1940年代後半、『原爆の図』を制作していた丸木位里・赤松俊子のそばに、「第3の画家」が突如、出現した。
大作を描くふたりの横で、「暑かろう」と団扇で風を送っていた、あの母…丸木位里を産み、育てた母、丸木スマである。絵筆を一度さえ持ったことがなかったスマが、70歳を越えて、絵を描き始めたのである。
働き者であることが自分のとりえだったスマ。年をとって働く必要がなくなった。「たいくつだ~」と困っていたところに、位里の嫁・赤松俊子が、絵を描いてみればとすすめてみた。
すると、スマは描きはじめた。もうれつに描きはじめた。
丸木夫妻の「地獄図」のそばに咲いた花、それが絵描きの新星・丸木スマである。
上の絵は「めし」という作品。 ねずみなのかねこなのかわからない。
大作を描くふたりの横で、「暑かろう」と団扇で風を送っていた、あの母…丸木位里を産み、育てた母、丸木スマである。絵筆を一度さえ持ったことがなかったスマが、70歳を越えて、絵を描き始めたのである。
働き者であることが自分のとりえだったスマ。年をとって働く必要がなくなった。「たいくつだ~」と困っていたところに、位里の嫁・赤松俊子が、絵を描いてみればとすすめてみた。
すると、スマは描きはじめた。もうれつに描きはじめた。
丸木夫妻の「地獄図」のそばに咲いた花、それが絵描きの新星・丸木スマである。
上の絵は「めし」という作品。 ねずみなのかねこなのかわからない。