高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

やっと春実感

2019-05-02 13:00:21 | 日記

「朝5時に漁師さんから、生シラスいるかい?」と連絡が入ったよ。とカミさんに起こされた。もちろん、取りに行きますと応えてと頼んで7時半過ぎに前浜まで受け取りにゆきました。 毎年この時期の恒例です。 2日前にももらったそうですが、もう一回りも大きくなっているとのカミさんの感想でした。ちょっと苦味がでてきていたので、この大きさが限界かな。 しかし、白飯にぶっかけて酢醤油でかぶりつく旨さは 春到来です!!

かえりがけに寿都神社に寄りました。ソメイヨシノも満開でした。

帰りがけに車に乗ろうとしていると、宮司さんが走りより、昨年にここで仮祝言の祝詞を上げてもらった息子夫婦が読み上げた聖宣詞の原稿を頂きました。11月にネパールでも、たぶんヒンズー教で式を挙げる予定なので、持って行ってやろうと思います。

              

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RQ災害救援

2019-05-02 12:50:09 | 震災支援・脱原発・環境問題

元号が平成から令和に以降する記念すべき?大型連休を使い、RQ災害教育センターの合宿を4月29日から5月1日にかけて、代々木に全国各地のRQのキーパソンがあつまり、災害救援体制づくりについての「手引き??」を作ろうと佐々木代表の声がけで、九州、中四国、中部東海、東京、東北、北海道から集合し、2泊3日の合宿をしました。

改めて、自然学校を中心にしたアウトドア活動をしている私たちの強みを再確認し、災害が発生した後に我々の強みを生かした救援センター=市民救援ボランティアセンターを現地に立ち上げる手順というか手引きになるモノを作ろうと章立て議論をしました。

鹿児島大の井倉先生がまとめたメモ書きを元に 私なりの覚書を・・・

 

昨年の北海道胆振東部地震の支援には私は直接は赴かなかったが、2011の東日本大震災での釜石支援を改めてふりかえり、たぶんまだ私自身が生きているうちにも起こうる可能性が高い災害について考える良い機会になりました。3.11では、当時ぶなの森自然学校のスタッフであった柏崎未来さんが釜石出身であり、実家が海辺にあることもあり、原発事故の情報もある中、逡巡は多少ありましたが、誰にも相談することなく、私に一存決断で現地へと3月12日には向かった。NPOねおすの定款ミッションには「災害支援」があるので、いわば理事長判断でことを起こせた。(これは阪神淡路大震災の時にすぐに初動できなかった反省もありNPO立ち上げ時に活動ミッションとして掲げたのでありました)

東日本大震災当時には、すでにRQ市民災害教育センターは組織としてあり、宮城県を中心にRQの災害救援活動が初動され、全国の自然学校、野外活動団体は集結して行ったが、私たちはそのまま釜石支援として ねおす北海道ボランティアセンターとして、独自にボラセン運営を形成してゆきました。あの時はそれが私たちにとってベストの選択であったと思います。この度の東胆振での震災支援でも、ねおす仲間のいぶり自然学校がまっ先に現地入りして、現地社協とボラセン立ち上げをし、主に子どものケアの場づくりを展開した。RQとしての全国支援体制構築へはいたらなかったが、それぞれの被災にはそれぞれの状況に応じた初動支援体制があってしかあるべきであろうという前提を持ちつつ、せっかく全国ネットワークを構築しつつあるRQとしての初動体制作りについて論議をした。

大災害を経験し、行政も社会福祉協議会も災害救援体制をいろいろと整えて来ているところですが、私たち(RQ)は、地域に根ざした自然体験活動で培われたアウトドアスキル、コミュニケーション能力、現場対応力などを活かし、災害現場での市民レベルの支援活動を他セクターと協同・協働して行います。

まずは、私たち(RQ)の強み(自己効力感)を自己肯定する作業をしました。
・厳しい環境で生き抜く力
・課題を見つけ、解決する力
・人と関わり、グループをまとめ、ファシリテートする力
・子どもと関わり、笑顔と元気を引き出す力
・プログラムをつくり、展開する力
・安全に配慮し、リスクマネジメントする力
・災害から学び、それを教育する力

・心地よい居場所をつくる力

こんなRQの特徴を確認し合い、有事にどう動くか、初動、拠点、ニーズ、ボランティア、ネットワーク、情報共有、リスク管理等々、多様な視点から検討し、RQが現地で立ち上がり、活動し、そして終了までの手引き(のようなもの)をつくることを目的にして、この合宿ではその章立てまで文字化することがゴールとしました。

☆RQは行政の届かないところ、私たちが直接つながっている人から支援する。→ けっこう不平等、えこひいきの原理ね・・。できるところから、被災地側に見える顔が存在するというところからスタートするというのが初動の要件でもあります。

☆小規模な範囲であれば動き方は単純でわかりやすい。でも災害が大規模に広域になるほど支援も複雑化して難しくなる。

 → 首都圏直下型地震、東南海トラフ型、富士山の大噴火など想定される災害もあるが、それらを前提にして大都市被災をシュミレーションすると、途方もなく問題があがり、課題解決の方向が見えないことがことも改めて実感。この場合は、動き始めた外側からのRQメンバーが連絡をとりあい、徐々に被災地に近づき、集結できる拠点現場を見つけてゆくしかないなあ・・。 私(北海道組)がアプローチを想定するならば、関東であれば、まずは栃木のもてぎの崎野氏のキャンプ場を目指すしかないなあ・・。

☆ニーズ調査が大事  現地のニーズは現地が集めるのは当たり前だが、救援本部が現地のニーズをしっかりと捉えることが必要だ、 

☆適材適所の役割分担が重要 → 活動行動の決定責任はあくまでも現場にあることを再確認したい。
☆いつどのようにして活動を閉じるかも重要 → 現場活動と、資金集めなどの後方支援体制はおのずと異なるので、あくまでも募金や人材供給の後方支援の締め時について意見交換をしました。

☆社協や他団体との連携が重要。JVOADはもちろん。

そして今回『災害教育』の重要性について改めて認識する機会になった。災害教育は、阪神・淡路大震災の時にホールアース自然学校の創始者であり、自然学校やエコツアー業界形成時のキーパーソンであった広瀬敏通氏がつくった新しい教育の概念です。「被災地でボランティア等が被災地や被災者の窮状に接して抱く共感や利他的な行為、貢献の感情を、人格的成長の資源と捉え、教育体系に位置付ける取り組み」。災害現場での活動は、究極の自然体験活動だと思う。そして自然学校こそが災害教育を動かしうる組織的主体になるという広瀬氏の理念があり、私たちもそれに共鳴しています。

そして、何にもまして、全国の自然学校やエコツーリズムの仲間たちが顔の見える関係性も時に応じて機会をつくりつつネットワークしてゆく、支え助け合える関係性を維持してゆくことも大切であると再確認をしました。

話し合われたことは、震災リゲインのAさんがまとめ、手引書の章立て項目立てを整理してもらい、その上でブラッシュアップしてゆくことで、2泊3日の合宿を終えました。

 

 
 
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