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恒例の「24時間テレビ」は、放送することに意義があるのか?

2020-08-23 18:50:58 | 徒然

昨日の夜から毎年恒例の「24時間テレビ」の放送が、はじまった。
今年は「新型コロナウイルス」の感染拡大の為に、番組そのものを中止するのでは?と、今年の春ごろ言われていたような気がするのだが、「恒例行事」のように今年も実施されたようだ。

我が家にテレビが無くなる前から、この「24時間テレビ」そのものを見なくなっていた。
理由は、「24時間やる意味が分からない」ということと、「つまらない」からだ。
それ以外の理由があるとすれば、この番組が持つ「募金に参加」という、ある種の同調圧力のようなモノを感じていたからかもしれない。
毎年のように募金箱を持って会場に足を運ぶ視聴者の姿を見て、「募金することは大切だが何もテレビで中継しなくても・・・それとも中継をすることによって『さぁ、あなたも募金箱を手に会場にいらっしゃい!会場に来ない人は人としてどうなの?』」と、言われているような気がしていたからかもしれない。

それが今年は「新型コロナウイルス」の感染拡大によって、中止されるのでは?と、淡い期待を持っていたのだった。
その「淡い期待」は、見事に打ち砕かれたわけだが、このような社会状況の中でも「24時間テレビ」をするというのは、もしかしたらテレビ局側の「恒例行事」という位置づけとなっていて、年間の放送計画の中に組み込まれ、外すことができなくなっているのでは?という、気がしてきた。

拙ブログに来てくださる方もよくご存じだと思うのだが、「24時間テレビ」そのものはドラマあり、ドキュメンタリーありと、番組制作には相当な費用が掛かっている。
このご時世、一つの番組としてこれだけの内容を詰め込む為には、やはり24時間という時間が必要なのだと思う。
ましてドラマにしてもドキュメンタリーにしても、その制作には費用だけではなく相当数の時間がかかっている。
年次計画の中に組み込まれてしまっていると、それらのドラマやドキュメンタリー制作を止めるにやめられない、ということなのかもしれない。
何故なら、テーマ決めから始まりドラマであれば脚本・出演者への交渉があり、ドキュメンタリーであれば、テーマが決まればそのための資料集め、資料の裏どりなどやはり数カ月前から準備が必要だからだ。
恒例となっているマラソンにしても、今年は特定のタレントさんが走ることはなかったようだが、制作側として「番組を盛り上げる材料として、必要不可欠」だという思い込みがあるのだと思う。
実際、「日本人ほどマラソンや駅伝(主に箱根駅伝)の中継が好きな国民はいない」とまで、言われていた時があった。

ここまでくると「チャリティー」という目的よりも、「放送をする」ということに主眼が置かれるようになっているのでは?という、気がしてくる。
民放局が自主的に作っている番組なので、「24時間テレビ」が悪いという気はさらさらない。
ただ、「放送することに意義がある」というようなスタンスになっているのであれば、それは放送する局の自己満足なのでは?ということなのだ。

この番組が始まった頃、日本ではまだまだ「チャリティー番組」が無く、その意味では画期的だった。
だからこそ、多くの視聴者が募金箱片手に中継会場に足を運び、番組に参加した気分になれたのだと思う。
その募金によって、数多くの福祉事業団へ寄付されたことも意義のあることだったと思う。
思うのだが、そろそろその役目は終わりに近づいてきているのではないだろうか?

もし週の内スポット的に「今どのような人が困り、支援を求めているのか?」という情報を流し、チャリティーを呼びかけるという方法も検討しても良いかもしれない。
ドラマやドキュメンタリーを制作するよりも、遥かに低予算で流すことができるのではないだろうか?
特に今回のような「新型コロナ禍」という状況においては、飲食店や観光業はもとより、エンターティメントを含む文化事業なども大打撃を受けている。
その時々にあったチャリティーを民放主導で行う、という視点で考えれば、もっとフレキシブな「チャリティー番組」の在り方を考えても良い時期に来ていると思う。