ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

田んぼアートと のぼうの城

2013-10-01 09:02:06 | 食楽・年金ライフ 
埼玉県の北東部にある行田市は、利根川と荒川に鋏まれた低地帯にある。
稲作が伝わった縄文時代に、低地の特性が地域文明を大きく発展させた。
古墳時代には相当大きな集団があった事を、古墳群の存在が教えている。
五世紀後半から七世紀にかけて、市内の数か所に古墳群が築かれている。
その代表的な埼玉(さきたま)古墳群は、埼玉県名発祥の地になっている。
そこは「さきたま風土記の丘」として整備公園化され、多くの人々が訪れる。

近くには植物園的な「古代蓮の里」があり、1500年の眠りから覚めた古代
蓮「行田蓮」をはじめ、日本と世界の蓮が数多く栽培・展示されている。
そこのオニバスは、私たちが保護している北川辺のオニバスの弟分らしい。
園内には高さ50mの展望棟があり、関東平野と周辺の山々を一望できる。
この日、400円を支払って展示室を見学し エレベーターで展望室に上った。
蓮の花が終わった今は、水田をキャンパスとした「田んぼアート」が目玉だ。
異なる七種類の稲を田圃に植え付け、その色彩の違いでアートを描くもの。
今年のアートは、古代ロマンをイメージした「古代蓮の精」 を描いたという。

また行田は、ひげ爺が住む北埼玉の郡都だったので行政出先機関が多い。
江戸時代は「忍(おし)」と云い、徳川家直参による10万石の城下町だった。
そのまた昔、秀吉の関東征伐に際し 最後まで落城しなかった所でもある。
水攻めの攻防は、小説や映画の「のぼうの城」によって有名になっている。
『題名の「のぼう」は、デクノボウのノボウなのだが・・』 と、ひげ爺の独り言。
町人町の「行田」に統合されて、武家町「忍」の名は あまり使わなくなった。
コメント
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