高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

複合汚染

2020-12-23 15:33:11 | 日記

高校生の頃(はや半世紀も前にもなるとは驚きを禁じ得ず)、都市の公害問題、あちらこちらの森林伐採などで自然保護活動が盛んでした。高校があったのは、京浜工業地帯の工場が林立する千葉市の丘の上でした。「光化学注意報」が発令され、それこそ不要不急の外出はしないようにと広報車が街宣する横を通って通学したものでした。東京湾では背中が曲がった魚が釣り上げられ、水俣病や窒素公害も最中でした。

 私は高校入学して山岳部に所属したのですが、当時、尾瀬ヶ原へ大規模林道建設が持ち上がり、大きな自然保護活動が始まりました。私もいてもたってもいられず、千葉県高校生自然保護の会という任意団体を立ち上げて初代代表となり、2年生の夏合宿後に休部して反対運動をはじめ、ご当地、群馬県や東京の仲間を見つけ、関東高校生自然保護連合会なるものも作りました。 運動は大きなうねりとなり、厚生省から環境庁(どちらも当時名)が分離され、初代長官の大石武一さんが、林道建設中止の英断を下しました。

そんなころに出版された有吉佐和子さん著の「複合汚染」という名著があります。どのような内容だったのか、正直覚えてはいませんが、貪るように読みました。

昨今、身の回りで、放射性廃棄物の最終処分場問題や新幹線トンネル残土から有害物質が出たこと、河川の治水拡張工事など、再び「公害(性)」問題が噴出しています。

 廊下の書棚のどこかに単行本があるかもしれないですが、初心に戻るつもりで、再度手に入れました。

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ナツメロ

2020-12-23 15:26:19 | 日記

ナツメロって死語か? 「懐かしメロディ歌謡曲」。 私が中高生の頃の年末は、懐メロ特集がTV特番であったな。春日八郎はまだ物心付いていない頃でしたが、船木一郎等が全盛期(私は幼児頃か・・)、昭和30年代あたりの昭和歌謡が多かったようで、懐かしさなどは感じることはなかった。歌謡というものは、多感期の中高生辺りに聴いた曲が一生涯、ココロに残るものらしく、私にとっての懐メロは、昭和40年代後半(1970年代)になるのかな・・。 「夜のヒットパレード」の全盛期だな。 グループサウンズ真っ盛り、ニューミュージックと言われた歌謡やフォークソング時代が中高でした。

友人のMRGさんが、そのくらいの時期の昭和歌謡を集めたCDを作って、誕生日プレゼントをしてくれました。今日はカミサンと買い物ドライブがてら2,3時間ずっと聞いていました。 まさに「懐かしのメロディ」であり、歌詞はすべて覚えてはいないものは、メロディはバッチリと脳内に収納されておりました。 それにしても、生々しく、今時は、こんな歌詞だとセクハラまがいで訴えられてしまうんじゃあないかな・・恋の奴隷@奥村チヨ、ゆうべの秘密@小川知子・・・というものもありますなあ・・・。

ヒデとロザンナ@愛の奇跡・・、イタリアからきた歌手。外国人歌手が日本語で歌うこと自体が衝撃記憶。たしか、ふたりは本当に結婚したものの、旦那のヒデさんが亡くなった。 MRKさん情報によるとロザンナはイタリアン食材の通販番組で今も頑張ってるよ、とのことです。

愛の水中花@松坂慶子  網タイツで歌うセクシーさに青少年はドキドキしたもんだ・・。 襟裳岬@森進一が年末でレコード大賞か歌謡大賞を取った翌春に私は北海道に移住(大学進学)して、入部した山スキー部の新歓合宿で5月に静内へ行き、「ホントに何もないなあ~!」と感じました。あれから半世紀近く北海道に住み、5月はとてもたくさんの生命の躍動が始まっている楽しさ、嬉しさを感じることができるようになりました。

あの頃の昭和歌手達は、亡くなった人もいるでしょう。 いい婆さんや爺さんになっている人もいるでしょう・・。 最近は懐メロ番組はあまりみかけなくなったが、高齢者社会なんだからやって欲しいもんです。

今の若者が昨今流行りの歌に「懐メロ」感を持つ50年くらい先は、いったいどんな世界になっているんだろうなあ。

 

 
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