はんどろやノート

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「9六歩型相横歩」の研究(4)

2013年02月09日 | 横歩取りスタディ
 「相横歩取り」は、江戸時代から指されていまして、九世名人大橋宗英(大橋分家当主六代目)の『平手相懸定跡集』に記されています。この書物によれば、「相横歩取り」は先手が有利になるとされているようだ。
 宗英は1799年から10年間、名人を務めました。よく、「近代将棋の祖」と紹介される人物です。江戸時代の名人の中ではだれが一番強かったか、というような話題になれば、まず名前が挙がるのがこの人、宗英さんです。
 そういうことで、一応、プロ棋士は“相横歩取りは先手が有利”、とそう信じていました。なので、先手番がまず「3四飛」と横歩を取った時、「8八角成、同銀、7六飛」と後手も横歩を取るという「相横歩取り」はプロ間では明治、大正、昭和初期と、この時代には指されることはまず、なかったのです。その定跡をまったく疑わなかったというようなことではないと思いますが(100年以上も前の定跡ですしね)、考え直すきっかけが特になかったということでしょう。
 しかし、戦後、木村義雄の後に実力制度のもとで2期名人になった塚田正夫が、1960年代、70年代に後手番でよくこれを指しました。それで「相横歩取り」の戦型は「塚田流」と呼ばれるようになったのですが、塚田元名人がこれを時々指すので、他の各プロ棋士たちも、塚田と対戦するときのために、この「相横歩定跡」を、改めて見直す必要が生じてきたのでした。“きっかけは塚田正夫”ということです。

内藤国雄‐塚田正夫 1959年

 1959年の内藤国雄‐塚田正夫の王将戦、これが塚田が「相横歩取り」をプロ公式戦で指した最初の将棋のようです。内藤国雄はプロ棋士になったばかりの四段。塚田さんは元名人の九段ですから、ふつうならまず対戦することはないのですが、おそらく新人の内藤さんが勝ちつづけてこの対局が実現したのでしょう。
 図から、7四同飛、同歩、8三飛、8二歩、8六飛成、と進みました。そしてこの将棋は、塚田が九段の貫録を見せ、勝利しました。
 なお、大橋宗英『平手相懸定跡集』の定跡手順は、図から7四同飛、同歩、8八飛、です。さらに進めると、8二歩、8三歩、7二金、8二歩成、同銀、5五角、2五飛、8二角成、8七歩、同歩、8六歩、同飛、8五歩、7二馬(以下略)、のように進んで、「これにて先手良し」と結論されているようです。


 そういう時代の背景があって、前回紹介したように、1962年棋聖戦、塚田正夫‐大山康晴で、「9六歩型相横歩取り」が指されたのでした。これもまた、仕掛け人は塚田正夫なのです。

 ということで、今回は「9六歩型相横歩」の第4回目、お贈りする棋譜は次の3つ。
 (1)升田幸三‐大山康晴 1964年 十段戦七番勝負 第1局
 (2)升田幸三‐大山康晴 1964年 十段戦七番勝負 第5局
 (3)升田幸三‐塚田正夫戦 1965年

 このうち、(1)(3)が「9六歩型相横歩」の棋譜です。

 

(1)升田幸三‐大山康晴 1964年 十段戦七番勝負 第1局

 トップレベルの棋士というのは、40代になっても強い。この時は升田46歳、大山41歳。
 しかし升田さんの46歳という年齢は、タイトルを獲るには最後のチャンスかもしれない、というような年齢ではあります。いつの時代になっても升田さんより大山さん方が5つ若い、というのは、“なんか、ずるい”という感じがします。これも持って生まれた運ですねえ。

▲7六歩 △3四歩 ▲9六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩  ▲2五歩 △3二金
▲7八金 △8六歩 ▲同歩 △同飛  ▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △7六飛

升田幸三‐大山康晴 1964年 十段戦1
▲2二角成 △同銀  ▲3四飛 △3三銀 ▲8四飛 △8二歩 ▲5八玉 △7二金
▲3八金 △8三歩
 升田〔 第一局はたいへん珍しい横歩取りという戦型になった。 〕


▲8五飛 △2六飛 ▲2八銀 △2二飛  ▲7七桂 △5二玉 ▲8六飛
 大山は8三歩で飛車を追います。先手は飛車をどこに引くか。
 升田さんは8五飛としました。
 私見ですが、この戦型は先手なら「8六飛」、後手なら「2四飛」の浮き飛車がよいように思います。しかしこの場合、後手の飛車が7六にいるので8六に引けませんね。
 升田さんは、後手の2六飛に、2七歩とすぐには打たず、2八銀。このあたりが序盤に鋭敏な升田幸三の工夫が見られます。
 先に「8五飛」と中段に構えたのも、すんなりと後手に「2四飛」の形をつくらせないということでしょう。


△4四銀 ▲2七歩 △8二銀  ▲1六歩 △7四歩 ▲9五歩 △3三桂
▲6八銀 △7三銀  ▲3六歩 △6四銀
 ここで先手は「8六飛」と構えました。
 升田〔 △4四銀で△2六歩が気になるが、それは▲2七歩△同歩成▲同銀でお手伝いになる。そこは抜かりない。 〕


▲3五歩 △2四飛
 この将棋は、先手の升田幸三は「6八銀型」で構えています。この戦型は先手の左の銀は、後手の銀に対して出遅れる運命にあるので、それならいっそ「6八銀」のままの方がよいかもしれません。このほうが守備は堅そうですし、飛車の横利きも通っていますし。ただ問題は、攻めがあるかということ。先手からの攻めがないと、じわじわと後手に攻め形をつくられて勝負どころもなく負けてしまいそうです。
 升田幸三はどうしたか。 3五歩と指しました。
 升田〔 次の▲3四歩を防ぐには△2四飛はこの一手。 〕


▲2六飛 △2五歩  ▲3六飛 △5四角
 升田〔 ここで二つの順に分かれるので迷った。結局は本譜の▲2六飛を選んだのだが、今こうやって局面を見ると、この順は誤った。
 ここはもう一つの順である▲8四歩がよかった。△8四同歩と取るなら▲同飛△8三歩▲7四飛となるが、これは歩の食い逃げで問題にならない。
 そこで▲8四歩に対しては7五銀だが、以下▲8三歩成△8六銀▲7二とと進行する。
 一日目からこうまで激しくするのは、と思って躊躇したのだが、こう指しておれば一手勝ちの将棋だったようである。 〕


▲8六飛  △3五銀 ▲3七銀 △1四歩  ▲8五桂 △8四歩 ▲7三歩
 5四角のような角打ちは横歩取りではよく出てきます。しかしその角打ちを升田さんは軽視していたのかもしれません。先に持ち角を打つとその角がいじめられる展開になるのがいやなのですが、この大山の角は二枚の銀に守られてその心配がありません。
 升田〔 ▲8五桂以下、やや強引な感じではあったが、攻撃にふみきった。 〕


△7一金 ▲9三桂不成 △同桂  ▲8四飛 △8二歩 ▲9四歩 △2六歩
▲同歩 △同銀  ▲4六角
 升田〔 ▲8五桂以下は、作戦に齟齬を感じた焦りからだが、これでなんとか指せるという読みもあった。しかし、△2六歩から反撃されてみると事態は容易ではなかった。 〕


△3七銀不成 ▲2四角 △3八銀不成  ▲3四歩 △7五銀
 升田の苦しい将棋になった。しかし――
 升田〔 大山君に△7五銀という悪手が出た。 〕


▲3三角成 △4二金打 ▲8九飛 △8六桂 ▲8八金 △3六角  ▲4二馬 △同金
▲3七金 △2七角打
 升田〔 すかさず▲3三角成と乗じて△8四銀と飛車を取っているひまがない。 〕
 この瞬間の3三角成を大山名人は見落としたようだ。3三角成は5一飛以下の詰めろになっている。大山、4二金打。

 
▲3三歩成 △4九銀打 ▲同飛 △同銀不成 ▲6九玉 △3三金 ▲2二飛 △3二歩 ▲3九桂
 逆転したか――とも思ったが、そうではなかった。
 升田〔 私などは悪手を指すと、とたんに顔に出してしまうが大山君はポーカーフェイスだ。何くわぬ顔で指し続けるものだから、相手は自分の読みに自信をなくしてしまうらしい。私は大山君の子供の頃から面倒をみていて、彼の性格は知りつくしているから、顔色にだまされて形勢判断を誤るというようなことはないが…。 〕
 ▲3三歩成では、▲5六歩と突くべき、それでも後手良しだが、▲3三歩成は負けをはっきりさせた、と升田は言う。


△3八角成 ▲3六金 △3九馬 ▲2一飛成 △7六桂  ▲4一銀 △6二玉 ▲5一角 △6一玉
▲3三角成 △5八銀成  まで102手で後手の勝ち
 升田〔 この将棋は持時間の十時間をいっぱい使って頑張ったが、どうも読みが空転している。 〕

投了図

 という内容で、まず大山十段が1勝目。



(2)升田幸三‐大山康晴 1964年 十段戦七番勝負 第5局

 これは「9六歩型相横歩」とはまったくつながりのない、中飛車の戦型になるのですが、内容が面白いので紹介したくなりました。

 大山3-1のスコアで迎えた第5局です。升田幸三の先手番。
 この七番勝負では升田幸三が中飛車にする将棋が多いです。振り飛車では中飛車と向かい飛車が多かったのが升田幸三。
 升田〔 前局は大山君にではなく、完全に自分に負けた。終了後の当夜はなかなか寝つけなかった。しかし十日間の休養で体力も若干回復して気力も戻ってきた。借りは必ず返す固い決意だった。それも同じ中飛車で破るつもりであった。 〕

升田幸三‐大山康晴 1964年 十段戦5
 序盤に変化をつけるのが好きな二人。升田はわざと玉の移動を後回しにする。6五歩とやってきても大丈夫、とみている。そう升田が読んでいるとわかっていて大山は6五歩。誘いに乗って、それで升田が負けたら、ダメージはでかい、ということだろう。
 6五歩、同歩、8八角成、同飛、2八角。
 そこで升田、1八香。 1九角成、3九玉。


 これが升田の予定の受け。もちろんこの後も読んでいる。
 4四歩に、3六歩。これは次に3七角と合わせて大山の馬を消す狙い。後手の馬が消えれば、先手に「歩得」が残る。これは必勝に近い。
 ということで、5五歩、同歩、4五歩、同歩、5五馬と進む。


 升田、7七角と角を合わせる。同馬、同桂、5五角。
 升田〔 (7七角に対して)△4五馬なら、▲5六銀左△4四馬▲5五銀△3三馬▲5四歩で問題にならない。 〕
 後手5五角に、先手は、7八飛などと受けると8六歩があるし、6八金では飛車の横利きが止まってしまう。
 升田は5九角と受ける。
 大山の1九角成に、3七角。


 このあたりまですべての変化を読みに読んで升田幸三元名人は、大山の仕掛けを誘ったわけです。「序盤の升田」の凄さです。ただ、これだから終盤でエネルギーが切れる。この将棋も大山が仕掛けを見送っていればこれらの読みはすべてまぼろしに終わっていた。大山が仕掛けたのは升田への“やさしさ”か、それとも一度はやさしくしておいて後でダメージを与えるという、高等な悪魔的戦略か。
 3七同馬、同桂、5七角、4八金、2四角成、5七角。


 升田〔 大山君としては、▲5七角に対しては△3三馬と引きたいところだが、それなら私は▲6六角と出る。△同馬▲同銀△6七角は▲5八角と合わされ無意味なので、△4四歩とでも打って頑張るよりないが、そこで▲5八飛と回って、歩切れの大山君は抵抗しようがないのだ。 〕
 ということで、大山は1四馬。仕方ないとはいえ、これはつらい。つらいけれども、それでも平気で指し続けるのが大山康晴という怪物。


 大山名人は馬をつくってはいるが、働きが悪い。先手の生角のほうが明らかに働いている。
 それになんといっても先手は「二歩得」である。
 形勢は大差。
 序盤で将棋をつくり、優勢を築いて、あとは相手の抵抗を粉砕する、というのが升田将棋。ただし大山相手の場合は、しばしば失敗するのであるが。
 ということで、「升田ほぼ勝ち」という形勢ではあるが、だからこそ慎重にと升田は駒を進めた。「将棋は我慢」なのである。


 升田〔 ここで頭に血がのぼると、とんでもないポカをやることになる。とにかく一手一手に少考を重ね、慎重に指した。 しかし悪い癖というのはそう簡単に直らないようで、再度の6四歩に対する5五角は軽率だった。 〕
 図では、9一と、6五歩、9三角成でよかったという。
 実戦は、5五角、6五歩、7三と、6四飛…


 升田〔 ここまできたら何手かかっても勝つつもりだ。大山君とやるときには、焦りは禁物なのである。 〕
 3六桂、4二と、同金、5六金、4六馬、同銀、6九角、2三銀、同玉、4五角
 升田〔 5六金が受けの決め手である。 〕


 王手飛車取り♪


 139手、升田幸三の勝ち。

 これで十段戦七番勝負のスコアは大山の3-2となりました。

 この将棋は、大山が升田の誘いに乗って仕掛け、升田の読み通りに中飛車優勢となり、そのまま先手が押し切って勝利しました。升田幸三の快勝でした。
 しかし、全盛期の大山康晴の“余裕”も感じられる、という気もしました。3-1なので、升田の誘いとわかっていて仕掛け、不利になってもそれでも勝つチャンスをうかがっている。こういう将棋で升田の集中力が切れてポカの出た将棋が何局もあるわけですから。
 まあでも、升田の用意した序盤の角打ちのやりとりは面白かったですね。「面白い」ということになると、やっぱり升田幸三の勝局になるんですね。

 この1964年度の十段戦は次の第6局を大山が勝ち、4-2で防衛しました。



(3)升田幸三‐塚田正夫戦 1965年

升田幸三‐塚田正夫戦 1965年
 1965年十段リーグの一局。
 この将棋は先手の塚田正夫さんが、「9六歩型相横歩」を誘って、升田幸三がそれに乗ったのですが、「後手升田の模範演技をご覧下さい」というような将棋です。
 7五角をあらかじめ防いで先手が5八玉とした図。
 ここから2六飛、2八歩、7二金、3八金、8三歩が後手の抜かりない手順。
 2六飛の前に先に7二金だと、3八金、2六飛、2七歩で、これは後手「一手損」になってしまう。


 2六の飛車が追われる前に、8三歩で、先に相手の飛車を追うのがよい。このタイミングでは先手は「8六飛」とできないから。


 後手は素早く左銀を進出させ、4五銀。ここに銀がいると、先手は3六歩と突くことができず、先手の右の金銀桂が固まったまま使えない。
 後手は7四歩から銀を進出させることもできるし、7五歩もある。
 こうなると、後手にだけ楽しみのある将棋になる。


 ということで、先手の塚田正夫、こういう駒組を。先手の苦労がうかがわれる。


 先手は7四歩、同飛と、一歩をつかって、5六角と打つ。しかし、歩切れである。
 無理っぽい攻めだが、先手は攻めの糸口をつかまないと後手に完封されそうなのだ。
 升田の8四飛に、塚田7八飛。
 升田、8三角。塚田、6五歩。
 以下、8六歩、7五飛、8七歩成、6四歩、5六角、同金、6四飛、7四歩、6九飛成、7三歩成、同銀、3六角。


 3六角に、8九竜、6四桂、同歩、7二角成。
 塚田の「華麗な攻め」だが…。
 7四歩、7六飛、8六と、6六飛、3五桂、3六歩、3七歩。
 「優勢になったら平凡な手でよい」とよく言う通り。


 3七同玉、2九竜、3五歩、3六歩、まで後手升田の勝ち。


 ということで、今回で「9六歩型相横歩」の研究を終了とします。
 この「9六歩型相横歩」は、先手が望んで仕掛けるのですが、後手が手得するので、結局先手が苦しくなるように思われます。それでは敢えてこれをやる意味がないわけですが、後手番の立場で、先手側にこれを仕掛けられた時にどう対処するのがベストかを知っておく、という意味では意義のある勉強であったかなと思います。


 ちなみに、1965年の十段戦は二上達也さん(羽生善治の師匠、大山の9つ年下)が挑戦者となりました。4―3で、五冠王の大山十段の防衛に終わりました。
 この時期、最強はもちろん五冠王の大山康晴でしたが、二番手はだれかといえば、二上達也だったでしょう。三番手が升田幸三で、あとは「その他」という感じ。
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