明日になれば、東証の「大納会」がある。
「大納会」で今年の株式相場から見た「日本の経済状況」が、どのようなモノであったのか?ということがわかる日だともいえる。
「株価=日本の景気」ではないが、一つの目安となるだろう。
「新型コロナ」の感染拡大により、日本だけではなく世界中の株価が下がった。
日本の場合、多くの生活者が感じている「景気実感」と「株価の動き」が、連動しているとは言い難い状況ではあったが、「新型コロナ」の感染拡大によって、敏感に反応したのは株価であった、ということを考えれば「株価」もまた、社会を移す鏡の一つ、ということになるだろう。
そして「コロナ禍」によって、これまで「なんとなく思っていた懸念」が、表面化したことも確かだろう。
その一つが、「コロナ禍」によって、女性の自殺者が急増した、という点だ。
これまで、年間の自殺者数の内訳をみると男性の方が女性よりも多い傾向があった。
今でもその傾向は大きく変ってはいないのだが、「コロナ禍」によって女性の自殺者が急増したのだ。
男女比の問題ではなく、これまで「自殺者が少ない」とされてきた女性の急増の背景には、女性が置かれてきた「経済的問題」が大きいという指摘がある。
ご存じのように、女性が多く働く職場の多くが「コロナ禍」によって、大打撃を受けた業種が多い。
業種の問題だけではなく、雇用形態そのものも不安定な非正規雇用であったため、「コロナ禍」により一番最初に職を失うこととなったのが、女性であったということなのだ。
20年以上前のように、奥さんがパートに出て家計の足しにしているのではなく、シングルマザーとして家計を担っている女性も多くなってきている反面、その女性たちの多くが非正規雇用という働き方をしている、という現実がある。
その結果として、いつ収束し安定して働けるような環境になるのか分からない状態で、経済的不安が募り自死を選ぶ女性が多かった、ということになると思う。
これまで「雇用調整の一つ」と考えられていた「非正規雇用」という働き方が招いた、社会的悲劇と言えるかもしれない。
それを「自己責任」と切り捨ててしまうには、社会として問題だろうし、改めて「経済弱者」と言われる収入が不安定な人たちを「雇用調整の一つ」として扱う企業の責任はどうなのか?ということも露わになったような気がする。
それだけではなく、これまでビジネス本などに書かれていた「HOW TO」や「前例踏襲」のような、方法論が全く通じなくなった1年でもあったような気がする。
それは、数年前一時話題になった「ノマドワーカー」と呼ばれた働き方が、カタチを変え「リモートワーク」として、定着したこともその一つだろう。
もちろん「ノマドワーカー」のような、カッコ良いイメージは「リモートワーク」にはないし、現実は個人の時間や仕事の成果(あるいは到達・達成)などの管理の難しさなどがあったが、「出勤して仕事をする」という意味そのものが、問われるようにもなった。
言い換えれば「オフィスが、必要なのか?」ということまで問われるようになった、と言っても良いかもしれない。
今年1年で起きた様々なことを考えると、これまで当たり前だと思っていたことが、「当たり前なことなのか?」という疑問符が打たれた年でもあったし、価値観や人の行動そのものを「コロナ禍」によって変えざる得ない年でもあった。
逆に考えれば、今年経験したことをどのようにとらえ、問題意識を持つことによって、来年以降のビジネスの展開が大きく変る、ということにもなるだろう。
海外とのビジネスを展開するにしても、海外に拠点を置くのではなく海外に住むスタッフとリモートで仕事や問題点などを共有し、展開をするということも可能になるのではないだろうか?
それは国内でも同じで、東京でなくてはできない仕事なのか?と、突き詰めて考えた時「東京である必要は無い」と、考える企業も出てくるかもしれない。
「コロナ禍」は、私たちの価値観やこれまで当たり前だと思ってきたことを、大きく転換させる外部的圧力だったのかもしれない。