はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

ドリームタイム

2008年08月15日 | はなし
 この数ヶ月、ちょっと心身が重くて、なにをやってもしんどい。おもしろくない。こういう時はブログを書いていてもおもしろくないので、「それなら、書かない」、と決めているのですが、気がつくとなぜかけっこう更新しています。(なぜでしょう?) 内容的には、やはり、重苦しい、ですね。「軽快さ」がない。
 暑さのせいではありません。TVでは、猛暑猛暑と煽っていますが、僕は「そんなに暑いかな、確かに暑いけど、夏だからな」などと、のんきに思っています。ていうか、今年は部屋のエアコンを全く使用していないんですよ。冷房がなければないで、身体はそっちに慣れていくんだなー、と。そろそろコオロギの声も聞こえてきていますしね。窓の外から流れてくる風が心地良いです。
 そういう暑さとは別のところで、身体が重い。
 僕のブログの記事内容も、「我が道を行く」って感じになっていますねえ。「ブログ通信簿」では、「自己主張が足りない」と言われていますが、そうですか、世間の人はそんなに自己主張を激しくやっているのですか。うーん…。まあそれはいいんですが、ともかく、「今現在」と大きく遊離した場所に、僕の興味がある。つまり、こころが、そういう場所にあるということ。
 オリンピックも観ていますよ。野球など観ていると、ああ、中島って選手はこういう構えで打席に立つのか、上原投手のピッチングは気持ちいいなとか思いますし、青木選手の膝を大きく曲げて立つ構えとか、描いてみたいですね。あと、体操の冨田選手とか、卓球の福岡選手の顔とか、描いてみたい、そういう気持ちは起こるんです。
 が、どうにも身体が重い。ということは、心も重い。
 どうやら、「沼地」を歩いているようですね、僕は。好んで、そういう道を選んで、すすんでいる。だから重いのは、しかたない。しかたないと観念しつつ、でも、やっぱり、きついのです。



 さて、本題にいこう。書きたいことは、エミリー・ウングワレーのこと。

 丸木スマは73歳で絵を描きはじめ、1956年81歳で生涯を閉じるまでの間に、700ほどの絵を描いたそうです。
 それを知って僕は、画家エミリー・ウングワレーのことを思い出したのです。たまたま2ヶ月ほど前に、エミリーの特集をNHKのTV番組『日曜美術館』でやっていて、僕はそれをビデオ録画していました。上の画は、それを観て、今、僕が描き写したものです。
 その番組の中で、エミリーは自分の鼻に穴を開けて貫通させているのですが、それは彼女の祖先からのずっと大切な場所であるアルハルクラにある岩の穴の形をあらわしたものであるといいます。「エミリーは、自分が故郷のアルハルクラと分かち難い一つのものであることを身体に刻んだのです」と説明していました。その場所、アルハルクラは、彼らが、大地とつながるための場所なのです。エミリーが絵を描くことを始めたのも、大地とのつながりのためなのでしょう。


 エミリー・ウングワレーは、78歳で絵を描き始めました。86歳で亡くなるまでの間に3000点もの作品を残したのです。そこに描かれた世界は、アボリジニのドリーミングの世界だといいます。

 エミリーはアボリジニの一種族の末裔なのです。アボリジニってのは、オーストラリアの大陸に、古くから住んでいる民族のことです。
 アポリジニとか、北方のイヌイットとか、日本ではアイヌとか、彼らは「文字を持たない人々」です。強力な文字文明の出現のために、すりきれて消えてしまいそうになりながら、それでも生きています。文字をもたないから、彼らは、彼らのもつ知恵や誇りを、子孫へ「神話」で伝えていきます。言葉と、絵で。
 そうした自分の一族の「神話」の全体を、アボリジニの場合は「ドリーミング」というのです。

 あるアポリジニのその祖先はフクロネズミだったりします。またエスキモーのある種族の祖先は、熊やハクトウワシだったりします。彼らの「神話」の世界を、ずっとずっと遡っていくと、人間と動物とが話ができた、そういう時代にたどりつくそうです。それを、(アボリジニでは)「ドリームタイム」と言います。

 そうして、丸木スマの絵を観ると、「ああ、これもドリームタイムだなあ」と思えてきます。



 ↑ 丸木スマ「柿もぎ」(一部) 
 柿とからすと人間と花と蝶が、まるで話をしながらあそんでいるように見えませんか。日本の、「ドリームタイム」の世界がここにあります。


 あああっ、「エミリー・ウングワレー展」っての、やっていたんですね。先月まで! 観そこねた、残念!

 エミリーの「エミューの女」って題の作品があるのですが、このエミューってのは、神話の中の巨鳥のことだそうです。彼女の種族にとって大事な鳥のようです。



 金メダルの北島康介選手、シドニーオリンピックの時には4位だったんですね。あのシドニーの時に、マラソンの高橋尚子や、柔道の野村忠宏、田村(谷)亮子が金メダルをすいっと取って、あのころから、僕ら(日本人)は、銀や銅では物足らなくなった気がしますね。「金の味」をおぼえたんですね。それまでは、銀でも銅でも、同じくらい喜んでいたよううな…。
 ふっ、また今日もブログ、書いちまった…。 
コメント
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