高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

ケニア帰り

2013-07-18 22:09:35 | 来訪者

元ねおす東川職員(大雪山自然学校)の沢辺さんが、ケニアの国立公園勤務2年を終えて帰国、訪ねてくれました。 ひとまわり後光オーラが大きくなっていました。 今後は、小笠原の自然調査をする仕事につくそうです。

 ねおすのすは、S,そのSはSchoolのS です。 ねおすを卒業した若者達が世界に、そして自然や地域に関わるいろいろな仕事について行くのを見るのは、とても嬉しいことです。

 がんばれ、さわべ! 

日本の世界の自然の素晴らしさを残し、伝えてゆく役割は次世代が 次々世代に伝えてゆく段階にもはや入ったと思う。
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フィンランドメソッド

2013-07-18 06:42:23 | 主義・主張
直感で動いている原始的で論理的に物事を話すのが苦手な私です。が、なぜ、なぜ、なぜ?と自問するようには生きています。 人に説明するのが下手くそなのです。一般的な日本人なのかもしれませんが、感覚的に「好き、嫌い」では物事は判断していません。 うちのカミさんは、すぐ「タカギさんは(うちのカミさんは私のことを苗字で呼ぶ)半熟玉子は嫌いでしょ」とか、白か黒な好き嫌いの返答を求めるのですが、玉子はいろいろと変身可能なので、「固ゆで玉子が好みであって、半熟玉子も食べてみたい時」があれば、スクランブルエッグはモゴモゴするので、あまり食べてみたくないだけなのです。

 さて、OECD(経済協力関係機構)の15歳児を対象とした「国際的学習到達度調査(PISA)」という、言語が違っても設問が同じ国際標準小テストで「言語技術力」の到達度を図る「読解力試験」があります。これは、正にグローバル化する社会において、物事の考え方を共有しなければならないので、基本的な相互理解ができるコミュニケーション力の到達度合いを測るテストで3年ごとに行われています。

 このテストに日本は弱く、日本の順位はどんどんと落ちている。 2000年は8位、2003年は14位、2006年は16位、2009年は8位に盛り返しましたが、まだ2012年の統計数字はまだ出ていないようです。
本年度より施行されている新しい10年の教育指導の重点に「表現力」があります。 この結果も反映されえいるのでしょう。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/047/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/12/07/1328509_03.pdf

 このテストでフィンランドは常にトップランキングです。つまり、社会的コミュニケーション力がとても高い国民が育つと言えると思います。フィンランドはなかなか独立心の高い国です。北欧三カ国というと、スカンジナビア半島のノルウェー、スウェーデンそしてフィンランドと思われるでしょうが、フィンランドではなくデンマークなのです。この三カ国は昔から結びつきは深いのですが、フィンランド人は森の人という北の寡黙な人々として一線が引かれるような感覚が他の欧州人にはあったようです。しかし、EU(欧州連合)に参加して、寡黙なままではなるまいと、論理的に思考することができるように1990年後半から大きな教育改革が行われたのです。

 日本は風土の地域的な違いがあるにせよ、明治政府以降は地域文化性をどんどんと均一同化する政策を行っており、その結果として「なんとなくわかりあえる常識」がはびこってきました。意見を交換し合うという習慣が育っていない。私を含めて説明するということが下手くそな人々です。誰かに、何かに同調する傾向が強く、民主主義とはとうてい言えないような国民性があると思います。

「好きです、嫌いです」「よかった、わるかった」とコンテンツ(体験内容)の感覚的な回答で終わってしまい、なぜ?というプロセス説明が苦手です。最近の会話では、キモイ、ヤバイ、ムカつく、ウザイなど語感においても相手の神経を逆なでするような感情性が強い単音「キ」「バイ」「ム」「ザ」だけで気分を表現する、「場を読めないヤツ」と説明なしで、平気で相手を評価してしまいます。

 自然体験活動でも感想を聞くと、「楽しかった」「おもしろくなかった」だけで、滅多に「どうして楽しかった」まで説明できる子どもはいません。

 私達においても「なぜ自然体験活動にこだわっているのか」と若手に聞くと「人間は自然の一部だから自然をもっと体験したほうがいい」と応えるのはまだちょっとばかり理由が入っているものの、「なぜ自然の一部でなければいけないの?」と聞き返すとその理由説明ができない人がほとんどです。自然体験活動の意義について議論を深めることがなかなかできません。表面的なねらいを各プログラム実施で定めても、それは何故なのか、なぜ、なぜ、なぜの深化に応じて答えることができるまでには時間がかかります。

 PISAの読解力テストでは、例えば「落書きはなぜしてはいけないのか」という問いに賛成と反対の意見が文章で書かれ、それを読んで回答する設問になっています。 そして、「あなたはどちらに賛成しますか。片方あるいは両方の手紙の内容にふれながら、自分なりの言葉を使ってあなたの答えを説明してください」
という記述式です。

 こういった設問に答えることができる読解、論理思考トレーニングをフィンランドの子ども達はしているようです。

 評価基準があるのですが、日本人は白紙回答も多いようです。実はアメリカ人は日本より順位がいつも下位なのですが、白紙回答はずっと少ないそうです。これはこれで、アメリカの国民性が出ていて面白い結果かな。

 しかしながら、まずはいろいろな事象や他の人の言葉や本に触れていないことには、設問に対して比較検討して回答することはできません。 そして、その体験の感想について、「どうして、そう感じたの? 思ったの?」とのコンテンツ感想に対して「なぜそう感じたのか」そのプロセスについて回答を求めることが大切な教育手法だと思います。

フィンランドメソッドと言われる教育手法は、案外簡単なことなのかもしれない・・・が、その導き手となるファシリテーション手法には技術がいると思います。

 この点から考えると、自然体験活動はプログラムを構成的に進めるにしろ、非構成的に展開するにしても参加者の主体性を大切にする活動なので、人ごとではなく自らが体験的に新しいことを学べる機会を提供しています。だから「なぜ」の深化をさせやすい活動と言えます。

 てなことを考えて、夏の自然体験活動に突入する心の準備をしている私です。

論理的に説明できたかなあ・・
コメント (2)
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