中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

鎖国時代の漂流者たち(世界史レッスン第20回)

2006年06月27日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」20回目は「エカテリーナ2世に謁見した日本人」。伊勢の船頭、大黒屋光太夫の数奇な運命について書いた。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/06/post_d90e.html#more 

 海流や気候のせいで、日本からロシアへ漂着する者の数は昔から少なくなかった。ロシアの文献に初めて名前が出てくるのは、1701年、ピョートル大帝の時代にカムチャッカからモスクワに送られた「デンベエ(伝兵衛?)」で、彼はピョートルの命令で日本語教師にさせられた。

 その後も数人が首都へ送られ、ペテルブルクには日本語学校ができたほど。ロシアは政策上、日本の開国を望んでおり、通訳の育成をはかったのである。

 この日本語学校はその後イルクーツクへ移され、大黒屋光太夫らがたどり着いたときに、ここの学校で教師になるよう、半強制的に勧められたのはそのせいだ。長い現地での生活のうち、光太夫の仲間ふたりはキリスト教に改宗するとともに教師としてここで生きてゆくことになった(どうせクリスチャンは日本へ帰れば磔だった)。

 実際に帰国できたのは、光太夫を入れて3人。そのうちひとりは日本の土を踏むや踏まずで病死したから、ロシアからもどれたのは17人中ふたりということになる。そのふたりはけっきょく江戸麹町の薬園に幽閉されてしまい、妻帯は許されたものの、ついに生まれ故郷にはもどれずじまいだった。

 この光太夫を主人公にした映画、「おろしあ国酔夢譚」(佐藤純弥監督)はなかなか面白いのでお勧めです。


♪♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」書評⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html 

コメント (9)
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