はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

女流プロの「角換わりコンプレックス」 3

2013年09月05日 | しょうぎ
 窪田義行著『3三角戦法』、2008年発行。
 
 今日のテーマは、女流棋士の早水千紗さんの指している「角換わり」の特殊戦法ですが、これが少しばかり「3三角戦法」とつながりがあるので、最後のところで少しそれに触れています。



早水千紗-碓井涼子 2002年

 初手より、7六歩、8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3四歩に、「2五歩」。

 これが“早水流”。 ふつうは8八銀と、角交換に備えるところだが、そうしないで2五歩と指す。
 どういう意味かというと、むつかしいことは何もない、7七角成に「同桂」と取る。これが“早水流”の意味。


 「7七桂型」の「角換わり」をめざす。


 この陣形を「菊水矢倉」と言うが、“矢内理絵子流”の「菊水矢倉」は角交換をしない形。早水さんの「菊水」は、角交換型。
 後手の碓井涼子は得意の「棒銀」。先手のこの陣形は桂の頭が弱点になるが、しかし8筋はかなり堅い。


 この図で素直に8六同歩とすれば、7五銀、7六歩、8六銀、8七歩、9五銀となるが、それでは先手面白くないのだろうか? それとも、8六銀、8七歩、7七銀成から、5五桂のような手を警戒したのか。よく判らないが、ここで早水は7四歩と指した。
 7四歩、7五銀、8六歩、同飛、8七歩、8四飛、2四歩、同歩、2五歩、7六歩、6五桂、7四飛、2四歩。


 2二歩、8二角、6四角、7三歩、同桂、同桂成、同角、同角成、同飛、8二角。
 この8二角が、早水千紗のねらいだろう。


 ところが碓井にはここで用意の順があった。
 9五角、5八玉、5五桂。


 9五角で王手で飛車にひもを付け、5五桂から反撃。
 9六歩、4七桂成、同玉、8三飛、9一角成、5九角成。
 さらに9二馬、8四飛、9三馬とすすむが、この瞬間、今度は銀で飛車にひもが付いた。 


 そこで6九馬。 これが厳しく、勝負あった。
 碓井(千葉)の勝ち。


 要するに、「7七桂型の角換わり」、それが “ 早水流 ” です。 (後手だと「3三桂型」になる。)

 早水千紗(はやみずちさ)、1982年生まれ、東京都出身、高柳敏夫門下。




比江嶋麻衣子-早水千紗 2001年
 比江嶋麻衣子さんは結婚をされて藤田に姓が変わり、現在は現役を引退されている。
 これは横歩取り模様の出だしから、先手の2五歩に、早水さん、3三角。
 比江嶋さんは3三角成と角交換。これを同桂と取って、これが“早水流”。
 桂馬を3三に跳ねることが負担になるのか、それとも「一手得」になるのか。


 2四同歩、同飛に、早水は2三銀として「銀冠」に。
 比江嶋は6八飛と飛車を転じて6筋から攻めていった。


 これは比江嶋(藤田)の攻めが成功したようだ――と見えるが…。
 6二飛、4三銀成、同金、4五歩、6七歩、同馬、7三桂、4四歩、同金、3五歩、5九銀、6九飛、4九角。
 この手順のどこかでおかしくしたようだ。


 4九角が好手。これがあるなら、その前の5九銀に対しては、飛車を逃げずに3四歩と攻めるところだったか。


 飛車角総交換になって、この図になった。
 手番を握っている先手がまだ良いのではと思われるが、じゃあここでどう指すのが正解なのか、筆者の実力ではわからない。
 実戦は、4三角、3二角、4二金、4三角、3一飛成、1二玉、4三金と進行。


 そこで早水の手番。6九角。
 これで先手は受けがない。比江嶋は9八玉と逃げたが、7八銀、8八銀、7九飛、9六歩、8九飛成で、早水千紗の勝利。


 これらの棋譜を見て思い出したのだが、そういえば自分がある女流アマと1999年頃にある道場で対戦した時、その女性はこの「角換わり3三桂型」をやってきた。アマの中ではそれなりに流行っていたのかもしれない。



早水千紗-石橋幸緒 2002年
 「7七角成を同桂と取る」と決めれば、いつだって角を上がれる。けっこう便利だ。難しい序盤のあやは考えなくてもよい。“早水流”はしくみは単純なのだ。
 『女流プロの「角換わりコンプレックス」1』では、石橋幸緒の“3手目7七角”戦法について考えたが、その“石橋流”と、この“早水流”とでは、同じ「7七角」であっても全く思想が違う。
 この図の7七角の局面は、おそらくはプロには他に実戦例のない局面。つまりこれは、“早水新手”になる。

 
 いま、後手の石橋が8筋の歩交換で8六歩と出たところ。そこで早水、8五歩。
 この、飛車をバックさせない手段が、この「7七桂型」にはある。
  


 しかしこの場合は、早水の「棒銀」との組み合わせがどうだったか。「棒銀」は2筋から攻めようとする作戦だが、8五歩は、8二角と打ってこちらから攻める狙い。作戦が分裂している感じがある。
 石橋、4四角。
 4四角が絶好打。2六の銀取りを防ぐために早水は3六歩としたが、8七歩の攻めがある。8七歩、同金、3六飛、3七銀、8六歩。


 この瞬間の8六歩。これで後手が優勢。
 石橋の勝ち。 



  
 
早水千紗-本田小百合 2009年
 これは前回解説した“千葉涼子流”の、2六歩~2五歩のオープニング。早水が“千葉流”をつかった。
 本田さんは「後手一手損角換わり」が流行りはじめた後、最近になって「角換わり」をよく指すようになった。その本田さんもまた、先手番のときにこの“千葉流”オープニングを使っている。

 

 ――からの、7七角。
 面白いですね。自分からは角交換はしない、あなたから換えていらっしゃいという…。
 7七同角成と本田は角を換えた。結果、先手が「一手得」になった。



 このようになった。ここで本田は7五歩からの攻め合いを選ぶのだが、これはどうも先手が作戦勝ちしている。後手の陣形に比べて、先手の「菊水矢倉」の形が、とても堅くて玉が深い。


 ここで本田は7六歩。 先手の2四歩に手抜きをするなんて、いくらなんでもそれは…。
 2三歩成、同金、2四歩、3四金、2三歩成。


 これはもう、終わりだ。


 早水の勝ち。



本田小百合-早水千紗 2011年
 これはいわゆる“4手目3三角戦法”。
 この時に、先手は3三角成とするのが良いのかどうか、それがけっこうむつかしいテーマで、実際のところよく判っていない。この後手の「3三角戦法」は、割とプロでも実戦例が多く、特に2008年に大流行した。
 ここで3三角成としない手もあるが、本田さんは交換した。


 後手3三桂型の「相腰掛銀」となり、今、先手の本田小百合が2六角と打ったところ。これは4四歩取りになっているので、早水は4三金右。
 本田の4八飛に、早水は2七角と打った。
 本田は4七金。
 そこから7三桂、8八玉、2一玉とすすむ。


 そこで本田、4五桂。
 これは3七金で、早水の打った角を取ろうというもの。早水、どうする?
 6五歩、3七金、6六歩、2七金とすすんだ。
 早水は角の代償に「歩」を取っただけ。これでいいのか?
 8五桂、5三桂成、同金、7一角、7七桂成、同金、6三飛、6四歩、同金、4四角成、8五桂、7八金、6七銀。 


 なるほど、こうなってみると、先手の2七の金が働きそうにないということもあって、勝負の形になっているかもしれない。
 しかし後手はやはり攻め駒が少ない。
 結果は、先手の本田の勝ち。


 以上で、“早水流”の棋譜調べは終わりです。



行方尚史-丸山忠久 2008年
 「4手目3三角戦法」が2008年に流行したそのきっかけは丸山忠久が連続して採用し始めたからだろう。それまでもこの戦法を指す人は時々いたが、振り飛車が多かった。丸山忠久のはこの図のように、「3三桂型の居飛車」でいく。
 つまり、“丸山流”と“早水流”は、実質同じものなのである。
 丸山流は、4四歩をできるかぎり保留して含み(4四角など)を持たせる指し方をしていた。
 早水千紗さんはこの「3三桂型の角交換居飛車」を2001年から指しており、丸山よりこの道ではずっと先輩だ。この「4手目3三角」に同角成、同桂となって、そこから振り飛車でなく「居飛車」にするというのを最初に指したのは誰かと一応しらべてみたが、公式戦ではたぶん2002年NHK杯での「行方尚史-田村康介戦」になる。けれども早水さんはアマとの将棋(非公式戦)でそれより前に、これを指しているようだ。



 この「4手目3三角戦法」はしかし、振り飛車党が使うことの方が多いように思います。

真田圭一-窪田義行 2007年
 こんな感じで。
 窪田義行さんは丸山以前から「4手目3三角戦法」をよく指していて、それを著書にも書き表しています。(2008年発行、冒頭の写真)
 窪田さんの「3三角戦法」は、振り飛車にする。この指し方自体は窪田さんのプロ入り(1994年)の前からあります。



木下晃-大村和久 1970年
 この「4手目3三角戦法」を辿っていくと、1970年のこの将棋「木下晃-大村和久戦」が出てきました。
 まったくエピソードも聞いたことのないこの人物大村和久さんだが、1928年生まれ(大山康晴名人より5つ年下)、板谷四郎門下、名古屋出身。
 大村さんはこのように「向かい飛車」にして戦う。昔はこの3三角に対して、角交換をせずに先手は様子を見ていた。
 この将棋は、後手の大村さんが4三歩型のままで駒組みを進め、結局、後手のほうから8八角成としました。「角交換振飛車」のルーツの一つがここにあるというわけです。


加藤一二三-羽生善治 1993年
 そしてどうやら、これに対して“5手目3三角成”を指した最初の棋士は、加藤一二三さんである。
 ていうか、羽生さんが「3三角戦法」をすでに1993年に指しているではないか。
 3三同桂、2五歩、2二飛、4八銀、6二玉と進んでいます。



 同じ流れで、「初手から、7六歩、3四歩、7七角」とする「3手目7七角」戦法もある。しかしこれはプロではほとんど指されない。アマチュアで流行った戦法である。


竹◎さん-岩根忍 1994年 女流アマ名人決勝
 ところで、こんなのもある。
 初手より、7六歩、3四歩、2二角成、同銀、7七桂。
 これは1994年の女流アマ名人戦の決勝の棋譜で、この女流アマのこれが得意戦法だったようだ。彼女の作戦は、7八金~6八飛と四間飛車にしてたたかう。上の窪田流とだいたい同じ指し方である。ただし、これは「手損」になる。
 「3手目7七角戦法」だと、相手側に、“角交換をしない”という選択肢もあるが、これは有無を言わさず自分の得意形の「7七桂型」の振り飛車にできるというわけだ。手損はするが、そういうメリットがある。
 これがあるなら、このやり方で、強引に「7七桂型の居飛車」(つまり“早水=丸山流”)も、やろうと思えばできるわけである。

 この勝負に勝って、後手の岩根忍さんが優勝。この時13歳の彼女は翌年に奨励会に入り、その後女流棋士になっています。




 ところで、「3手目7七角戦法」(7六歩、3四歩、7七角)が、プロで流行らないのは、先手番でやるほどの魅力は感じない、ということではと思います。後手番の方がしっくりくるようです。

 また石橋幸緒さんの“3手目7七角戦法”は、「7六歩、8四歩、7七角」から始まる居飛車模様の戦術でしたが、2004年から中飛車をよく指すようになって振り飛車好きになった石橋さんは、今はこれを次の図のように角交換振り飛車に使っています。
石橋幸緒-清水市代 2011年
 “石橋流”から、3四歩、8八飛とすすんでこうなります。
 これは一般プロの実戦例は少ない形ですが、2007年の王将戦七番勝負で羽生善治を相手に、佐藤康光がこれを採用しています。

 この形、一般プロよりもアマ戦や女流の方が先に指していて、女流プロ公式戦で最初に指したのは、横山澄恵(石高澄恵)さんで、1995年です。
横山澄恵-岩根忍 1995年
 この将棋は、7六歩、3四歩、7七角から始まった将棋。


 このように、最近は「角交換」を通じて、居飛車の戦術と振り飛車の戦術がリンクしてきています。



   『女流プロの「角換わりコンプレックス」1』 石橋幸緒流の3手目7七角、高田流3手目7八金
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」2』 千葉涼子流角換わりオープニング(2六歩~2五歩)
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」3』 早水千紗流7七桂(3三桂)型角換わり
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」4』 後手一手損角換わりの登場と相腰掛銀




【追記】

 後で気づいたことがあるので追記します。


 これは1969年の「大山康晴-内藤国雄戦」です。十段リーグの一戦ですが、この将棋はいわゆる「坂田流」のオープニングです。このオープニングは、今では「後手一手損角換わり」でよく現れる出だしですが、それまでは「坂田流」と呼ばれる特殊な指し方だった。
 7六歩、3四歩、2六歩、3二金、2五歩、3三角、同角成、同桂。
 こう進んで、図のようになりました。
 「坂田流向かい飛車」ならば、3三角成を「同金」と応じるわけですが、内藤国雄は「同桂」と応じたのです。

  
 そして内藤は「居飛車」で闘います。するとこれは、“早水千紗流”と同じ戦法なのです。

 この将棋は、内藤さんが2筋の歩を打たず、図のように3五歩と突いて、この後2五歩~2三銀~3四銀という位取り作戦を採ります。


 大山名人が6一角と打ったのですが、これは次に5四銀が狙い。5四同銀なら、3四角成で先手大成功です。
 ここまでは内藤は自分が優勢かと思っていましたが、この6一角~5四銀が受けにくい。
 そこで内藤は1三玉(図)という手をひねりだしました。
 これが好手で、これ以外は後手が崩壊してしまいます。5四銀に、2四玉で、以後も形勢不明の中盤が続きます。(結果は言わないでおきましょう。)

 この将棋の続きはこちらの記事で → 『内藤大山定跡Ⅵ


 このように、“早水流”のルーツは1969年「大山-内藤戦」、ここにあったんですね!


【さらに追記】
 この「角換わり3三桂(7七桂)戦法」のさらに古い将棋があります。「1956年松浦卓造-升田幸三戦」で、こちら(内藤大山定跡Ⅵ)で少し解説しおきました。
 升田幸三の著書によりますと、この作戦はもっと古くから(つまり戦前から)あったようです。プロ棋士の棋譜として残っているもので最も古いのは.、筆者の知る限りはこの「1956年松浦卓造-升田幸三戦」になりますが、おそらく民間棋士の間ではそれよりずっと前から指されていたのですね。ただ戦前は「角換わり」自体が超マイナー戦法だったので、出現確率は相当低い戦法だったでしょう。ですが、すでに存在はしていたということです。
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