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Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 1/30

2010年02月03日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、車椅子バスケットボール日本代表の京谷和幸選手。

まずは、京谷選手の経歴の話・・・小学校2年からサッカーを始めて'93年のJリーグ開幕の年にプロサッカー選手としてデビューしたが、その年に交通事故に遭い引退。
最初は肋骨の辺りが痛かったのでそれが治ればすぐに復帰できると思っていたが、時間が経つにつれ足の異変に気付き、奥さんが忘れていった日記を覗き見したりして自分は脊髄損傷だということがわかった。
事故に遭ったのは結婚式の衣装合わせをする日で、入院してから11日後に奥さんと入籍。
最終的に(下半身不随だと)宣告されたのは入院してから2ヵ月後でその間葛藤もあったしこれからどうしていいかわらないという思いもあったが、とにかく彼女を幸せにしなきゃいけないという思いが先だった。
入籍が立ち直るきっかけになったし、入籍していなかったら何もなかった。
車椅子バスケットを始めたのも、奥さんが市役所に障害者手帳を交付行ったときに受付の人車椅子バスケットの選手だったことがきっかけだった。
現在所属する千葉ホークスの車椅子バスケの練習を最初に観に行ったときは、「何だこれは」「これは無理だ」と思った。
いちばん最初に驚いたのはタイヤの焦げる匂い、そして車椅子同士が当たる金属音。
転んでもそれぞれ自分で起き上がって自分で車椅子乗ってるのを見て、リハビリで退院した自分からしたら「こんなのありえない」と思った。
最初の1年はついていくのがやっとで、正直やりたくないという気持ちのほうが大きかったが、名古屋の国体に一緒についていったときに他の選手たちの「ラーメン食べに行こうぜ」と言って食べに行く行動力や、エレベーターがなくても車椅子でエスクレーターを上がっていく姿、試合前のミーティングで自分がサッカーをやっていたときよりも細かい戦術的な話をしているのを聞いて、少しずつ変わっていった。
・・という話などがありつつ。
南原さんからは車椅子バスケについて、こんな質問も。

南原 「あの、大きさは変わらないんですよね、バスケットボールと、普通のバスケットボールと」
京谷 「そうですそうです」
南原 「コートの大きさも同じですし」
京谷 「ゴールの高さも、3ポイントラインもフリースラインも全部一緒ですね」
南原 「あの~、あれでしょう、だって3ポイントとかね、ゴールの高さって、立ってる高さと」
京谷 「はい」
南原 「目線の高さって、えらい遠くに感じますよね」
京谷 「「無理」と思いますねやっぱり、「高けぇ!」と思って」
南原 「そうですよね」
京谷 「「遠い」と思ったし」
南原 「僕、この間バスケットの試合観に行ったんです、で、3ポイントとかシュート打つときにね、皆さん膝とか」
京谷 「はい」
南原 「股関節で、クッとこう入れてから」
京谷 「はい」
南原 「こう伸び上がるようにピュっとこう」
京谷 「はい」
南原 「入れてるんですけど、あれ、どうすんですか?」
京谷 「あれは、ま、それが出来ないので」
南原 「はい」
京谷 「まぁ、車椅子って惰性があるじゃないですか、ちょっと前にこう」
南原 「はい、はい、あ!?」
京谷 「その」
南原 「おぉ!?」
京谷 「ちょっと前に」
南原 「おぉ」
京谷 「少しそのスピードが、あんまり速いとちょっと距離感がつかめないので」
南原 「えぇ!?」
京谷 「少~しこう自分のタイミングっていうか、自分の感覚で車椅子を少し前に出してシュートを打つとか」
南原 「あっ」
京谷 「助走をつけるというか、勢いをつけるというか」
南原 「へぇ~~~」
京谷 「もちろん近い距離だと止まっても打てますけど」
南原 「へぇ~~~」

京谷選手の話を聞いて、いつものように感心しきりという感じだった南原さん(笑)。
惰性を使ってシュートを打つというのは、確かに「なるほど」な話でしたので、車椅子バスケ素人の私もいつものように(笑)南原さん同様ラジオの前で感心してしまいました。
それから、南原さんがこの間観に行ったバスケットの試合というのは、たぶん佐古選手の試合のこと・・でしょう。
佐古選手の試合のことを引き合いに出さなくても、南原さんは元バスケレンジャーなんですから(笑)シュートを打つときの体勢などはわかってると思いますが、さすがにここでバスケレンジャーの話をするのははばかられたようで(説明すると長くなりそうですし、南原さん自身忘れてたかも・笑)。
残念ながら(笑)南原さんが元バスケレンジャーだったという過去は、京谷選手には明かされませんでした(笑)。


その後は、
同級生だった元ジュビロ磐田の藤田俊哉選手の結婚式に行ったときに、日本代表クラスのJリーガーたちが集まりW杯の話で盛り上がっていたが自分ひとり取り残され、「こいつらと同じ土俵に立ててねぇな」と思い「何かかっこ悪いと思った」。
こいつらと同じ土俵に立つためには競技は違っても日の丸つけることだと思い、日の丸への憧れや誇りを思い出して、よーしやってみようと思った。
パリランピックの日本代表の通知が来たときは奥さんと乾杯。
シドニーのパラリンピックで地元のオーストラリアと試合をしたときは、すごい歓声で初めて地鳴りを経験し、やっとこの舞台に帰ってこれたと思い感慨深かった。
怪我をする前の自分は、わがままで自己中で傲慢、他人を認めないし自分より上手い奴いないと思って人の助言も聞かなかった。
でも、怪我をしたあとは、今まで自分が出来なかったことをしようと考え、他人を認めて褒め、他人のためにということを考え盛り上げてみようと思うようになった。
最初は(そういうことを言ったりやったりすると)ムズムズしたが、人のために何かしてあげると「サンキュー」という言葉が返ってきて些細なことだがそれが嬉しかった。
人のために何かしてあげるとそれだけのものをもらえるし、褒めたら自分に戻ってくるのでいい相乗効果になった。
という話。
それから、京谷選手のことを映画にした『パラレル』が、各地でホール上映されている。
映画を通して自分の見れなかった妻の感情や心情などを知ることが出来、妻に対する思いが変わってきた。
という話などがありつつ。
番組の最後には、

南原 「奥さんの好きな食べ物が、えぇ、奥さんの作るカレーライスがいちばん好きだっていうのは、はい」
京谷 「そうですね、まぁ、妻が作らなくてもいいんですけど」
南原 「どういうことですか」
京谷 「自分が作ってもいいんですけど」
南原 「『パラレル』から」
京谷 「ハハハハハハ」
南原 「『パラレル』から亀裂走っちゃうよ、そんなこと言・・なに」
京谷 「アハハハハハ」
南原 「カレーが好きで、えぇ」
京谷 「そう、とにかくカレーが好きで」
南原 「えぇ、子供か!アッハハハハハ」
京谷 「ハハハハ、何でしょうね、朝昼晩カレーでよくて、一週間カレーで、カレーの味が好きなんでしょうね、たぶんね」
南原 「あぁ~」
京谷 「たがらカレーライスでずっときて、ちょっと飽きたらカレーうどんとか、カレー焼きそばにみたいな感じにしたりとか」
南原 「(笑)」
京谷 「カレーでいいんですよね」
南原 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
とにかくカレーが好き、という京谷選手に対し、「子供か」という南原さんのツッこみは、オーソドックスながらも正鵠を射ってる言葉だったように思います(笑)。


来週に続く・・・。




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