「うん」
小笠原「頭の中でこう計算はあるんですね」
南原  「うん」
小笠原「だからこう目一杯振るんじゃなくて、自分のベストのスイングをするということですよ」
南原  「うん」
小笠原「うん、それが出来なくなったらもう終わりですよ」
南原  「これ~、よく、ま、いろんなもんでも、結果よりもまず過程が大事なんだと」
小笠原「うん」
南原  「そこに結果が後から付いてくるもんでっていうんで、小笠原選手もまずフルスイングが・・そこのフルスイングを求めているところに数字が後から、何割何分とか」
小笠原「うん、だから(自分のベストのスイングが)出来れば数字は付くと思いますよ」
南原  「うん」
小笠原「勝手に」
南原  「勝手に、ねぇ~、そのフルスイングの種類を見分けるのも我々のこう楽しみの一つでもあるんですけども」

というやり取りも。
いつか南原さんの口から、「見切ったよ、小笠原のフルスイング」という言葉が聞かれる日も、そう遠くないかもしれません(笑)。


あとは、
野球は苦しいことを乗り越えたあとの勝利の喜びを味わうことが楽しい。
優勝してビールかけをしているときに、裏方の人たちがビールをかけに来てくれが、みんな無邪気に喜んでくれていて、そういう姿を見ると良かったと思う。
個人の結果よりもチームが勝ってみんなが喜んでくれるために、野球はやらなくてはいけないのかなと思う。
野球人生に点数を付けるとしても終わってから付けるものなので、まだ途中の今は点数は付けられない。
毎年危機感を持ちながら1年1年勝負だと思ってやっている。
2000本安打まであと168本だが、個人記録に注目がいってしまうのはイヤなので、なるべく早く(チームが優勝する前に)打ちたい。
早く2000本安打を達成するということは、それだけチームの勝利に貢献してる回数が多いということだし、それだけ打てば最低限チームに対しての貢献は出来る数字だと思う。という話。
それから、その昔骨折していながらホームランを打ったときには「病院行ってドクターに「折れてないと言ってください」と言った」という、"ガッツ"の愛称にふさわしいエピソード。
あと、アテネ五輪のときのテーマソングだった、ゆずの『栄光の架け橋』を聞くと、金メダルを獲って当たり前、全勝で金メダルというプレッシャーの中で戦った当時のことが一瞬にして蘇ってくる。
ああいうもの(プレッシャーと苦しみ)が原点なのかなと思い、何かあったらこの歌を裏方の人に付き合ってもらい歌いに行く。
この歌を聞いたり歌ったりすると、また頑張ろうという気になる。
という初めて聞くような話も披露。
小笠原選手がカラオケを歌ってる姿というのはあまり想像が出来ませんが(笑)、でも、小笠原選手の素顔を垣間見れる貴重な話でしたので、興味深く聞いてしまいました。


という感じで、ふだん野球をやっているときの"寡黙なサムライ"というイメージの小笠原選手とは違い、フルスイングについて雄弁に語ったり、厳しい奥さんの話があったり(笑)、硬軟取り混ぜた話題であれやこれやと盛り上がっていた、今年最後の『スポドリ』でありました。



『スポーツドリーム』 12/19

2009年12月20日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、巨人の小笠原道大選手。

まずは、

南原  「さぁ、小笠原選手です。よろしくお願いします」
小笠原「よろしくお願いします」
南原  「ねぇ、えぇ日本を代表するプロ野球プレーヤーなんですけども、今日は何かこうあれですね、ラフな格好で、えぇ黒のこれ何ですか?ニットにスカルプ」
小笠原「はい」
南原  「ドクロのマークがピッカピカ光ったやつで(笑)」
小笠原「(笑)」
南原  「普段はこういう格好なんですか?」
小笠原「もうホントこういう感じが多いです」
南原  「あ、わりにこうラフな」
小笠原「ラフに」
南原  「感じで、昔のあれですね、あの~プロ野球選手とイメージ違いますね、昔はもう何かもう」
小笠原「いや、もう最近・・」
南原  「ゴルフウェアみたいな感じだったんですけども」
小笠原「はい、最近は色んな、若い子は」
南原  「はい」
小笠原「ファッション雑誌見て」
南原  「あ、ハハハ、そうですか(笑)」
小笠原「やはりこう芸能人の」
南原  「はい」
小笠原「方の」
南原  「坂本選手とか見てるんですか?こうやって」
小笠原「うん、格好真似したりとか」
南原  「はい」
小笠原「けっこう敏感に」
南原  「あ、敏感に」
小笠原「うん」
南原  「流行に」
小笠原「反応してますね」
南原  「小笠原選手はどうしてるんですか?フッションは」
小笠原「ま、たまに本見たりして」
南原  「はい」
小笠原「あとはあの、ウチの嫁さんのほうにお願いして」
南原  「「これ着たら?」」
小笠原「こんな感じであの・・」
南原  「アハハハ」
小笠原「「買ってきて」って言って」
南原  「アッハハハハハ」
小笠原「お願いしてます」
南原  「あ、奥さんに買ってきてもらうんですか」
小笠原「はい」
南原  「あ、じゃあやっぱ一応そういうファッションも」
小笠原「一応あの、確認をとって」
南原  「アッハハハハハ、「オレ間違ってないか」と」
小笠原「そうそうそう(笑)」
南原  「ハッハハハハ、「こういうの大丈夫か?」と」
小笠原「はい」

というやり取りで、小笠原選手のファションチェックをしながら番組はスタート(笑)。
南原さんのイメージの中にあるプロ野球選手のファッション・・ゴルフウェアみたいな格好って、山本浩二さんや田淵さんが現役の頃の話じゃないのかな?(笑)
その時代の選手と今の選手を比べるのもどうかと思いますが、でも、ドクロマークの服をプロ野球選手が着るようになるなんて、角刈りに金のネックレスが定番ファッションだった頃からは想像もつきませんので(笑)、南原さんがファッションの話をしたくなるのもわかるような気がします(笑)。

ファッション話でひと盛り上がりしたあとは、今シーズンを振り返ってあれこれと。
3月に行われたWBCは2,3年前のことのように感じるくらい今年は長いシーズンだった。
WBCに出場するために、昨年の12月から軽いジョギングや体幹運動などをして、1月のスタートからある程度思いっきり動けるように体重管理を心がけた。
日本シリーズは古巣の日ハムと戦ったが、移籍してから3年経っているし交流戦でも戦っているので特別な意識はなかった。
巨人の強さは、一人の選手に頼らず、それぞれの選手が自分の役割ややるべき仕事を全うすること。
皆の力がひとつに繋がったことが結果に結びついたと思う。
という話などがありつつ、南原さんからは、

南原  「小笠原選手やっぱり、前(も話を)聞いたんですけども、スイングをね、フルスイングもいろいろあると」
小笠原「はい」
南原  「ホントのグワーっと、ホントのフルフルスイングと」
小笠原「うん」
南原  「こう、このフルスイングだけどもちょっとこう「技を使うフルスイングがあるんだよ」って前仰ったんですけども」
小笠原「うん」
南原  「今でもフルスイングは何種類かあるんですか?」
小笠原「ま、使い分けてるわけじゃないけど」
南原  「はい」
小笠原「ま、ここは空振りしてもいいなというスイングと」
南原  「はい、ほぉ」
小笠原「絶対に打たなくちゃいけないスイングと」
南原  「はい、ちょっとこの番組コアなファンも聞いてるのでね」
小笠原「うん」
南原  「どう、簡単にどこがどう違うのかっていうのを、ま、見ててっていうのをちょっとこう・・」

という質問も。
そういえば、以前『Get』でも小笠原選手はそんな話をしてたような・・。
そのときにインタビューしていたのは栗山さんだった・・かな?
う~む、かなり記憶が曖昧ですが、南原さんが話を聞いていたらよく覚えていると思いますので(栗さんのときはいい加減に見てるわけでは・・ゴニョゴニョ(笑))、たぶん栗山さんのインタビューだった・・と思いますが、それはそれとして。
小笠原選手いわく、
試合状況やカウント(ゼロゼロのとき)、点差などを見て、空振りをしてもいい場面では、打てると思った瞬間に目をつぶってでもいからとりあえず当たって飛んでくれというようなスイングで目一杯振る。
それは無駄なスイングに近いが、空振りしてもそのときにしっかり振れたというのは次につながるときもある。
多少の力みが出て軌道がズレたりタイミングがズレて空振りしても、目一杯しっかり振っておくとそのズレは修正できる。
空振り出来ない状況のときは、まずはボールとストライクを見極めなくてはいけない。
そして気持ちの中で力の入れ具合が変わってくる。
最初に構えたトップの位置から、インパクト、フォローまで10の力で振るのではなく(最初に話していた目一杯のフルスイングでは全て10の力で振るとのこと)、インパクトの瞬間にマックスの力が入るようにする。
ボールとバットが当たる前ぐらいから力が入っていると、全部の力がボールに伝わる確率が高いし、それが本当は理想の打ち方。
最初から最後まで力を入れて打つと、無駄な力が入っているから逆にボールが飛ばない場合もある。
この二つのフルスイングは、たぶん見た目は変わらないし普通の人が見ていてもわからないと思うが、自分の中では少し変えている。
フルスイングでブレないためには、体幹や下半身を鍛えてどんな体勢でも耐えられるようなトレーニングをしている。
とのことでした。
そんな小笠原選手の話を、「はいはい」「はい」と相槌を打ちながら興味津々という感じで聞いていた南原さん。
私もラジオの前で南原さんと同じく興味深く聞いてしまいましたが、中でも、最初から最後まで10の力で振らずにインパクトの前に力を入れるのが理想の打ち方とわかっているのに、敢えて目一杯のフルスイングをするというのは、素人にはわからない世界の話・・バッティングは奥深し、という感じで興味深いものでした。
それから、

南原  「ま、こう比較してあれですけど、イチロー選手とかはよく、「体が求めてるからちょっとフォームが体に応じてどんどん変わってきた」って言ってるんですけども、小笠原選手はどうですかね?」
小笠原「いや、体はズレるものですから」
南原  「うん!」
小笠原「それをそれを戻すかどうかですよね、そのまま体に合わせてスイングを変えていくか」
南原  「はい」
小笠原「体をそっちに戻すかどっちかです」
南原  「じゃ小笠原選手の場合は・・」
小笠原「戻すほうが多いですね」
南原  「じゃ「ここだ」っていうのがもう決まってる、ここに返ればいいっていうのが」
小笠原「自分の体の位置があって、シックリこないときとシックリくるときっていうのがありますし」
南原  「それは構えた瞬間にこう」
小笠原「いや、歩いてて」
南原  「え!?」
小笠原「普通に座ってても、イヤなときはホントに気持ち悪いですし、体は」
南原  「・・アッハハ、なるほど、感覚的に」
小笠原「うん、あとは」
南原  「はい」
小笠原「一つのスイングしか出来ないわけじゃないので」
南原  「・・は?、はい」
小笠原「いろんなスイングが出来るので、怪我をしていても」
南原  「はい、はい」
小笠原「こういう感じのタイプのバッターの打ち方っていったらそういうふうにやることも出来ますし」
南原  「ちょっと待ってください」
小笠原「結果は別ですよ」
南原  「結果、はい」
小笠原「結果は別ですけど、そういう、まぁあの、引き出しが多いほうがいですし」
南原  「引き出しですよ、これはねぇ、まだまだお話を伺いたいと思うんですけども(笑)」

という話も。
小笠原選手の話に、南原さんはまたまた興味津々、私も同じく以下同文で聞いていましたが(笑)、このあとはご家族の話などをしていて、奥深いバッティング話をこれ以上聞けなかったのがちょい残念でした。
ちなみに、家族の話では、普段は音楽は聴かないが車の移動のときだけ家族が選曲した歌が流されてそれを聴いている。
何だかわからないものが多いが、娘のお気に入りの曲に影響されている。
今までiPodを持っていなかったが一週間くらい前に購入して、曲を入れてもらい今日も新幹線の移動のときに聴いてきた。
という話などがありつつ、

南原  「娘さんがお二人なんですね」
小笠原「二人です」
南原  「はい」
小笠原「はい」
南原  「娘さんの言うことにはもう逆らえないと」
小笠原「もう無理です」
南原  「アッハハハハハ」
小笠原「ハハハハハハハ」
南原  「こんなにプロ野球でジャイアンツ引っ張ってる男が(笑)」
小笠原「(笑)」
南原  「もう家族の中では」
小笠原「はい、ちょっと肩身狭いですね」
南原  「アッハハハハハ、アハハ、いちばん「はい、はい」」
小笠原「はい」
南原  「「仰るとおり、仰るとおり」」
小笠原「そうです(笑)、ハハハハハ」
南原  「ハハハハハ、そこにこう親近感を覚えますね」
小笠原「(笑)」

というやり取りも(笑)。
親近感を覚えるというのは、南原家もそうだからなのかな?という疑問はさて置き(笑)。
小笠原選手は肩身が狭いと言いつつも、幸せ家族であることは間違いなさそうな感じでしたので、娘さんには逆らえなくても全然オッケーということなのでしょう(笑)。


あとは、選手の社会貢献の活動を伝えるゴールデンスピリット賞を今年受賞した。
巨人に来てからタイミングを逃して出来なかったが、来シーズンからまた小笠原シートを設置する。
こういうことは継続することが大事で、地道に細く長く、最後は太く長くを目標にやっている。
という話などがありつつ。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 12/12

2009年12月13日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、元シンクロナイズドスイミング日本代表の武田美保さん。

まずは、

南原 「武田さんです、よろしくお願いします!」
武田 「よろしくお願いいたします」
南原 「ねぇ、今はねぇ、結婚もなされて」
武田 「はい」
南原 「しかも選挙活動も支えて」
武田 「ハハハハ」
南原 「ねぇ」
武田 「こんな人生でいんだろうかと、すごいですね私、もう我ながら」
南原 「ねぇ」
武田 「数奇な人生を歩んでるなと思います」
南原 「現役も大変だったですけど、今もけっこう忙しいですか?」
武田 「そうですね、でも、たぶん私の性に合ってるんですかね」
南原 「あ」
武田 「マグロです、もうずーっと泳ぎ続けないと死んじゃうみたいな」
南原 「(笑)」
武田 「わかんないですけど」
南原 「あ、いつも活動してるほうが」
武田 「そうそうそう」
南原 「僕、だって現役のとき福岡の(世界水泳で)金メダル獲ったの目の前で見させてもらって、あれはねぇ、今でもねぇ、すごい感激しますよ」
武田 「いやもう、あのとき世界水泳のいちばん最初の日程がシンクロからだったので」
南原 「そうですねぇ」
武田 「で、もう日本に私たちの風を送れたなぁと思って」
南原 「あぁ」
武田 「それもおもしろかったですけど」
南原 「はいはい」

というやり取りで番組はスタート。
武田さんといえば、『ナンだ!?』にも何度か出演していましたので顔馴染みの方という感じでしたが、知らぬ間に(私が知らなかっただけでご本人は別に隠してなかったと思いますが・笑)結婚をしてたのか!?
そしてさらに、旦那さんが選挙に出てた!?!?
う~む、時は流れ人は変わっていくんだな~と、オープニングのやり取りを聞いただけでちょいしみじみ(笑)。
武田さんが『NANDA!?』の『最強スイミング王』で芸能人相手に泳いでいたのは、今は昔という感じです(笑)。
ちなみに、武田さんが『ナンだ!?』に出てたときよりさらに前の、南原さんが福岡でぱちゃぽマイクを片手に(笑)目の前で見ていた金メダルについては、武田さんいわく、達成感や喜びはあったけど自分が想像していた100パーセントの喜びはなくどこか冷静で金メダルを獲っても泣くことはなかった、すべて満たされたら頑張れなくなってしまうと思うが、何かが足りないと思いまた頑張ろうと思った、とのことでした。


その後は、10の質問でシンクロ話などをあれこれと(いつもは2週目に10の質問をしていますが、武田さんは今週だけの出演でした)。

"今でも陸上にいるときより水中にいるときのほうが落ち着く?"という質問には「はい」と答えていた武田さん。
1年くらい前まではほぼ毎日水の中に入っていたそうですが、今は水に入ることがホントに減ってしまったそうで、色んな毒が体にある感じがするので「入りたいですね今(笑)」とのことでした。
そういえば武田さんは、以前『ナンだ!?』に出演したときも、「陸に上がると調子が悪くなる」「(最近やっと陸の生活に慣れて)ふくらはぎに筋肉がついてきました」という話をしてたことがあったっけ(笑)。
結婚したりして生活がいろいろと変わっても、長年慣れ親しんだ水の中が良いというのは変わらないようです(笑)。

"我ながら自分は努力家だと思う?"という質問の答えは「いいえ」。
武田さんは、井村コーチから「ドさぼり」と言われていたそうで。
シンクロが大好きで寝ても覚めてもシンクロのことを考えていたら、次第にコーチに怒られない程度に省エネで楽に練習するということも考えるようになったが、コーチからは見抜かれ「計算すんな」と言われた、とのことでした。
そんな話を聞いて、

南原 「いろんな女性コーチに聞いたんですけど、女性が女性を教えるのって、男性には見抜けないとこを見抜いちゃうって言ってましたね」
武田 「そうなんですよね~」
南原 「女性はやっぱり、「わぁ~疲れた」って言いながらお喋りする余力を残してる」
武田 「そうなんですよ(笑)」
南原 「って言うから、その、でもホントに追い込むときはもうそれすらも追い込まないと」
武田 「はい」
南原 「さらに上に行けないっていうね、女性は女性を見抜くって言ってましたけども」
武田 「いやもう」
南原 「見抜かれてたんですか」
武田 「バンバン見抜かれてました(笑)」
南原 「アッハハハハ」
武田 「イヤなぐらい」
南原 「(笑)」
武田 「見抜かれてて(笑)、はい」
南原 「なるほど」

というやり取りも。
南原さんも女性コーチに劣らず鋭い観察眼を持っていると思いますが、南原さんがスポーツのコーチをやることはないと思いますので(笑)、その観察眼はお笑いやスポーツ記者の仕事に生かしてくれればと思います(笑)。


あとは、
オリンピックで獲ったメダルの数や色ではなく、メダルを獲りに行った過程が宝物。
ペアを組んでいた立花選手とは身長差や柔軟性の差があり、求められるオーダーが高い壁で、怒られ続けて超えられないのではないかと思ってきたが、引退試合のときには「立花の足と武田の足とどっちがどっちかわからなくなってたよ」と初めて褒めてもらえて、それで自分の勝負には勝ったなと思った。
という話などがありつつ。

南原 「さぁそして5問目、"2年前に結婚されましたが結婚生活はなかなか良いものだ?"僕にはちっと間があったように思ったんですけども」
武田 「(笑)」
南原 「間があって「はい」っていうふうに」
武田 「(笑)」
南原 「えぇ、なかなか良いもんだ」
武田 「う~ん、すごいささやかですけども」
南原 「はい」
武田 「あの、何て言うんでしょう、今までの自分がいたその武田家の家族じゃなくて」
南原 「はい」
武田 「その血が繋がってない人ではあるんですけども」
南原 「はい」
武田 「何か毎日同じところに帰っていくとか、どっちかが早く帰れば「おかえり」って言って」
南原 「はい」
武田 「もうすっごいささやかなんですけど」
南原 「はい、そういうのが」
武田 「うん」
南原 「良いですか」
武田 「いや、もう単純に(笑)、一人じゃないんだなという」
南原 「そうですよねぇ、一人じゃないぶん、ま、わずらわしいのもあるでしょ?アッハハハハハハハ」
武田 「ハッハハハハハハハ、はい、もうどこまで言ってええねんかなこれ(笑)」
南原 「それはね、それはどこの夫婦もそうですよ」
武田 「はい」
南原 「ね、それが大事ですよね」
武田 「そうですね」

という話も(笑)。
さすが、酸いも甘いも噛み分けてる結婚生活の先輩の南原さん(笑)。
♪何でもお見通し~♪という感じで、ちょっといい話を披露していた武田さんの本音を見抜いたような(これは観察眼というより経験則かな・笑)質問をしていましたが、あまり深くツッこまなかったところが(たんに時間がなかっただけかもしれませんが)先輩の優しさでありました(笑)。


あと、旦那さんが出馬した今夏の総選挙の話では、ホントに自分がやってたシンクロで負けたときよりもっと複雑な心境になった。
自分が頑張れば結果が変わってくるというものではない、どうにもならないことや風で予想外のことが起こるということを痛感した。
勝負をかける前から負けを意識してやってはいけないとずっ信念で持っていたが、前から面識のある人のところに行っても、以前行ったときとは違い「あぁもうこれちょっと負けるのに頑張ってね」と気の毒がられてる空気感を感じてしまった。
という話や、

南原 「すごいっすね、今まで水の中でいたのが、今は風とか空気の中にいるわけですね(笑)」
武田 「ハハハハ」
南原 「よりわからない世界にいるわけですよね、なんかね(笑)」
武田 「えぇ、切ないですよね(笑)」
南原 「いや~、すごい経験してますね(笑)」
武田 「(笑)」

という話などもしていましたが、武田さんは「私やっぱり負けるままでいるのはすごくイヤなので」と、スポーツ選手らしく負けず嫌いな発言も(笑)。
「いつまでたっても4年に1度のサイクルで・・」とのことでしたので(4年経つ前に衆院の解散がないとも限りませんが)、武田さんの戦いはまだまだ続くようです。


あとは、ここまでの自分の人生に点数をつけるとしたら80点。基本的には楽しく今まで送れてると思うが、まだ満たされてない部分を探し続けたいしそれでいいと思っている、という話があったり、リクエスト曲では♪そして~戦うウラトラソ~!♪というあの夏の熱い福岡を思い出す曲(笑)がかかったり。
時おり京都弁を交えながら喋っていた武田さんと、あれやこれやと和やかに話をしていた30分でありました。



『スポーツドリーム』 11/28

2009年12月06日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはビーチバレーの浦田聖子選手。

今回は恒例の10の質問でビーチバレー話などをあれこれと。
1問目の"ビーチバレーは砂の上の格闘技である?"という質問に、「格闘技?・・・う~ん、はい、いいえ?え?はい、はい、はい」と、かなり迷いながら答えていた浦田選手。
なぜかというと、

浦田 「出だしから難しかったです(笑)」
南原 「えぇ、ま、戦いは戦いですよね」
浦田 「そうですね」
南原 「はい」
浦田 「戦う場所ではあるんですけど」
南原 「うん」
浦田 「格闘技となると、相手と何かこう接触があるじゃないですか」
南原 「はい」
浦田 「それをイメージしてしまったので」
南原 「はい」
浦田 「格闘ではないなと思って(笑)、あの・・」
南原 「いいですか、マジメか!」
浦田 「ハハハハハハハ」
南原 「ハハハハ、ハハハハ、そりゃそう、そういう意味じゃないですよ(笑)」
浦田 「(笑)」
南原 「実際に格闘技やれっていう意味じゃない」
浦田 「(笑)」
南原 「K-1じゃないんですから」
浦田 「ハハハ、すいません(笑)」
南原 「でもまぁ、その、そういうやりあう感じは格闘技に近いものがあるんですか」
浦田 「そうですね、はい、やっぱり相手を倒すという意味では」
南原 「倒す」
浦田 「はい、格闘技に近いものがありますよね」
南原 「ね」
浦田 「はい」
南原 「そういう意味で、迷って「はい」」
浦田 「はい」

だったからだそうで。
真面目に考えていた浦田選手に、「マジメか」というそのままなツッこみを、軽~い感じで入れていた南原さんでありました(笑)。
それから、2問目の"観客に見られていると燃える?"という質問でも、

浦田 「もえ~・・はしないですけどお客さんがいるとやる気が出るので「はい」」
南原 「それ燃えるってことなんじゃないかな?と思うんですけど、まぁいいです(笑)」

と、今いちテンポの悪いやり取り(笑)。
浦田選手いわく、

浦田 「燃えるの燃えるを間違えてました(笑)」
南原 「あのね、燃える、ホントに燃えるわけじゃないのよ、マジメか!」
浦田 「ハハハハ」
南原 「(笑)」
浦田 「ちょっと、「萌え~」なほうの萌えだと思って(笑)」
南原 「あ、「萌え~」ってあれ」
浦田 「(笑)」
南原 「火偏の燃えるですよ」
浦田 「(笑)」
南原 「「萌え~」じゃそりゃ、あ、そういうファンも・・」
浦田 「どっちかといえばお客さん側ですよね(笑)」
南原 「あ、そうそう」
浦田 「そういう方もいますよね」
南原 「でも、観客に見られてたほうが」
浦田 「そりゃそうですね、やっぱり日頃からこんだけ練習して」
南原 「はい」
浦田 「やっぱり練習の成果を」
南原 「うん」
浦田 「ま、見てもらうっていう部分では沢山のお客さんが入ってくれたほうが、ホントにテンションも上がりますし、やる気につながります」

とのこと(笑)。
う~む、浦田選手は真面目というより天然?という気がしないでもありませんでしたが(笑)、それはとりあえず置いといて。
浦田選手によると、声を張り上げてお客さんが乗ってくれると、例え「下手くそ!」という声でも「もっとやってやろう」という気持ちになる、とのことでした。
そして、南原さんからの質問には、

南原 「どういう声が嬉しかったですか?今まで」
浦田 「声ですか?」
南原 「(水着の柄の)「レインボー!」とか」
浦田 「ハハハハハ」
南原 「「女豹!」とか」
浦田 「ハハハハハ」
南原 「(笑)」
浦田 「それないですね(笑)、今まで」
南原 「ないですか」
浦田 「でも来たら、面白いですね(笑)」
南原 「「女豹!」」
浦田 「来たって、こう、ハハハハ」
南原 「歌舞伎の声みたいに、「よっ!女豹!」とか何かそういう(笑)」
浦田 「ハハハハ」
南原 「「ナイスレシーブ!」とかそういう声ですか?」
浦田 「そうですね(笑)」
南原 「「浦田!」とかそういうの嬉しい」
浦田 「はい(笑)、ま、でも、いちばん聞こえるのは自分の母親の声がいっちばん聞こえますね」
南原 「はぉ~お母さんなんて声を」
浦田 「いっつも何か「頑張れぇ!行けぇ!」とか言ってるんですけど」
南原 「はい」
浦田 「もうホントに接戦の試合をしたときに」
南原 「はい」
浦田 「いつもはホントに「頑張れ」しか言わないんですけど」
南原 「はい」
浦田 「「浦田ぁ!!」って来たんですよ」
南原 「ハッハハハハハハ」
浦田 「ホントに(笑)」
南原 「お母さんから見たら・・」
浦田 「お母さんが苗字で叫んでると(笑)」
南原 「ハハハハ、「浦田ぁ!」」
浦田 「これ相当力入ってるなと思って(笑)、「プッ」となって、で、気持ちがほぐれて(笑)、何かいいほうに転んだんですけど(笑)」
南原 「あ、そうなんですか~」
浦田 「そればっかりは笑っちゃいました(笑)」
南原 「「聖子」じゃもう何かもう気持ちがいてもたってもいられない」
浦田 「はい(笑)」
南原 「なるほど~」

という話も披露していた浦田選手(笑)。
母親から苗字で叫ばれたら思わず笑ってしまうのもわかりますが、それで気持ちがほぐれいいほうに転んで何よりでありました(笑)。


その後は、
相手が浅尾ペアだからといって試合のやり方を変えることはない。
他のペアと食事に行ったりもする。
以前はバレーボールを楽しくやっていれば良かったが、今は勝負に対して考え方も変わったし日常生活が試合につながるというふうに考えている。
おばあちゃんから「そんな三十近くなっていつまで水着着てやんの」と言われ、ホントに心配されている。
母親からはお見合い写真を持ってこられたこともあった。
試合では流れをつかめなかったりすることもあるが、間が大事なので相手に点数を取られているときなどは、本当は目に砂は入っていないのに「目に砂が入ったのでタオルで拭かせてください」と審判に言い、間を取ることがある。
現時点での人生最大の目標はロンドン五輪出場で、自分自身の成長がここにあると思うのでいろんな課題などがぶつかってきても今は大丈夫な精神力でいる。
北京五輪がダメで正直引退も考えたが、最後の試合で全部出し切ったかと考えたときに後悔が残るだろうと思い、やるからには国内大会だけで満足する選手にはなりたくなかったのでロンドン五輪を目標にした。
ただ、やらなければいけないことが沢山あるのでここからが勝負。
という話などをしつつ、

南原 「やっぱ負けから学ぶことって大きいですかね?」
浦田 「そうですね」
南原 「うん」
浦田 「やっぱり、何故負けたのか、何故勝てなかったのか、その、負けでこう心が折れてしまうんではなくって」
南原 「うん」
浦田 「まだそれを経験していないからこの負けは来たんだと思うように・・」
南原 「ほぉ~」
浦田 「していますね」
南原 「そんときは悔しいですけどね」
浦田 「はい」
南原 「えぇ」
浦田 「はい、ホントに悔しくてもう涙流すときももちろんありますけど(笑)」
南原 「えぇ」
浦田 「その切り替えが大事で」
南原 「うん」
浦田 「まだ、「まだお前には先がある出来るぞ」っていうことで課題がこうドーンと出てくるんじゃないかと」
南原 「なるほど」
浦田 「思います」
南原 「じゃあそのことをね、今度帰省したらおばあちゃんに言ってください」
浦田 「ハハハハハハ」
南原 「アハハハハハ」
浦田 「「まだまだ水着でやらなきゃいかん」って言って(笑)」
南原 「ハハハハ、ハハハハ」
浦田 「言います(笑)」
南原 「ハハハハハ」

というやり取りも(笑)。
真面目なバレーの話をしていても、心配している浦田選手のおばあちゃんのことを忘れないあたり、さすがおばあちゃんっ子(?)の南原さん(南原さんは大人になっても、おばあちゃん孝行の意味も込めてお年玉をおばあちゃんから貰ってると以前言ってたけど、今でも貰ってるのかな?・笑)という感じでした(笑)。


あと、今年いちばんの試合は、2セットめにマッチポイントを取られてから逆転で勝った浅尾・西堀ペアとの試合だったそうで。
「(浅尾ペアに)初優勝飾らせちゃうな~なんて思いながら(笑)」試合をしていたそうですが、マッチポイントの1回目をラリーをつないでしのいだときに「あ、来たかも」と感じ、点数が離れていたにもかかわらずそこから逆転勝利。
今年の試合でいちばん流れを感じた、とのことでした。
で、その試合について、南原さんと浦田選手の間では、

南原 「でも面白い試合ですよね」
浦田 「はい」
南原 「見てるほうは」
浦田 「見てるほうはたまんなかったと思います(笑)」
南原 「ねぇ、もう(浅尾ペアが)初優勝と思ってたら、「え?え?え?」「お~」「わ~」っていう」
浦田 「観客とかで」
南原 「はい」
浦田 「「今日の『すぽると』はもう楽しみだねぇ」みたいなゆう声も」
南原 「アハハハハハ」
浦田 「すごい上がってたそうなんですよ」
南原 「アハハハハ、うん(笑)」
浦田 「だからまたちょっとヒール役になってしまったんですけど(笑)」
南原 「(笑)でも、もうそういうの大事なんですよ」
浦田 「(笑)」
南原 「えぇ、ヒール役・・ま、ヒール役っていうのはそれ大人のやったことですからね」
浦田 「そうですね」
南原 「それ大事です大事です、どっちかがいたらどっちかが立つ、大丈夫です」
浦田 「はい」
南原 「でも、逆にそういう人を応援する人もいるんですよ」
浦田 「そうですよね」
南原 「はい」
浦田 「はい、ありがたいです(笑)」

というやり取り(笑)。
今も昔も、ヒールがいるからベビーフェイスが立つし、その逆もまたしかり。
ミミ萩原とデビル雅美、クラッシュギャルズと極悪同盟(あるいは獄門党)、新日正規軍とnWo・・・あ、それから、忘れてはいけないのが、ポケビとブラビ(笑)。
う~む、こうして見ると、世の中はベビーフェイスとヒールの戦いばかりだな~(ほとんどプロレスですが・笑)
ちなみに私は、ベビーフェイスよりヒール役のほうが断然好きなのですが(笑)、それは兎も角として。
さすがブラビのリーダーの南原さん、いや、南々見狂也、ヒール心がよくわかっている大人の発言をしてました(笑)。


という感じで、笑い声が絶えず硬軟取り混ぜた話で盛り上がっていた30分でした。
ビーチバレーといえば、以前この番組に出演した朝日選手と、女子では浅尾選手くらいしか知らなかったのですが(話に出てきた浦田選手ペアが逆転勝利した試合も、スポーツニュースでは"浅尾ペア初勝利ならず"という取り上げられ方だったので、浦田選手が相手だったとはまったく知りませんでした(ペッコリ45度))、前回と今回でビーチバレーの面白さ、そして浦田選手のこともいろいろ知ることが出来ましたので、これからはこれまでとは違ったビーチバレーの楽しみ方が出来そうです。



『スポーツドリーム』 11/21

2009年12月03日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、ビーチバレーの浦田聖子選手。

まずは、

南原 「さぁ、浦田選手です。よろしくお願いしま~す!」
浦田 「よろしくお願いしま~す」
南原 「ねぇ、あの、僕はいつも水着でテレビで拝見するんで」
浦田 「(笑)」
南原 「何か、今日はワンピースのような・・」
浦田 「ハハハハ」
南原 「えぇ」
浦田 「まとって来ました」
南原 「ハハハハハハハ」
浦田 「ハハハハ、ハハハハ」
南原 「やっぱ、みんなそんな感想受けないですか?「あれ?何かいつもと違う」っていうか何か、「服着てんの?」とか」
浦田 「アハハハハハ」
南原 「そういうことはないですか」
浦田 「そこまでは言われないですね(笑)」
南原 「そこまではないですねぇ」
浦田 「はい、でも、「今日も下に水着着てきてくれてんでしょ?」とはよく言われます(笑)」
南原 「ハッハハハハハ、ハハハハハ」
浦田 「ハハハハハ」
南原 「どんなプレーなんですか(笑)」
浦田 「アハハハハハ」

というやり取りとともに、和やかな雰囲気のなか番組はスタート。
南原さんがいつもテレビで水着で拝見している(笑)浦田選手は、試合以外では水着を着ることはあまりないそうで。
今はシーズンオフなので肌が白くなっているとのことでしたが、肌が白いとビーチバレーの選手っぽくなく「練習してないだろう」と言われてしまう、とのことでした。
そんな、ビーチバレー世間話(笑)のあとは、浦田選手がビーチバレーに転向した経緯やビーチバレーが置かれてる現状の話に。
浦田選手は、以前この番組にゲストで出演したこともある朝日健太郎選手と同じ年にインドアからビーチバレーに転向し、オリンピックを目指すために初めて出来たプロのビーチバレーのチームにいたとのこと。
ただ、プロといっても他に仕事をしながら練習や試合をしている選手がほとんどで、実業団にいた頃のように生活が安定してプレーに集中できるような環境ではなかったそうで。
浦田選手はチームの人が頑張ってくれたお陰でビーチバレー以外の仕事はしていなかったそうですが、今でも日本のトップ4のチームぐらいしか世界を回ることは出来ず、それ以外の選手たちは仕事をしながら練習をしている状況が続いている、とのことでした。
昨今話題になっている仕分け人たちは、こういう現状をわかって「スポーツ予算の縮減が妥当・・云々」なんてことを言っているのか、スポーツは会議室でやってるわけではなく現場で体を張ってやってるんだということもわかっているのか、はなはだ疑問ではありますが・・・この話をし始めると長くなりそうなのでこのへんでやめておきます(笑)。


その後は、南原さんから、

南原 「ビーチバレーっていうの、ま、僕もね、ちょっと体験したことあるんですよ」
浦田 「あ、そうなんですか」
南原 「はい」
浦田 「どうでした?(笑)」
南原 「あのね」
浦田 「中の・・」
南原 「砂が大変」
浦田 「ハハハハ、そうです(笑)」
南原 「砂が目に入ってきたりとか、口に入ってきたりとかね」
浦田 「ハハハハハハハ」
南原 「まずそれがね」
浦田 「(笑)」
南原 「やっててイヤ。アッハハハハハハ、「何?この鼻にいっぱい入ってくる」(笑)」
浦田 「(笑)」
南原 「あと二人っきりじゃないですか」
浦田 「はい」
南原 「めっちゃしんどいですね!」
浦田 「そうですね、今、でも、「砂で動けないからイヤ」って言う人はよく聞くんですけど(笑)」
南原 「アハハハハ」
浦田 「「口の中とかに入ってくるのがまずイヤ」って言うのは初めて聞きました(笑)」
南原 「ハハハハ、ハハハハ」
浦田 「(笑)」
南原 「目とかね、何か入ってくるじゃないですか」
浦田 「はい」
南原 「何?ザラっと、何これ?っていうのが」
浦田 「ハハハハハ、ホントあらゆる・・」
南原 「ねぇ」
浦田 「はい、所に入ってきますからね(笑)」
南原 「あらゆるところに(笑)」
浦田 「(笑)」
南原 「まぁ敢えて聞きませんけども」
浦田 「アハハハハハ」
南原 「あぁそうですか」
浦田 「はい(笑)」

という話も(笑)。
砂が口に入ってくるからイヤって、どんだけ神経質&繊細なんだ?(笑)。
浦田選手がビックリする(笑われる?・笑)のもわからなくはありませんが、でも、南原さんはコンタクトをしてるので、それで余計に砂がイヤだったのかもしれません。
ちなみに、浦田選手もビーチに転向したての頃はあれこれ神経を使っていたそうですが、

南原 「(以前出演した)朝日選手がね」
浦田 「はい」
南原 「性格が変わったって言ってました」
浦田 「はい、変わると思います。私も・・」
南原 「めっちゃ神経質だったのが何にも気にしなくなったって言ってましたけど」
浦田 「(笑)」
南原 「変わりました?」
浦田 「そうですね」
南原 「はい」
浦田 「私もホントに、足の爪とかにも」
南原 「はい」
浦田 「砂が入ってるとかすごいイヤなんで、毎日楊枝とかでお風呂のときに取ってたんですけど」
南原 「はい」
浦田 「やっても次の日入るから「もういいや」ってなって」
南原 「(笑)」
浦田 「だんだん、ホント慣れって怖いですよね、水着もそうなんですけど」
南原 「はい」
浦田 「あれだけ抵抗あったんですけど(笑)」
南原 「あ、抵抗あったんですか、最初は、「何これ~!?」っつって」
浦田 「はい、もうあの、何ていうんですかね、やっぱり大きく足を広げられないんですよね、ダッシュするのにも」
南原 「うん」
浦田 「何か「あれ?」」
南原 「アッハハハハ」
浦田 「ハハハハハハ、思いっきりこれだけ開いたら、ちょっと危ないんじゃないじゃないかという意識が先に出ちゃうので」
南原 「あ、そうなんだ~!?(笑)」
浦田 「(笑)早く走ったりとか前に落とされたボールに」
南原 「ハハハ、ハハハ」
浦田 「思いっきりダイビングとかいうのが出来なくて(笑)」
南原 「「ちょっと大丈夫?アタシ大丈夫?」みたいな」
浦田 「(笑)」
南原 「「カメラ今大丈夫?」みたいな感じで」
浦田 「ハハハハ」
南原 「最初はそうだったんですか」
浦田 「はい」
南原 「それが今では」
浦田 「今では」
南原 「はい」
浦田 「最初はホントは脱ぐこともダメで、Tシャツ短パンで」
南原 「はい」
浦田 「最初練習をしていて」
南原 「はい」
浦田 「いざ海外のワールドツアー回ったときに、脱いだときにものっすごくカッコ悪かったんですよ(笑)、Tシャツ短パン焼けで試合に出て(笑)」
南原 「あぁ~」
浦田 「で、そのときはホントに、やっぱビーチバレーっていうのは経験が必要なので」
南原 「はい」
浦田 「勝てないんですよね」
南原 「うん」
浦田 「日焼けは変な日焼けだわ」
南原 「そりゃそう、はいはい、はい」
浦田 「試合は出来ないしボールコントロールも出来ないしで」
南原 「(笑)」
浦田 「もう「恥ずかい」と思って、それからちゃんと焼いて、ちゃんと練習しようと思ってやっていったら」
南原 「えぇ」
浦田 「やっぱりもう慣れって怖いもんで」
南原 「えぇ、変わってきました」
浦田 「もう、暑けりゃ脱ぐ、みたいな(笑)」
南原 「ハッハハハハ」
浦田 「(笑)」
南原 「ねぇ、(番組の)最初言ってたですけど、何か、日焼けが薄いとちょっと「この娘どうなの?」、それがTシャツ焼けだったら「何これ」」
浦田 「(笑)」
南原 「「何このド素人が」っていう感じですか、周りのかたが」
浦田 「(笑)ホントに恥ずかしかったです(笑)」
南原 「ハハハ、「そんなこと気にしてる」なんて感じで」
浦田 「はい、で、ちょっと強ければカッコつくんですけど」
南原 「(笑)」
浦田 「試合もホント一桁(の得点)とかで負けちゃうくらい弱かったので」
南原 「はぁ~」

とのことでした(笑)。
南原さんもビーチバレー選手になれば、♪ちっちゃいことは気するな・・な性格に変わるのかな?(笑)
もっとも、南原さんが今からビーチバレー選手になることはないと思いますし(笑)、ちゃっちゃいことを気にしなくなったら南原さんであって南原さんではなくなってしまうような気もしますので、今までどおり、デリケートで繊細な(笑)南原さんでいい・・のではないかと思います(笑)。


それから、同じビーチバレーの浅尾選手の話もしていましたが、浅尾選手がマスコミに取り上げられブームになったとき、浦田選手はブラジルで2ヶ月間合宿をしていて全然知らなかったそうで。
そのころ浦田選手は豹柄の水着を着ていたので、

浦田 「(ブラジルから)帰ってきて、たまたま私たちも、その女豹の水着を出したときに」
南原 「はい」
浦田 「(浅尾)美和がそんだけ出ていて」
南原 「グラビアいっぱい出てね」
浦田 「はい」
南原 「はい」
浦田 「何かすごいヒール役になってしまったんですよ」
南原 「アッハハハハハハハ」
浦田 「イメージ的に(笑)」
南原 「「ちょっと待って、私たち今までヒールでも何でもなかった」」
浦田 「はい」
南原 「「どっちかっていうと頑張ってきたよ」と思って帰ってきたら、いきなり女豹で(笑)」
浦田 「(笑)女豹的にも(笑)、イメージが」
南原 「はい(笑)」
浦田 「何か浅尾を食おうとしてるみたいな(笑)」
南原 「アッハハハハ、まぁまぁね、マスコミは」
浦田 「テレビの・・」
南原 「えぇ、そうですよ、わかりやすくするためにね」
浦田 「はい」
南原 「そんときどう思いました?」
浦田 「まぁ・・」
南原 「「喰ってやる」とか」
浦田 「アハハハハ、試合になったらそういう気持ちですけど」
南原 「うん」
浦田 「まぁあの、やっぱりまだまだビーチバレーはね、メジャーではないので」
南原 「はい」
浦田 「お互いに力をつけて世界に通じる選手になっていこうっていう気持ち・・ですよ」
南原 「アッハハハハハ」
浦田 「ハッハハハハハ」

ということもあったとのことでした(笑)。
ちなみに今年はレインボーの水着に変わり、「去年の女豹よりもイメージはとてもいいよねっという声を聞いて、どんだけイメージが悪かったんだって(笑)」というふうになったそうです。


あとは、ビーチバレーは本当に細かい駆け引きがある。
この選手が弱いと思ったらその選手にしかサーブは打たない。
ずーっと狙われてその選手がどういうふうに立て直してどういうふうに切り替えて攻撃するか、というのも見所のひとつ。
ブロックも、真っ直ぐ跳んだり、横に跳ぶと見せかけて真っ直ぐ跳んだり、レシーブの選手と連携して穴を埋める作戦を練りながらやっているので、二人しかいないコートはスペースがあるように見えるけどなかなか決まらない。
「バカじゃ出来ないっていうのをやりながら気付きました(笑)」。
という、ビジュアルだけではなくビーチバレーの本当の面白さはこんなとこにありますよ話(笑)などがありつつ。


次回に続く・・・。



『スポーツドリーム』 11/14

2009年11月26日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは中田久美さん。

今回は恒例の10の質問でバレーボール話などをあれこれと。
まずは、

南原 「さぁ中田さん」
中田 「はい」
南原 「2週目の今回はですね、まずは1問1答形式で、基本的は「はい」か「いいえ」で答えていただきます。ノーコメント無回答は原則なしでございます」
中田 「はい」
南原 「大丈夫ですか、ま、人間的にそうですもんね、間(あいだ)がないでしょ、あんまり中間が」
中田 「ない」
南原 「ないですよね」
中田 「はい」
南原 「(笑)」
中田 「100かゼロですから、ハハハハ」
南原 「(笑)勝つか負けるか、100かゼロだから」
中田 「やるかやられるかの世界ですから(笑)」
南原 「ハッハハハハハ、まぁ大丈夫ですね」
中田 「大丈夫です」
南原 「スパっと答えてもらいたいと思います」
中田 「はい」
南原 「それではまいります」
中田 「はい」
南原 「世界の中田久美さんに10の質問、アタックNo.10」
(『アタックNo.1』の主題歌が流れる)
南原 「第1問、負けず嫌いでは・・」
中田 「イエス(笑)」
南原 「誰に・・いやいや」
中田 「ハッハハハハハ」
南原 「すいません、まだ、こんなの初めてですよ」
中田 「(笑)」
南原 「あのね、クイズ番組じゃないんですよ」
中田 「はい(笑)」
南原 「早押しじゃないんです(笑)」
中田 「すいません(笑)」
南原 「1問目、負けず嫌いでは誰にも負けない?」
中田 「イエス!」
南原 「「イエス」ですね」

ってなやり取りがあったりして(笑)、今回も和やかに番組はスタート。
中田さんが負けず嫌いだというのは今さら聞かなくてもわかってることだと思いますので、中田さんが食い気味で答えるのも当然ではありますが(笑)、でも、その後、

南原 「まず、負けず嫌いでは誰にも負けない?が、もう、負けず嫌い・・で「イエス!」
中田 「負けず嫌い、ただ」
南原 「はい」
中田 「バレーのことに関しては負けず嫌いですけど」
南原 「うん」
中田 「そのほかのことに関しては(笑)」
南原 「うん」
中田 「あんまりそうでもないかもしれない、でも負けず嫌いかな(笑)、すいません(笑)」
南原 「負けず嫌いでしょう」
中田 「ですね」
南原 「アッハハハハハ」
中田 「です」
南原 「ハハハハ」
中田 「負けず嫌いです」

というやり取りも(笑)。
「あまりそうでもないかもしれない」と言ったあと、すぐに自分で否定したのは、一瞬のうちにこれまでの人生を振り返ったからなのか、あるいは、顔馴染みの南原さんの前で見栄を張ってもすぐにツッこまれると思ったから・・なのかな?(笑)
真偽のほどはわかりませんが、最終的にはやはり、負けず嫌いだということに落ち着いた第1問でありました(笑)。


その後は、フジテレビの『すぽ○と』に出たとき、オリンピックの出場権を獲って選手たちがベロベロになっていたので、VTRが流れているときに「「てめーらこの野郎」って言ったら(放送にその声が)そのまま乗っかっちゃった」という、中田久美ここにありという感じの話があったり(笑)。
今の全日本は真鍋監督になって方向性としては非常に共感が出来る。
外国ではブロックは絶対なのに日本の女子バレーは遅れていた。でも、真鍋監督はブロックの重要性を考えている。
(真鍋監督がやろうとしている)ブロックシステムとレシーブのその関係のシステム化みたいなことは画期的なことなので(どう画期的なのか具体的な話が聞けずちょっと残念でした)完成するまで時間がかかると思う。という話がありつつ。
"セッターというポジションはバレーボールの花形である?"という質問も。
中田さんの答えは「イエス」でしたが、

中田 「今となっては花形というふうに言われるますけども、司令塔という言葉が出来てから」
南原 「なるほど」
中田 「なんかこうセッターとか」
南原 「はい」
中田 「サッカーでもね」
南原 「うん」
中田 「うん、そういうふうに注目されますけど」
南原 「中田さんが現役のときはまだ、やっぱりアタッカーの大林素子さんとか」
中田 「うん」
南原 「そっちのほうに皆行きますね」
中田 「勝てば素子のおかげ、みたいな」
南原 「アッハハハ」
中田 「ハハハハハ」
南原 「それをもうイラっとしながら聞いたんですか(笑)」
中田 「「オッケー、オッケー、それでオッケー」」
南原 「アッハハハハハハ」
中田 「とかって思いながら「違うだろぅ」みたいな(笑)」
南原 「アッハハハハハハ」
中田 「ことも思った時期もありましたけど(笑)、ハハハハ」

という、負けず嫌いな性格をうかがわせる話を笑いながらしていた中田さんでした(笑)。


あとは、"ぶっちゃけ外国人選手にも「てめーらこの野郎」と怒鳴ってやりたいときがある?"という質問や(中田さんの答えは「常に」でした・笑)、イタリア人は日本のバレーに興味がある。
ヨーロッパは今レシーブ力にすっごい力を入れてる。という話などがありつつ。
"現役時代の忘れられない痛恨のミスがある?"という質問では、バルセロナ五輪の準々決勝のブラジル戦で、トスを上げたときにセンターラインから足が出てしまい、そこから波がおかしくなり負けてしまった、という話も。
中田さんいわく、(五輪の試合以外で)そういうミスはあってもチームには影響はなかったが、オリンピックではちょっとしたそういうこで流れが(相手に)行ってしまう、とのこと。
そして、

中田 「たぶん私はあの自分のミスで」
南原 「はい」
中田 「メダルを逃したと思ってるんで」
南原 「えぇ~~そうですか~~」
中田 「うん」
南原 「でも、そういうオリンピックになればなるほど、そういうときって何かあるんですよね、何か」
中田 「はい、ねぇ」
南原 「普段何とはなしになることが」
中田 「そうなんですよ」
南原 「はぁ~~」
中田 「それがオリンピックなんですね、これで4年パーですからね(笑)」
南原 「ハハハハハ」
中田 「(笑)もぅ~みたいな(笑)」
南原 「そんとき、あとでチームメイトに何か言ったんですか?」
中田 「言わない」
南原 「アッハハハハハ」
中田 「ハッハハハハハ」
南原 「そこは、そこは強気なんですか(笑)」
中田 「もう・・それ(笑)、もう終わった時点で私のオリンピック終わっちゃったんで」
南原 「あぁ、ま、でもその痛恨のミスがあるから今でもまたバレーボールをね」
中田 「まぁまぁまぁ(笑)」
南原 「熱く、そこで全部もう獲って、ね」
中田 「たぶん金メダルとか獲っちゃってたら」
南原 「そうでしょう」
中田 「もう、たぶん「もういい」とか思っちゃってるのかもしれないですね、逆にね」
南原 「そうですよ、たぶん」
中田 「そうですね、はい」

というやり取り。
ちょっと自虐的に話ていた中田さんに対し、フォローをして気遣いの人という感じの南原さんでありました(笑)。


あと、オリンピックは出た回数ではなく出るまでの過程で経験したことが自分の財産になった。
全日本の監督は、縁や流れなどがあり自分がやってみたいからといって出来ることではないが、これからの人生のモチベーションのひとつとして考えている。
自分の言葉で選手を動かしたいと思うので、イタリアに行って指導者として経験を積んでいるのはすごくプラスだと思う。
それから、イタリアに行って指導しながらも、このチームに勝つためにはどうしたらいいんだろう、どうやったら勝てるんだろうということを考えてる、という話もしてましたが、

南原 「今のところ何か策はありますか?」
中田 「こうすればたぶんこのチームは嫌がるだろうなってことはわかるんですよ」
南原 「例えばどんなことですか?嫌がるのって」
中田 「えぇ~~~!?言えないよ、もうこんだけ苦労してここまで来たのに(笑)」
南原 「アッハハハ」
中田 「久しぶりに南原さんに会ったからって喋れません(笑)」
南原 「それはもうじゃあ重要機密ということで」
中田 「はい(笑)」

とのこと(笑)。
う~む、是非とも中田さんが考えた秘策を聞きたかったところではありますが、さすがの南原さんでも重要機密は聞きだすことが出来ず(お酒の席だったらまた違っていたかもしれませんが・笑)、残念無念でありました(笑)。


その後は、二度と結婚したくないというわけでもないけどどうしても結婚したいわけでもない、という話や、自分の人生を65歳から逆算してあと20年、老後をどう過ごすかまで考えている。
あと7年くらいは勉強してその後指導者になり監督はやっても8年。
バレー界に何らかの形で貢献したいと思っている。
全日本に限らず、子供たちにバレーを教えるなど次世代につなげるというのも仕事のひとつだと思う。
イタリアでは来年の5月までは頑張ってこようと思っている。
(やることがいろいろあって)「大変なんですよ、忙しいんですよ(笑)」。
という話などがありつつ、番組は終了。


南原さんと中田さんは旧知の間柄なだけに、終始笑い声が絶えず和やかな雰囲気のなか、バレーボール話からイタリア話、そして白ゴマの話まで(笑)、2週に渡っていろんな話に花が咲いていた『スポドリ』でありました。



『スポーツドリーム』 11/7

2009年11月22日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、バレーボール元日本代表の中田久美さん。

中田さんといえば、『NANDA!?』に準レギュラーと言っていいくらいよく出ていましたし、バスケレンジャーの試合のときもわざわざ応援に来てくれたりして、南原さんとは顔馴染みの間柄。
ということで、オープニングでは、

南原 「さぁ、中田さんです、よろしくお願いします!」
中田 「お願いしま~す」
南原 「えぇ~ねぇ、中田さんは」
中田 「はい」
南原 「今、イタリアに居るんですか?」
中田 「うん」
南原 「すっごいな~、それ何・・」
中田 「2シーズン目に入ったんですけども」
南原 「えぇ」
中田 「去年と今シーズン」
南原 「はい」
中田 「イタリアのバレーボールチームで」
南原 「イタリアのバレーボールチームで、コーチをしてるんですか?」
中田 「はい、アシスタントコーチをやってます」
南原 「えぇ~~!?」
中田 「ハハハハハ」
南原 「何ですか、ちょっとカッコいい感じですね、「ちょっとイタリアに行ってくる」みたいな感じの」
中田 「(笑)ちょっと何年か前とは違うでしょ(笑)」
南原 「何年か前・・」
中田 「ハッハハハハ」
南原 「まぁよく、何かご一緒させて、お酒の席とか一緒になってね。もうねぇ(笑)」
中田 「(笑)ひどかったですよね(笑)」
南原 「アッハハハハハハハ」
中田 「ハハハハハハハ」
南原 「ひどいってことはないです(笑)、ひどいってことはないです、しっかりしてるんですよ、しっかりし過ぎてる(笑)、し過ぎてる(笑)」
中田 「それ意味わからないです(笑)」

という、旧交を温めるトーク(笑)を交えつつ和やかな雰囲気のなか番組はスタート(『NANDA!?』でもお酒を飲んで・・云々という話をチラっとしてたような記憶が・笑)。
イタリアへ行くことになった経緯の話でも、

南原 「えぇ?何でこれイタリアに渡ったんですか?」
中田 「イタリアに渡ったのですか?」
南原 「はい」
中田 「これは話すと長くなってしまうんですけど(笑)」
南原 「短めでお願いします」
中田 「はい(笑)、あの~(笑)、やっぱり人生の中で」
南原 「はい」
中田 「ちょっと立ち止まる時期ってあるじゃないですか」
南原 「あります、僕、同世代ですからね」
中田 「ですよね」
南原 「はい」
中田 「そういうとき、考えたときに」
南原 「はい」
中田 「「自分はこのままいいのだろうか?」と」
南原 「なるほど、ま、別にねぇ、不満はないけども」
中田 「うん」
南原 「何かちょっと違うんじゃ」
中田 「ちょっと違うんじゃないかなと」
南原 「はい、はい」
中田 「思って」
南原 「はい」
中田 「そのときに、枠からやっぱり出ようと」
南原 「はい、はい」
中田 「で、でもバレーボールで何かこう勉強したいなと思って」
南原 「うん」
中田 「とりあえず、今、世界のバレーで強い、いろんなこと含めて」
南原 「はい」
中田 「イタリアだったので」
南原 「はい」
中田 「イタリアに渡りました」
南原 「これね、ま、僕ら同世代でよくわかりますけども、ね、今のままじゃ、ね、何にも、ね、過不足はないと」
中田 「うん」
南原 「でも何か、この先もだいたい自分の人生わかるわけですよ」
中田 「うん」
南原 「こうなってこうなってこうなって」
中田 「そう、そう」
南原 「「あ~将来全日本の監督になるかな?いや、このままだったらなれないかな」、いろいろ考・・」
中田 「考える、考える(笑)」
南原 「(笑)自分がこう枠組みのなかに入ってる感じがして」
中田 「うん」
南原 「えぇ、それで飛び出してみたくなったんですね」
中田 「もう、そうですね、ちょっと」
南原 「えぇ」
中田 「考える余裕が、孤独になる時間が必要だなと思って(笑)」
南原 「自分を見つめなおす」
中田 「はい」

と、同世代同士で、わかるわかるトーク(笑)。
それから、外国での話では、

南原 「僕も海外で仕事やったときにね、いちばん最初の第一印象でナメられるかナメられないかってすごい決まってくるじゃないですか、そういうのって」
中田 「ありますね(笑)」
南原 「「この人ホントに出来るの?」「どれくらい技量がある」とか」
中田 「(笑)あるある(笑)」

と、今度はあるある話でひと盛り上がり(笑)。
南原さんが海外でやった仕事って・・ナトゥー?それともはっぱ隊のことかな?といのがちょっと気になったりもしますが、それは兎も角として。
お互い旧知の仲だけに、オープニングから二人ともエンジン全開という感じで盛り上がってました。
ちなみに、イタリアでは通訳は付かず自分で何とかしなければいけなかったそうで。
選手とルームメイトになったときには、

南原 「むこう(イタリアでは)、先輩後輩関係ないんでしょ」
中田 「関係ないんです」
南原 「(笑)「中田さ~ん」とか言わないんでしょ」
中田 「「久美ご飯作れよ」みたいな」
南原 「アッハハハハハ」
中田 「「お~い」なんて言って(笑)」
南原 「ハハハ、「アタシが日本でそんなこと言われる立場にあると思ってんの!」って」
中田 「ホントにそういうふうに思ったんですよ(笑)」
南原 「ハッハ、ハハハハ」
中田 「「私を誰だと思ってるのよ!」みたいな(笑)」
南原 「「誰、誰だと思って!15歳で全日本入って、えぇ!?」」
中田 「「アンタとは違うのよ」みたいな」
南原 「アッハハハ」

ということもあったとのこと。
ただ、中田さんが技術的なことを身振り手振りでルームメイトの選手に教えたら、中田さんに興味を持ち出して、インターネットでNakata Kumiを調べて「Kumiはとんでもないヤツだった」ということが、ようやくわかりだしたとのことでした。
それから、イタリアではダメなものはダメとはっきり物を言わないであやふやにすると舐められちゃう、とのことでしたが、

中田 「1回ね、怒ったんですよ、怒鳴ったんですよ、私(笑)、選手に向かってあまりにも(笑)
南原 「な、何をイラついたんですか?」
中田 「ムカついて」
南原 「はい」
中田 「あの、セッターとセンタープレイヤーのコンビネーションが全然合わなかったんですね」
南原 「はいはい、はい」
中田 「で、私は監督に、自分が分析したデータを毎週監督に上げなきゃいけなかったんですね」
南原 「あ、そういう役割を」
中田 「役割を」
南原 「はい、はい」
中田 「で、それだって」
南原 「はい」
中田 「その・・」
南原 「イタリア語で」
中田 「イタリア語でやんなきゃいけないし、で、それを発表するときになったんですよ」
南原 「はいはい」
中田 「で、もう上手く通じたかわかんなかったんだけど、じゃそれを元に練習をしようということになって」
南原 「はい」
中田 「その攻撃をこう練習してたんですね」
南原 「はい」
中田 「したらその選手、アタックを打ってた選手が「クミこれでいいのか?これでいいのか?」って聞くわけですよ」
南原 「はいはいはい」
中田 「「うん、いいんじゃない」って言って」
南原 「はい、はい」
中田 「で、セッターに、「あなたはどういうふうに思ってんの?」って聞いたら」
南原 「はい」
中田 「「ブゥ」って言ったんですよ」
南原 「アッハ(笑)、何ですかちょっと」
中田 「ブゥ」
南原 「ブゥ、ど、どういう意味ですか(笑)」
中田 「「知らない」みたいな」
南原 「アッハハハ、今のイタリア語わかんなくても」
中田 「(笑)」
南原 「何か腹立ちますよ、ブゥ」
中田 「「ブゥ」って言われたら(笑)」
南原 「ハッハ、ハッハ、ハッハ」
中田 「「お前のことだろ」ってことじゃないですか(笑)」
南原 「ハッハハハ、それでブチ切れたんですか」
中田 「ブチ切れて、「あたしが選手ではない、あたしが試合をするわけでもない」
南原 「はい」
中田 「「あなたがトス上げてあなたが打つことだと、それをアタシにいちいち聞くなっ!!」って言ったんですよ(笑)」
南原 「アッハハハハ」
中田 「あ、ティッシュが(笑)」
南原 「今ティシュ(笑)、それはイタリア語で言ったんですか?」
中田 「はい」
南原 「そしたら」
中田 「もう何かコーチがビックリしちゃって、で、私そのまま帰っちゃったんですよ荷物持って」
南原 「ウッ(笑)」
中田 「で、ペットボトル、水のペットボトルをバーン!投げて」
南原 「うわ~とうとう本性を現したんですね(笑)」
中田 「(笑)」
南原 「(笑)溜まりに溜まってた本性を、えぇ、バーン投げた、はい、そしたら」
中田 「「帰る!」っつって言って」
南原 「(笑)」
中田 「そしたら監督もボーっと立ってるわけですよ、「何でクミ怒ってんだ」みたいな」
南原 「(笑)「何だ急にどうした」」
中田 「そうそう」
南原 「はいはい」
中田 「そんで」
南原 「そのあとどうだったんですか」
中田 「そんで私は帰って」
南原 「はい」
中田 「もう収まりつかなくって」
南原 「はい」
中田 「でも午後の練習は行かなきゃいけなかったから」
南原 「はい」
中田 「行ったら」
南原 「はい」
中田 「その二人が」
南原 「はい」
中田 「「ごめんなさい」とは言わないんですよ、また」
南原 「あっ」
中田 「ね」
南原 「はいはい、なかなか・・」
中田 「でも、何か異常にこう近づいて来て」
南原 「(笑)」
中田 「私の髪の毛編んでくれたりとか(笑)」
南原 「アッハハハハハハ」
中田 「ハハハハハハハハ」
南原 「アッハハハ、もうじゃあ言えよ早く「ごめんなさい」、簡単だよと思うんだけど(笑)、ハハハ、ハハハ」
中田 「「大丈夫これ、クミ私がやってあげるわね」みたいな(笑)」
南原 「(笑)「ご機嫌直して」みたいな(笑)」
中田 「そうそう、そんなんで「あ、わかったんだな」と思って(笑)」
南原 「はい(笑)」
中田 「そしたらコーチが」
南原 「うん」
中田 「「何でクミ午前中怒ってたんだ?」って」
南原 「「何でじゃねぇよ」」
中田 「そう「見てたらわかるだろ」って」
南原 「(笑)」
中田 「思いながら(笑)」
南原 「少しずつ」
中田 「そうそう、「こういうふうに思ったからこうだった」って言ったら、「わかった」って、こうスタッフも納得してくれて」
南原 「そっからこう急にグッと親密になるとかあったんですか?」
中田 「うん、そこから選手がみんな私に技術的なことを聞くように・・」
南原 「アッハハハハ」
中田 「これももうエライことになってきちゃったなと思いながら(笑)、監督もいるのに(笑)」
南原 「(笑)、あ、監督無視して、「これどう思う?どう思う?」」
中田 「「クミ今のトスはどうなの?」みたいな」
南原 「アッハハハハハ」
中田 「(笑)」
南原 「おい絶・・あのあとみんな思ったんですよ、「クミ怒らせんなよあいつ」」
中田 「(笑)」
南原 「「あの人怖えぞ」っつって(笑)」
中田 「(笑)」
南原 「「何でブチ切れるかわかんねぇからとりあえず話し聞いたほうがいいんじゃね」とか」
中田 「(笑)」
南原 「そんな話になったんじゃないですか」
中田 「(笑)うん、だから出ないとダメですね」
南原 「言わないと、気持ち出さないと」
中田 「気持ち出さないと」
南原 「そっから急に変わってきたんですか」
中田 「うん」
南原 「やりやすくなりましたか」
中田 「やりやすくなりましたね~」
南原 「ハッハハハ」

というエピソードも披露(笑)。
インターネットに中田さんの経歴は載っていても、性格までは書いてなかったようで(笑)。
気の強さは折り紙付きの中田さんですから(笑)、さすがのイタリア人も、ブチ切れた中田さんを見てさぞかしビックリしたことでしょう(笑)。


その後は、(外国人は)その自信は何なんだろうって思うくらい自分に出来ないことはないと思っている。
全然出来てなくてもミスをしても「そういうときもあるよ」「それがな何か?」という感じなので、外国のバレーは全て数字で判断してデータを元に話をする。そうすると納得する。
外国人は(メンバーから)外されても不貞腐れず「ちょっと休もう」という感覚。
イタリアでは選手を育てるということはせず、即戦力でダメなら切る。
監督もスタッフも選手も同じメンバーで来シーズンを戦うことはまずない。
選手は活躍して自分の価値を高め、強いチームからオファーが来てたくさんお金を稼ぐことを考えていて、チームのために頑張ってる選手はいない。でもまとまる。
(このへんの考え方は)日本のバレーとはまるっきり別物。
という話などがありつつ、

南原 「どうですか、イタリア男性に声かけられたことはないんですか?」
中田 「ありますあります」
南原 「おぉ!?どうします?」
中田 「「ノン パルモ イタリアーノ」って(笑)「私イタリア語が話せません」って(笑)お前話してるじゃないか(笑)」
南原 「(笑)それしつこくこないですか?「お茶でもしようよ」」
中田 「電話番号とか」
南原 「はい」
中田 「聞くから、「私は持ってない」」
南原 「あら~すごいですね、日本じゃなかなかないでしょ?」
中田 「(笑)それ(笑)」
南原 「失礼な(笑)」
中田 「何で、それ(笑)」
南原 「いやいや、いや、日本の男性あんまりしないじゃないですか」
中田 「うん、そういうのはすごい、だから綺麗なものは綺麗って言うし」
南原 「はい」
中田 「良くないものは良くないってやっぱりハッキリ言うし」
南原 「じゃあそういうときに一緒にお茶しようとか思わないんですか」
中田 「思わない」
南原 「何で思わないんですか?」
中田 「えぇ~だってぇ」
南原 「アッハ(笑)、何で(笑)、何で急に胸元を押さえて(笑)」
中田 「ハッハハハハハ」
南原 「まだまだそこら辺はね」
中田 「それは~」
南原 「それまではちょっと」
中田 「う~ん」

ってな話も(笑)。
練習でブチ切れることはあっても、恋愛に関しては乙女心を忘れない中田さんでありました(笑)。


あとは、
イタリアでは音楽に飢えるので朝起きたらコブ○ロを聴く。
イタリアのいいところは、時間に追われるところがなくみんな明るく親切で良い加減なところ。
日本のいいところは、繊細できちっきちっと物事をしてるところ。こんな国はないと思う。
電車の時間が遅れず3分おきに山手線は回ってる、という話をするとイタリア人はビックリする。
監督に言われて練習マッチで試合に出ることもあるが、別料金が欲しいくらい(笑)。
という話などがありつつ、最後は、

南原 「番組ではですね、今回はちょっと面白いんですけども、中田久美さんが愛用する白ゴマを、何とね、お取り寄せをして、えぇ(笑)みなさんにお送りしたいと、ちょっと中田さん呼んでみましょう、中田さんこれどういうことなんですか?」
中田 「これですか?」
南原 「はい」
中田 「もうこの白ゴマ、いろんなものを取り寄せてるんですけど」
南原 「はい」
中田 「そのなかで厳選に厳選を重ねて代表したのがこの白ゴマなんですね」
南原 「はい、これどこの白ゴマ」
中田 「京都の、祇園の白ゴマです」
南原 「これは何ですか、体にいいとか・・」
中田 「セサミン体に、私たちの代は大事ですよ、南原さん!人ごとだと思ってませんか」
南原 「いやいや、大事です大事です、えぇ、だって肌がすごいし真っ白で」
中田 「だから白ゴマですって」
南原 「ホントですか!」
中田 「はい」
南原 「みなさん、そうらしいですよ。祇園のこの中田さん愛飲している白ゴマ」
中田 「はい」
南原 「これはどうやって食べるんですか?」
中田 「例えばですね、私今イタリアに持ってってるんですけど」
南原 「はい」
中田 「トーストしたパンに」
南原 「ほぉ!?」
中田 「バターを塗り」
南原 「ほぉ」
中田 「擂った白ゴマを乗っけて食べる」
南原 「ホントにぃ!?」
中田 「ちょっとこれホントに美味しいんだって!」
南原 「えぇ~~!?」
中田 「ホント美味しいんですよ」
南原 「バターに白ゴマですか」
中田 「はい」
南原 「これ、香りがフワっとして」
中田 「はい」
南原 「ちょっ、ちよっと和風なんですか、あ、これやってみよ」
中田 「バターピーナッツですよ」
南原 「あ、バターピーナッツ」
中田 「ピーナッツ系の・・」
南原 「はぁ~~ちょっと甘い感じで」
中田 「甘いゴマの香りと」
南原 「へぇ~~~!?」
中田 「ハマってるし(笑)」
南原 「いやいや、あまりにも(笑)」
中田 「(笑)」
南原 「今までにないものだったので」
中田 「(笑)」
南原 「へぇ~~~」
中田 「これね、ホント試してみてください」
南原 「はい、是非そうします、はい」

というやり取りで番組は終了(笑)。
食べ物の話で盛り上がってる様子は、まるで丸の内のOLみたいだな~(笑)。
そんな二人のやり取りを聞いて思わず笑ってしまいましたが、中田さんの白ゴマ話に興味津々という感じだった南原さんは、早速トーストに擂りゴマを塗って食べてる・・のかな?
セサミンパワーで70歳を過ぎてもエベレストに登る・・ことはないと思いますが(笑)、中田さんのように白ゴマを食べてこれからも元気にやっていってくれればと思います。


次回に続く・・・。