中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

ゲーテはスザンナの斬首刑を目撃したか?(世界史レッスン第17回)

2006年06月06日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第17回は、「処刑台のある風景」。町や村に立つ処刑台やさらし台に、死体がぶらさがっている日常の殺伐さについて書いた。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/06/post_43dd.html#more

 ところでゲーテは、「ファウスト」グレートヒェンのモデルにしたスザンナの斬首刑を、実際にその目で見たのだろうか?

 後年、彼は妻が死の床で苦しむ姿を正視できず、逃げ回った。一見、不人情のようだが、むきだしの死や苦痛に精神が耐え得なかったと言われている。であれば、残虐きわまりない斬首を見物したとは考えにくい。
 
 しかし--とわたしは思うのだが--当時のゲーテは若く好奇心にあふれていた。そして若い女性の公開処刑は、妙な表現だが「前評判が高かった」。彼がこの機を逃したとはどうしても思えない。

 ゲーテは見物し、ショックを受け、文学作品へと結晶させはしたが、現実の処刑のありさまを書き残すことをしなかっただけなのではないだろうか。今となってはもう確かめるすべもないことだが・・・

 血なまぐさい死については沈黙したゲーテも、すでに白骨化した頭蓋骨については、自伝「詩と真実」の中で次のように書いている。

 「フランクフルトに昔から残っているものの中で、わたしが子どものころから目を引かれたのは、マイン川橋塔にさらされている国事犯(フェットミルヒとその一味)の頭蓋骨だった。

 何も刺さっていない鉄の棒から見て、これは3,4個あったうちのひとつで、1616年以来、時代と風雨にさらされながら残ったものであろう。

 ザクセンハウゼンからフランクフルトへもどってくるたび、塔が見え、頭蓋骨が目に入るのだった。」

 処刑された人間の頭蓋骨が町の目印とは、いやはや。


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##「ベルばらkidsぷらざ」の読者からの感想です⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/06/post_6579.html



コメント (7)
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