はんどろやノート

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ナイルの冒険王

2007年12月15日 | はなし
 ナポレオンがエジプト征服(当時エジプトはオスマン帝国の領土だった)にやってきたのは1798年。その際に167人からなる「科学と芸術の委員会」を引き連れてやってきた。ナイル川一帯をフランスの植民地にする計画だったのだろうが、その時に「学術調査が目的だ」という言い訳を用意するつもりだったかもしれない。結局、このナポレオンのエジプト占領は失敗に終わったが、ナイルの学術調査は続けられ、その成果は『エジプト誌』という本になって結実した。たくさんの図版が載せられていてすばらしい本である。その本は、ヨーロッパの知識層や学者にセンセーションを巻き起こした。さらに「ロゼッタ石」が発見されて、エジプトの古代文字の解読のヒントが得られると、このような記録がまだまだエジプトには眠っているのだろうと想像された。
 このようにしてエジプトはヨーロッパのあこがれの地となっていった。地中海の海のむこうにこのような遺跡のゴロゴロしている宝の国があるのだ。
 実際、砂の中には埋もれたたくさんの遺跡があった。もともと昔から古代の王の墓の宝は、ずっと「墓どろぼう」がねらっていたが、ヨーロッパのエジプトブームによってその価値はますます高まっていった。古物商や発掘者がナイルに群がった。だが、「遺跡の発見」は空想では楽しいが、現実にやるとなると大変である。そのためには何の資格も必要でなかったが、
 ・過酷なナイルの環境に対応できる強靭な体質 (まずは、これ)
 ・賄賂 (一人では何もできないし)
 ・火薬にたいする才能 (火薬で土をふっとばす)
 ・許可申請の成功
 ・他の利害関係者たちとの微妙な交渉 (場合によっては殺し合いになる)
が不可欠であった。

 ベルツォーニというイタリア生まれの男がいた。理髪師の息子で、アムステルダムからロンドンに渡り、そこで劇場と契約して「軽業師」として出演する。つまりサーカスだが、このベルツォーニ、大男であり驚くべき怪力の持ち主だったのだ。その後結婚して妻とともにヨーロッパ各地を移り歩く。そのうち、イスタンブールで、ナイルの水に苦労しているエジプトの話を聞いて、「新しい水揚げ車の設計」というアイデアを引っさげてエジプトへ乗りこむ。ベルツォーニにはそのような機械をつくる能力もあったのだ。ところが結果としてこれはうまくいかず失敗。
 そこから、怪力大男ベルツォーニの「ナイル探検」が始まる。
 おそるべき体力と実行力であった。それだけでなく、勘もすばらしかった。次々と遺跡を発掘していく。学者が何年も探していたような遺跡を数週間で見つけ出た。頭もよかった。上の絵は、「若いメムノン像」を運ぶ図(ベルツォーニのスケッチを僕が模写した)であるが、これは過去になんどもフランス人らが運び出そうとしてできずに遺跡の中でころがっていた7トンの巨像である。ベルツォーニは、それを運ぶアイデアを考え、だれもができなかったことをやり遂げた。そしてその様子を自分でスケッチしている。そのスケッチがまた上手いから呆れてしまう。「若いメムノン像」は現在、大英博物館にある。
 まったく、人間離れした男である。 とくにその体力、うらやましい。
 ベルツォーニは、ナイル川の奥へと入り、アブ・シンベルの神殿の入り口を発見したことで歴史に名を刻んでいる。ギザの三大ピラミッドのうちの一つ、カフラー王のピラミッドの入り口を発見したのもこの男である。
 
   ↑ 「アブ・シンベルの内部」ベルツォーニ画

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