日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

イライラする日本人-自分の都合を押し付ける人たち-

2007-11-13 20:32:25 | ライフスタイル
産経新聞に「溶けていく日本人」という、連載企画がある。
今回から快適の代償と言うタイトルで、「待てない人々 数分間でイライラ」を特集している。

最近「セカセカとした人が増えてきている」様に感じるコトが多い。
「セカセカした」というのは、歩くスピードが速いと言うコトではない。
自分の思い通りにならないと、周囲を急がせると言うコトだ。
他にも、自分の都合ばかりを主張して、相手のことなどお構いなしと言う場合もある。
雨降りの日、自分の傘を少し傾ければ、すれ違う人に雨雫がかからないのに、「この道は、私が歩いているんだから、どきなさい」という雰囲気を漂わせて歩く人は、男女・年齢に関係なく増えてきているように感じる。
そのような人たちを観ると「セカセカしている」と、感じるのだ。

この記事にあるような、携帯電話メールの返信や食事の待ち時間などはあくまでも「自分の都合」しか考えていないから「イライラ」するのではないだろうか?
ファーストフード店では、「お待たせ時間90秒以内」というコトを謳っているトコロもあるようだが、ファーストフード店であれば「90秒以内」が待ち時間のタイムリミットかも知れない。
なんと言っても「ファーストフード」なのだから。
だが、それなりのトコロで食事をするとなれば、それなりの時間が必要だろう。
それなのに、ファーストフード店と同じコトを期待するのは、チョット違うと思うのだ。

食事くらいならまだしも、子供のお絵かきとなると問題だ。
親が手を出してしまったら「子供のお絵かき」ではなく、「親のお絵かき」になってしまう。
ところが、時間もお絵かきも親の都合を子供に押し付け、親が率先してやってしまうと、子供が「自分は?」という疑問をもってしまうのではないだろうか?
それが繰り返される事で、「やってもらって当たり前」という感覚を子供が持っても仕方ないのではないだろうか?
「子供の自主性がなくなった」のではなく、「親が、親の都合で子供の自主性を奪っている」とみるべきなのでは?
昨今の「お受験ブーム」などを見ていると、「子供の将来」という理由を挙げながら、本当は「自分の満足」があるのではないだろうか?

「イライラする日本人」というのは、自分の都合を押し付ける人たちが増えた日本の姿のような気がする。