日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「データ」は数字の羅列ではない。時に人を安心させる材料となる

2020-08-22 19:23:11 | アラカルト

先日、日本感染症学会の尾身会長が「新型コロナの流行はピークに達した」と学会で発表した、というニュースがあった。
NHK:日本感染症学会 尾身会長「流行はピークに達したとみられる」

このニュースを聞いたとき、「え!本当にピークに達したの?」と、疑問に感じられた方がいらっしゃったのでは?
私自身は「ピークに達した」という、根拠となるデータはあるのだろうか?という、疑問を感じてしまった。

これまで政府から発表される「新型コロナウイルス」に関するデータは、感染者数と死亡者が中心で今月に入ってから「大阪での重症者数が多いのは何故か?」という問題もあった。
どうやら「大阪と東京(あるいは政府)の重症者とカウントする条件が違う為に、大阪の重症者数の数が多い」ということになったようだ。
冷静に考えなくても「重症者」の定義というか条件となるものが、大阪と東京(あるいは政府)と違っている、ということ自体問題なのではないだろうか?
私たち生活者は、一体どんな数字を信用すれば良いのだろうか?と、疑問に感じられた方も少なくなかったのではないと思う。

拙ブログでも何度か指摘させていただいているのだが、「新型コロナウイルス」に関しては「感覚的」な発言があまりにも多いような気がしてならない。
その顕著な例が、今回の尾身会長の「ピークに達したとみられる」という発言ではないだろうか?
というのも「ピークに達した」と判断したその理由が、あるはずだろうしその理由となるデータがあるはずだからだ。
もし「データ」が無いまま「希望的観測」を含めた感覚的な数字のとらえ方で「ピークに達した」というのであれば、これから第2次・第3次の波がやってくる、と考える必要があると思う。

実際「ほぼ終息した」とされるニューヨーク州でも、感染者数が「0」になった訳ではない。
そもそも「新型コロナウイルス」に限らず、感染症を無くすということ自体無理な話であって、ある程度「共存」を覚悟する必要があるからだ。
だが「ほぼ終息した」とニューヨーク州が発表した時には、「感染率」や「重症者・死亡者」等の人数と率という、データという根拠となるモノがあった。
だからこそ、ニューヨークの人たちが安心することができたのだ。

そしてこのような「データを活用することで、生活者は安心する」という指摘は、様々なところで指摘されてきたことだ。
にもかかわらず、今でに日本は「データ」という数字ではなく、「感覚的なことば」によって、状況を説明しようとしている。
確かに情緒性の高いと言われる日本人にとって「数字の羅列」のように見える「データ」は、分かりにくいと感じられる人もいらっしゃるとは思う。
思うのだが、逆に情緒性の高い日本人だからこそ「データ」を示すことで、「数字の羅列」に意味を感じることができるのではないだろうか?

「データ」を示さないことで、政府の政策に対して疑心暗鬼になっている生活者も多い、ということを感染症学会の偉い方や国の担当者は理解して欲しい。