日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

エビデンス(=科学的根拠)が判明した今、Go Toキャンペーンはどうするのか?

2020-12-14 12:28:28 | アラカルト

名古屋でも「Go Toトラベル」の一時停止が、検討されるようになった。
確かに、12月に入ってからの感染者の急増と医療施設の崩壊状態では、キャンペーンの停止は当然だろう。
むしろ、遅いかもしれない。

ところで、政府が「Go Toトラベル」等のキャンペーンを停止しない理由が、「エビデンス(=科学的根拠)がない」ということだった。
どうやらその「エビデンス」が出たようだ。
Huffpost: 「旅行」が原因で感染拡大。イギリス科学者チームが発表

このエビデンスの基となったのは、近隣諸国の移動によって「新型コロナウイルス」の遺伝子型が、国内で以前発生していた「新型コロナウイルス」の型と違う、ということで判明したようだ。

日本の場合、おそらくこれほど明快な「旅行による感染拡大」というデータは、出てこないと思う。
何故なら、今日本で移動をしている人の多くは、日本国内に居住している人だからだ。
持っている遺伝子型が同じということになれば、「第2波・第3波」という区別をすること自体難しく、結論づけすることが困難だろう、ということは簡単に想像できる。
だが、イギリスでの調査データは「人の移動による、感染症拡大理由」としては、十分だと思う。

もしこれ以上のデータを必要とするのなら、「Go Toトラベル」開始前と開始後の感染者数比較と、移動状況を重ね合わせるしかないだろう。
これまで感染者の発症が少なかった地域が、いきなり増加しているということになれば、何らかのクラスターが発生している、と考えるべきだろうし、その原因を究明する必要があるはずだ。
原因を究明することで、感染拡大の理由と対策が立てられる、ということにもなる。

そのためには「Go Toキャンペーン」利用者に対する、追跡調査をする必要があると思う。
思うのだが、政府としてはそのような追跡調査を実施するとは思えない。
ただ「感染症の拡大は、人の移動によって引き起こされる」という検証は、過去の様々な感染症によって立証されている。
頑なに「エビデンスが無い」という理由で「Go TOキャンペーン」、特に「Go Toトラベル」を一部地域を除いて継続するのであれば、政治家としての判断能力が問われることになっても、仕方ないような気がする。

「経済を動かす」ことは、必要だ。
旅行業をはじめ飲食業、エンターティメント業など、これまで「生活の豊かさを実感させてくれる業種」が、打撃を受けているのだ。
「コロナ禍後」どれだけ回復できるのか?全く不透明な状態であれば、業界全体も不安だろうし何よりこれらの業種に携わっている人たちの生活不安が大きくなるばかりだ。

日本は第2次産業と呼ばれる「製造業」が、主要産業と思い込んできた部分があるが、実は第3次産業の中でも「サービス業」と呼ばれる産業が中心になっている、ということを今回の「コロナ禍」は示している。
とすれば「Go Toキャンペーン」ではない、根本的な支援策を考える必要がある、ということを「新型コロナ第3波」は教えているようにも思える。




見方を変えると市場は広がる

2020-12-11 20:44:31 | マーケティング

HONDAのサイトを、時々チェックするようにしている。
理由は「キャンプ情報」をチェックするためだ。
もちろん、自動車どころか免許も無いので、あくまでも「見るだけ」なのだが、アウトドアクッキングなどは、災害時のいざ!という時に役立ちそうだな~などと、思いながら見るのが楽しいのだ。

それだけではなく、企業サイトには市販に向けて試している企業情報などもあったりする。
今日発見したのは「子どもたちの元気な『ただいま』のため」という内容の技術研究だった。
HONDA:子どもたちの元気な「ただいま!」のためにー交通安全アドバイスロボ「Ropot」

自動車メーカーとして、自動運転などによる「自動車事故回避システム」等の開発は、今後当たり前になっていくだろう。
他にも、水素燃料などを使ったEV車の開発など、「未来の自動車」という視点での研究開発はどの自動車メーカーも積極的に行っているはずだ。
トヨタのように、工場跡地を中心に「未来型都市=スマートシティ」に作り替え、生活そのものを実証実験するような試みも、登場している。
TOYOTA:トヨタ、「コネクティッド・シティ」プロジェクトCESで発表

このような大きなプロジェクトや開発は注目されやすいが、HONDAの「Ropot」のような技術開発や実験は、さほど注目されるようなモノではない。
ただ、「クルマを運転する」という視点ではなく、「街中と人とクルマ」という関係は、トヨタのような「スマートシティ」でも当然あるはずのことだ。
「人・暮らし・クルマ」という関係の中で、どうしても弱者となってしまうのが子どもと高齢者、ということになる。
その弱者となる子どもをクルマをつくる企業として、どう守ることができるのか?という、視点がこの「Ropot」にはある。

形状としては、案外大きなものでランドセルの肩掛けに装着するにしても、目立つ。
新入学時には、活用する機会が多くてもその後は、さほど必要性を感じなくなってしまうかもしれない(後方からの自動車検知機能などは、どのような世代でもあると便利だとは思うが・・・。)。
「Ropot」のコンセプト映像を見ながら、視点を広げ、もう少しコンパクトになれば「高齢者・特に徘徊をする認知症患者」の行動サポート商品となりえるのでは?という気がしたのだ。
認知症状が出て、徘徊が始まると家族や介護者は気が休まることが無い。
徘徊している高齢者を探す、ということ自体がとても大変なことなのだ。
どのような服装で、どのような持ち物を持って徘徊するのか予測できない、という問題はあるが「Ropot」のようなシステムを使うことで、少しでも家族や介護者が安心できるのであれば、それは社会の問題を解決することができる商品、ということになる。
あるいは、障害者の方が出かける時のサポート役となるかもしれない。

提案されている使い方から、少し視点を変えることで市場は大きく変っていく。
そして「Ropot」のような、社会的問題を解決しようとする商品開発だからこそ、より多くの困っている人たちのサポーをするためには、何があるのか?と、考えればそれは社会のイノベーションとなると思うのだ。



機能不全に陥っている政府?

2020-12-10 22:24:57 | アラカルト

「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身会長が、再び「Go Toトラベル」の停止を提言している。
朝日新聞:Go Toトラベル停止、再提言へ 感染収まらぬ地域念頭 (朝日新聞のサイトでは有料会員向け記事の為Yahoo!の記事を紹介している)

連日、感染者数の増加に歯止めがかからない、というニュースだけではなく、これまであまり聞かれなかった重症者数も急激に増えている、という状況が続いている。
尾身会長が「Go Toトラベル」停止の提言をするのは、「第3波」と呼ばれるような状況になってから2回目だと思う。
前回は「蛇口を開けっぱなしにしている状況」という表現だったような気がするのだが、今回は前回よりもはっきりと「停止」という言葉を述べているようだ。

この状況になっても、政府というか内閣は「経済を動かすため」という理由で、「Go Toトラベル」をはじめとする「Go Toキャンペーン」の停止や見直し、という話をしていないように思える。
旭川などで始まった「医療崩壊状態」に対して、自衛隊の看護師を派遣するという対応を発表した程度だ。
自衛隊の看護師と言っても、無尽蔵にいる訳ではないので旭川で起きているような「医療崩壊」が、全国各地で起きれば、自衛隊も対応することができない。
自衛隊そのものは、このような「感染症対策」の為に、医療隊を持っている訳ではない。
その点を、政府は勘違いしているのでは?と感じるほど、後手後手の対応となっているのが「新型コロナウイルス対策」だ。
しかも今起きていることは、「対応が後手後手になっている」というよりも、政府が状況を悪化させている、というような気がしている。

このような状況が続くことは、「Go Toキャンペーン」が始まる前から予測されていたことだ。
だからこそ、多くの人は「Go Toキャンペーン」そのものへの理解はしても、「感染収束の目途が立つまで我慢」と思い、「自粛生活」を続けてきているのではないだろうか?
そのような生活者一人ひとりの努力を無にしているのが、「Go Toキャンペーン」ということになる。

「Go Toトラベル」で、感染者が増えているというエビデンス(科学的根拠)が無い、と先月分科会で言われたことを盾に政府は継続をしているのかもしれないのだが、この時既に「エビデンスは無いが、見直す必要がある」と提言をしているのだ。
トラベルWatch:新型コロナ対策分科会、Go Toトラベルの運用見直しを提言

この話は先月11月21日の話だったのだが、一昨日の東京新聞では「Go Toトラベル利用者は2倍の発症者がいる」という記事が掲載されている。
東京新聞:Go Toトラベル利用者に発症2倍 東大チーム初調査 味覚異常などコロナの疑い

急激に状況が変わってきている為に、調査そのものが遅れたのでは?と考えているが、この記事の内容は「Go Toトラベル」によって、「新型コロナウイルス」の感染地域が広がっている、ということを示すには十分なデータだと思う。
このようなデータが出て、「Go Toトラベル」に対する問題が明らかになっても、何故キャンペーンの停止が政府として言えないのだろう?
「言えない」のではなく「言わない」ということかもしれないのだが、とすれば今の政府は国民の為の政治を行う、という当たり前のことができない「機能不全」状態に陥っている、と言っても過言ではないのでは?


日本の音楽業界も、グローバル市場を意識する時代なのでは?

2020-12-09 13:40:18 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見ていて「MAMA」という音楽賞の記事が、いくつか上がっていた。
どんな音楽賞なのか?と思い調べてみると、「Mnet」という韓国の音楽専門チャンネル(?)が主催している「音楽賞」ということが分かった。
しかも賞を決めるのは、どうやら視聴者を対象とした「人気投票」のようだ。

ただその名前にやや驚いたのだ。「アジア最大級の音楽賞」と銘打った賞だったからだ。
確かにこの音楽賞に参加している国は、韓国だけではなくマレーシア、インドネシアなどアジアの国々が入っている。
しかし、主だった賞の候補となり受賞しているのは、当然のことながら韓国出身の人たちだ。
これが「アジア最大級の音楽賞と言われてもな~」というのが、率直な感想なのだが、その一方で日本の音楽業界は、アジアを含めた日本以外の国々で積極的にプロモーションを展開してきていなかったのでは?という、気がしたのだ。

日本からは昨年はKing-Gnu、あいみょん、今年Official髭男Dismが「Best Artist Japan」として選出されているが、それはあくまでも日本代表のようなものであり、この賞の主要部門ではない。
だが、日本で人気となっているミュージシャンやバンドのYouTubeなどを見てみると、案外アジアを含む海外からのアクセスコメントが多いことに気づく。どのような方法でYouTubeにアクセスをしてきたのかは不明だが、確実にアジアを含む海外のファンを獲得しつつある、ということがわかる。

今のミュージシャンやバンドの多くは、メジャーデビューをする前からYouTubeなどで、自分たちの楽曲を発表し音楽を発信している。
上述したKing-Gnuやあいみょんなどはデビュー当初から、YouTubeだけではなくSpotifyやAppleMusicのようなストリーミングなどを使って、積極的に日本以外の国々の人たちがアクセスし易いようなアプローチをしてきた。
その結果が「MAMA」の受賞ということになったのだと思う。

ただ、日本の音楽市場と韓国の音楽市場とでは、市場規模が全く違う。
日本のほうが、圧倒的に市場規模が大きいのだ。
そのため、海外を意識しなくても日本国内でヒット曲が出れば、それでレコード会社などは満足だったのではないだろうか?
市場規模が小さいからこそ、韓国の音楽業界はいち早く日本での韓流ブームが起きればその波に乗り、アイドルグループをデビューさせたりしてきたのだろう。
昨年、日本でも話題になった「防弾少年団」等は、今年に入り活動の場を米国に移しBTSという名前で活動を始めている。
今年の夏頃?、ファンの熱心な活動のおかげ(?)もあり、米国の音楽チャート雑誌・ビルボード誌のシングルチャートの1位を獲得している。
このようなことからも、韓国音楽業界全体が相当積極的に、グローバル市場を意識した戦略を立てている、という印象がある。
もちろん、アジア市場の中でも最大規模の日本市場でも、その戦略は抜かりない。
今年のNHKの紅白で「CDデビューもしていないのに、何故出演が決まったのか?」と話題になった、NiziUはソニーエンターティメントと韓国のJYPエンターティメントの共同プロジェクトで生まれた、韓国と日本の混成アイドルガールズグループだ。彼女たちの人気の後を追うように、「Jo1」というボーイズグループも登場している。
ただBTSにもNiziUにも共通していると感じるのは、似たり寄ったりのアイドルグループという印象を持ってしまう、という点では、BTSの成功体験をそのまま引きずっているのでは?という、気がしている。

それに対して、昨年MAMAで日本代表として選ばれたKing-Gnuにしても、今年選ばれたOfficial髭男dismも音楽的個性が、それぞれあって面白い。
もっと言えば、久しぶりにアルバムをリリースしたミスチルや、今年メジャーデビューを果たした藤井風など、バンドやミュージシャンとしての個性があり、バラエティーに富んでいる。
だからこそ、一音楽ファンとしては残念に思うのだ。
日本の音楽業界は、グローバル市場に乗り遅れているのでは?と。


「新型コロナ」による医療崩壊は、自治体だけの責任なのか?

2020-12-08 17:18:51 | アラカルト

「新型コロナウイルス」の感染拡大により、病床がピンチになっていると、名古屋市の河村市長が訴えている。
毎日新聞:名古屋市「満床」状態 コロナの市民182人入院 愛知県「病床の確保の努力を」

大阪府や北海道でも「新型コロナウイルス感染拡大により「医療崩壊」の懸念がされ、自衛隊の看護師派遣という話も出ている。
日経新聞:新型コロナ 自衛隊看護師を北海道に派遣 政府大阪も検討

東京を除く都市部では、「新型コロナウイルス」の感染拡大に伴う、「医療崩壊」の危機が迫っているような状態になりつつある。
このような状況になり、指摘されることの一つに「自治体の病床確保の問題」だ。
指摘されるように、「新型コロナウイルス」の感染拡大は、この秋から始まったものではなく3月ごろから増え始め、政府からの要請で「自粛生活」が始まった。夏を経て今は「第3波到来」と言われている。
準備期間は、あったはずなのでは?ということになる。

にもかかわらず、何故都市部を中心に「医療崩壊」が起きそうな状況になってしまったのか?と考えると、一つの厚労省の政策に行きつくのだ。
それは「2025年問題を解決するための、医療体制の見直し」だ。

「2025年問題」というのは、2025年になると「団塊の世代」と呼ばれる人たちのほとんどが「後期高齢者」となり、これまで以上に医療費をはじめとする社会保障費を圧迫するのでは?という、懸念からだ。
そのため厚労省は、数年前から病院の規模に合わせ、医療従事者や設備などの枠組みをつくってきた。
今回のような「感染症患者」を受け入れられるような設備がある病院そのものの数を減らし、高齢者医療に関しては極力「在宅医療」へと移していくというビジョンで、動いていたはずだ。
他にも、収益性の上がらない公立病院の再編などは、自治体の赤字という問題ということで、国からの支援を積極的にはしてこなかったように思う。

「新型コロナウイルス感染症者」を受け入れるためには、それなりの設備と医療者が必要になる。
しかし受け入れ病院そのものが減っている現状では、患者数が増加すればするだけ対応が難しくなる、ということになるのだ。
その点に目を向けず、「医療崩壊は、自治体の責任」のようなことを言われるとすれば、自治体は堪ったものではない。
何より、現場の医療者には「がんばれ!」だけの声で、何の支援もされなければ、退職者が相次ぐような状況を招くのも当然のことだろう。

拙ブログでも再三指摘してきたが、「新型コロナウイルス対策」そのものは自治体に丸投げをし、「Go To キャンペーン」を国の政策として行っている、ということ自体おかしな話なのだ。
そこに「2025年問題」の為に、大規模で緊急性の高い医療を提供する病院の数を減らす方向から、切り替えることなくこれも自治体に丸投げし続けている、というのが「医療崩壊」の要因の一つなのではないだろうか?
何故、国が積極的に医療体制を整える為の、臨時政策を出さないのか?
これが日本の「新型コロナ対策」の不思議さ、のような気がしている。


グローバルとローカル、地域の活性化は地域外とのコミュニケーション

2020-12-07 19:17:21 | ビジネス

昨日の京都大学総長の山極先生のお話しの中で、もう一つ印象的だったことが「グローバルとローカルとの関係」というお話だった。
「コロナ禍」で大打撃を受けた業種の一つは、外食産業だったはずだ。
外食産業が及ぼした影響というのは、店舗やチェーン店を展開している企業とその従業員だけの問題ではない。
例えば、それらの食材の仕入れ先なども大打撃を受けたはずだ。
だからこそ、4月ごろからネットでは「生産者救援サイト」が、次々と立ち上がり生産者が本来出荷する予定であった商品を販売するようになったのだ。

この「生産者救援サイト」によって、一つのお金の流れが生まれたのでは?と、考えている。
生産者のいる地域と購入者のいる地域とを結びつけたことで起きた「産直販売」という流れだ。
これまでの「産直販売」は、スーパーなどへ卸すという形態での販売がほとんどだったはずだ。
それがネット上の支援サイトが立ち上がったことで、生産者と生活者が直接に繋がった、ということになる。

生産地のほとんどは、地方にあり購入した生活者はその地方以外に住んでいる人たちだったはずだ。
地域の活性化のポイントとなるのは、実は地域外とのコミュニケーションということになる。
随分前から言われている「グローカル(グローバルとローカルを合わせた造語)経済」の芽が、このような形で生まれ始めている。
そのことを、山極先生は指摘をされていたのだ。

これまで「地域の活性化」というと、「地域内での活性化」という発想に陥りがちだったように思う。
それが「コロナ禍」のよって、「地域活性化のポイントは地域外にある」ということを示したのが、「生産者支援サイト」だったのではないだろうか?

「地域内での活性化」ではなく「地域外から活性化」ということになれば、多くの人は「インバウンド」を思い浮かべるだろう。
「インバウンド=観光」であると考えると、一過性で終わってしまう可能性のほうが高い。
「活性化」の為には、継続的な地域外との関係を、つくり出していく必要があるはずだ。
「来てください」という受け身ではなく、「地域外との積極的な関係性の構築」が地域の活性化につながる、ということなのだ。

確かに、外食産業は「コロナ禍」によって大打撃を受けた。
「大打撃を受けた」だけで終わらせない為には、外食産業と生産者が一緒になって地域の活性化を外から呼び込むような、関係構築をする必要があるように思うのだ。

 


古の人たちの言葉を、噛みしめる時かもしない

2020-12-06 19:42:13 | 徒然

先日、京都大学総長の山極壽一先生の市民公開講座を、オンラインで受けた。
なかなか便利な時代になったものである。
会場となった豊橋には行くことができなくても、京大の「変人講座」に行くことはできなくても、オンラインという方法で、学ぶことができるのだから。

ご存じの方も多いと思うのだが、山極先生のご専門は「ゴリラの研究」である。
「ゴリラ」を研究している、山極先生が話された内容は「コロナ後の社会」について、というテーマだった。
興味深いお話しもいくつかあったのだが、講演会の最後のほうで山極先生が述べられたことばが、「コロナ禍後」の日本が果たすべき役割なのでは?という、気がした。
その内容というのは、京都学派の中心といわれた「西田幾太郎」が研究し・突き詰めた「東洋哲学」についてだった。

昨年だったと思うのだが、NHKのE-テレ「100分de名著」でも取り上げられた西田幾太郎だが、今年が生誕150年であったらしい。
「100分de名著」で紹介されていたのは「善の研究」だったのだが、私にはとても難解で十分な理解ができたという気がしていない(最も、私の場合はテキストを読むだけなので放送を見ながらの理解ではなかったのだが・・・苦笑)。
ただ印象に残っているのは、「善」の中には「愛」があり「生きる」ということを述べていたことだ。
西田の言う「愛」とは、「恋愛」のことではなく「他者を愛し、自己を大切にする」という、大きな意味のようだった。
それは一見キリスト教的な「愛」のようにも思えたのだが、西田はあくまでも「東洋(あるいは日本)」に軸足を置いた考え方であり、利己的な満足の上にある「愛」ではない(と、理解している)。
と同時に、「生きる」ということは「愛」があるからこそ、人は生きる力を得ている、と考えていたような気がするのだ。

山極先生のお話しを聞きながら、思い浮かんだ言葉は「利他」ということだ。
もちろん「他者の力を借りて、自分に利をもたらす」という意味ではない。
「他者の利を考える」という意味だ。
違う言葉に置き換えるなら「他人を幸せにしたい」という気持ちかもしれない。
考えてみると、経済が発展していく中で私たちは「利他」ということを、忘れてしまっていたような気がするのだ。
特にトランプ氏が米国大統領になり「アメリカンファースト(実はマイファーストだったのだが)」を掲げ、一部から圧倒的な支持を受け、それが欧州にまで広がり、日本の政治も感化されてしまった。

結果、私たちは「自分たちを優先させる」ことで、以前より幸福感を得たのか?と言えば、決してそうではなかったように感じる。
むしろ、猜疑心や「マウント」のような卑しい行為が、自慢と言われるようになってしまったのではないだろうか?
そこに「新型コロナ」という不安材料が世界を覆ったことで、人は再び「自分と他者との関係」を見直すような社会が生まれようとしている。
その中心となる考えのヒントが「東洋哲学」にあるのでは?というのが、山極先生のお話しの締めくくりだったのだ。
それは、インド独立の父と言われたガンジーの「七つの社会的な罪」にも通じる一つの考えのような気がしたのだ。

そして今日、Huffpostを見ていたらとても素敵な少女に出会った。
Huffpost:タイム誌初「今年の子ども」に15歳の科学者。モチベーションは「他の人を幸せにしたい」という気持ち

彼女のような若者たちが、「コロナ禍後」の社会を変えていくのではないだろうか?
その時、大人の私たちはどんな支援が、彼女たちのような若者にできるのだろう?


「コロナ禍」のおける政府の「経済政策」は、本当に「経済政策」になっているのか?

2020-12-03 22:26:45 | アラカルト

12月に入っても、「新型コロナウイルス」の感染拡大が止まらない。
今日にいたっては、亡くなられた方が過去最多タイの人数になったという。
TBSニュース:新型コロナウイルス、一日の死者31人 過去最多タイ

感染者の増加を考えると、今日の死亡者数の人数を軽く超えてしまう日は近いのでは?という、気がしている。

このような状況になっても、政府は「Go Toキャンペーン」の全面停止を打ち出してはいない。
これまでに「感染症」を封じ込める為には、人の移動を制限することが一番である、という指摘が再三されてきたにもかかわらず、「経済優先」という言葉によって、一部地域を除き継続中だ。

ところで政府が考えている「経済優先」の政策だが、本当に「経済優先策」なのだろうか?
これまでも再三、様々なところで「経済優先ではない」という指摘がされてきたと思うのだが、何故か「Go Toキャンペーン」に関しては「経済優先策」ということになっている。

だが、上述した通り感染症の一種である「新型コロナウイルス」の感染拡大防止の為には、「Go Toキャンペーン」そのものは、リスクが高く効果に疑問がある政策だからだ。
「Go Toキャンペーン」を継続した結果として、全国で感染者が増え続け、大阪などでは既に「医療崩壊」が起きている、という指摘すらされるようになっている。

確かに「経済」は、「人・物・金」が動くことが基本になるが、その中でも一番重要な「人」がいなくなってしまえば、「物も金も動かない」ということになる。
「医療崩壊」とは、その「人」がいなくなる可能性を示唆する前触れだと考える必要があるのでは、無いだろうか?
と同時にそれは「医療費」という、社会保障費の崩壊にもつながりかねない、ということだと思う。
何故なら、「コロナ禍」により仕事を失った人が数多く出ているうえに、支出される社会保障費が増えれば、その行先は簡単に想像できることだからだ。
それは単純に、社会保障費への影響というだけではなく「財政を圧迫させる」ということにも繋がってくる。

元々日本は「赤字財政」と、長い間言われ続けている。
「財政(=税収確保)」の為にも、「新型コロナウイルス」感染拡大により、一番打撃を受けている業種に対して「Go Toキャンペーン」が必要だ!というのが政府の見解なのかもしれないが、それが負の方向へ向かっているようにしか思えないのだ。

むしろ、「新型コロナウイルス」の感染拡大によって、必要とされる職種・業種も明らかになってきた。
そのような分野を「新しい仕事」という視点で、人を動かすことでこれまで低迷していた地方経済の活性化の切っ掛けとなる可能性もあるし、移動することができないくても「都市から地方へのテレワーク」という発想での仕事をつくることもできるのではないだろうか?
例えば、地方の特産品を販売する為のWEB制作などは、生活する場所を選ぶわけではない。
将来的に、都市から地方に移住するための一つのステップとして、そのような方法も検討する余地はあるのではないだろうか?

何より「感染症対策」を自治体に丸投げするのではなく、国が指針となるモノを示し、そこに予算を投入しなくては「新型コロナウイルス」の封じ込めはできないばかりか、ますます拡大し、より一層経済が落ち込むのではないだろうか?



マスからミニマムへと変わる「広告」

2020-12-02 20:39:12 | マーケティング

中日新聞のWEBサイトに、時代の変化を感じさせる記事があった。
中日新聞:米国のデジタル広告、初の過半数に 20年、巨大IT寡占

これまでの新聞やテレビなどに出稿していた広告量が減り、デジタルが過半数(と言っても51%だが)になった、ということだ。
と言ってもデータは、米国の広告の話なので日本の広告とは実態は同じだとは言い切れないのだが、おそらく日本でも同じような傾向がみられるはずだ。

考えてみると、このようなマスからミニマムへの転換は、時代の変化として当然なのかもしれない。
新聞を紙で購読している人、テレビの画面でテレビ番組を見ている人そのものが減少しているのでは?と、実感しているからだ。
「テレビを見るのはゲームをする時」という若い方も、案外多いのではないだろうか?
テレビ番組を見ない訳ではないが、「何の為にテレビがあるのか?」ということになると、「ゲームの為」という若い世代も多いのでは?ということなのだ。
新聞に至っては、新聞を読むにしてもスマホやタブレットで見る人は増えても、紙で読むという人は減少しているはずだ。
だからこそ、各新聞社のWEBサイトでは「有料会員向け記事」が、増えているはずなのだ。

そう考えると、広告主である大手企業にとって新聞や雑誌などの紙媒体やテレビなどのマスメディアに広告を出す、というメリットが感じられなくなってしまうのは当然だろう。
何より、ネット広告は企業側が獲得したい世代へのアプローチが、簡単にできる。
「炎上」というリスクはあるが、「炎上リスク」さえ考えれば、マスメディアを使った広告よりも安価に抑えることができる可能性もある。
事実多くの企業は、TwitterやFacebook、Instagramなどを通して積極的に広告を出している。
広告を出している企業は名の通った大企業から、ネームバリューという点では疑問な中小企業まで様々だ。
中には海外の企業広告が、表示されることもある。

これらの情報は、G(Google)A(Apple)F(Facebook)A(Amazon)と呼ばれるIT企業などに集められた、ビッグデータを基にしていることもあるはずだ。
ITの巨人たちと呼ばれるGAFAだが、その事業内容が違う集まる顧客データも様々だ。
Amazonのように、過去の購入履歴などから生活者の様々な嗜好をアルゴリズムによって分析をし、お勧め商品を表示するだけではなく、ビッグデータ化された生活者の嗜好(もちろん、個人を特定できるような情報開示ではなく、全購入履歴などからのビッグデータという意味だ)を広告主に提案することも可能だろう。
Appleなどは「AppleMusic」等から音楽的嗜好やトレンドを分析するということになるだろうし、FacebookはInstagram利用者層の違いに合わせたビッグデータの活用ということになるのかもしれない。
それらの情報は、これまで大手広告代理店が行ってきた市場分析や生活者への定点調査などから得られた情報よりも、「今」の生活者像に近く、GAFAのようなIT企業が広告代理店にとって代わる可能性も示しているかもしれない。

ITの巨人たちとひとまとめにしてはいるが、それぞれの企業の特化した事業によって使われるデータは違うはずだ。
そしてそれらからよりミニマム=個人に向けた広告が、今より増えていくということは暗に想像ができる。
ミニマムになっていく広告に対して、生活者は快く感じるか否かは別の問題ではあるのだが・・・。