朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第68回目の今日は「ルートヴィヒ2世、晩餐にアントワネットを招待」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/06/post_fa98.html#more
70年も前に死んだアントワネットを招待するのは不可能?いえ、そうでもないところがこのバイエルン国王の凄いところなのです。
ルートヴィヒ2世の名前は日本でもよく知られている。ディズニーランドに建つシンデレラ城、そのモデルとなったノイシュバンシュタイン城の城主として。あるいはヴァーグナー最大のパトロンとして。またハプスブルク帝国皇后エリーザベトの従弟として。ルイ15世に優る美丈夫として。そして何より、謎に満ちたその最期によって。
彼の遺骸は、ミュンヘン郊外シュタルンベルク湖のほとりで見つかった。溺死と発表された。40歳。政府から精神錯乱と宣告され、湖のそばの離宮へ幽閉された翌日のことである。付き添いの医者と散歩に出て、そのまま両人とも帰らぬ人となった。事故の可能性など問題外の、静かな湖である。王が医者を殺して自殺したか、それとも暗殺されたか……
当時ルートヴィヒが、国のお荷物になっていたのは確かだ。すでに19世紀の後半で、どこの王制も存亡の危機だったというのに、彼は時代錯誤もはなはだしく、自らをかつての絶対権力者、太陽王ルイ14世に重ねようとした。現実の政治から目をそむけ、国家の財を法外な城造りへ注ぎこんだ。借財に借財を重ねた。政府の要人たちが、いわばクーデターのようにしてルートヴィヒを廃嫡し、新王を擁立したのも無理はない。彼らはしかし、ルートヴィヒの大衆的人気の根強さを恐れてもいた。密かに彼を亡き者にできれば、それが一番都合よかったろう。
ーーもう7年ほど前のことになるだろうか、真冬のシュタルンベルク湖へ行ってきた。ちょうど陽の落ちかかる時間で、湖面には小さなさざなみが立っていた。ひとけのまったくない岸辺には、つもった雪の間からほそぼそと葦が生え、ルートヴィヒの死を悼む記念の十字架が、まるで彼の孤独そのもののように暗い水中に屹立していた。何だか異様に怖かったのを覚えている。
このころノイシュヴァンシュタイン城の近くに、ミュージカル「ルートヴィヒ2世」を単独上演する劇場が建設中だった。「エリーザベト」の大ヒットに続く成功を見込んでのことらしかった。しかしこのプロジェクトは大失敗だったようで、数年後には赤字を出して打ち切りになっている。わたしも結局見られず、CDを手に入れただけだ。日本上演の噂も聞かないが・・・
☆新訳「マリー・アントワネット」(角川文庫)
☆☆アントワネットもまさか死後に他国の王から晩餐の招待を受けるとは、想像していなかったでしょうね。
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
70年も前に死んだアントワネットを招待するのは不可能?いえ、そうでもないところがこのバイエルン国王の凄いところなのです。
ルートヴィヒ2世の名前は日本でもよく知られている。ディズニーランドに建つシンデレラ城、そのモデルとなったノイシュバンシュタイン城の城主として。あるいはヴァーグナー最大のパトロンとして。またハプスブルク帝国皇后エリーザベトの従弟として。ルイ15世に優る美丈夫として。そして何より、謎に満ちたその最期によって。
彼の遺骸は、ミュンヘン郊外シュタルンベルク湖のほとりで見つかった。溺死と発表された。40歳。政府から精神錯乱と宣告され、湖のそばの離宮へ幽閉された翌日のことである。付き添いの医者と散歩に出て、そのまま両人とも帰らぬ人となった。事故の可能性など問題外の、静かな湖である。王が医者を殺して自殺したか、それとも暗殺されたか……
当時ルートヴィヒが、国のお荷物になっていたのは確かだ。すでに19世紀の後半で、どこの王制も存亡の危機だったというのに、彼は時代錯誤もはなはだしく、自らをかつての絶対権力者、太陽王ルイ14世に重ねようとした。現実の政治から目をそむけ、国家の財を法外な城造りへ注ぎこんだ。借財に借財を重ねた。政府の要人たちが、いわばクーデターのようにしてルートヴィヒを廃嫡し、新王を擁立したのも無理はない。彼らはしかし、ルートヴィヒの大衆的人気の根強さを恐れてもいた。密かに彼を亡き者にできれば、それが一番都合よかったろう。
ーーもう7年ほど前のことになるだろうか、真冬のシュタルンベルク湖へ行ってきた。ちょうど陽の落ちかかる時間で、湖面には小さなさざなみが立っていた。ひとけのまったくない岸辺には、つもった雪の間からほそぼそと葦が生え、ルートヴィヒの死を悼む記念の十字架が、まるで彼の孤独そのもののように暗い水中に屹立していた。何だか異様に怖かったのを覚えている。
このころノイシュヴァンシュタイン城の近くに、ミュージカル「ルートヴィヒ2世」を単独上演する劇場が建設中だった。「エリーザベト」の大ヒットに続く成功を見込んでのことらしかった。しかしこのプロジェクトは大失敗だったようで、数年後には赤字を出して打ち切りになっている。わたしも結局見られず、CDを手に入れただけだ。日本上演の噂も聞かないが・・・
☆新訳「マリー・アントワネット」(角川文庫)
☆☆アントワネットもまさか死後に他国の王から晩餐の招待を受けるとは、想像していなかったでしょうね。
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
イギリスの産業革命が本格的に欧州に広がったのは19世紀に入ってからで、ウィーンなどでも、早くても18世紀末、ちょうどモーツァルトの頃に産業革命によるいろいろな発明があるようなのですが……。
今、私が調べている五線を自動的に引く機械の発明記録を見てみたら、革新的とされる機械のひとつが、イギリスで特許をとったのが1770年でした。
とすると、ルイ15世の時代時代のフランスに、そうした技術が発達した可能性はあるのかもしれませんね。(そういえば、五線を引く機械も、ウィーンより先に、イギリスに次いで、フランスで発達しているようです。)
いずれにしろ、上記の私のコメントは、音楽学に関するもの以外、すべて、ノイシュヴァンシュタイン城、ホーエンシュヴァンガウ城、ヘーレンキーム城のガイドや併設された博物館の解説の受け売りです。
ノイシュヴァンシュタイン城のガイドは、「当時最新の技術」といっていました。間違っていたら、ガイドさんに訂正しておいてください。
食堂のエレベーターですが、これまたルイ15世の真似のようですよ。
「お前たちが本当のことを言わなければ、王である私は、どうやって国の現実を知ることができるのか?」
彼が築城に憂き身を窶したのは、一つには、失業している国民に仕事を与えるため。つまりは、日本の公共事業と、何も変わりません。
そのことで、仕事を請け負った民は潤っても、国庫は赤字になり、行き詰る。これもまったく同じです。
ちなみに彼は、築城に際しては、予算の殆どを工賃に当てて、民が潤うようにし、材料などは贅沢をしていない。
だから、大理石も、シャンデリアの金も、すべて紛い物なのだそうです。
その反面、ノイシュヴァンシュタイン城などでは、階下のキッチンと上階の食堂を結ぶエレベーターを設け、大人数の食事を冷めないうちに運べるようにしたとか。
つまり、当時の最新の技術に対する好奇心があり、かなりの合理主義者でもあったようです。
こうしたすべての要素を考え合わせると、ルートヴィヒ2世が本当に狂気であったかどうかは、甚だ疑わしい。
むしろ、王を排斥したい臣下たちが、狂気であるという噂を立てるために、死者を招いたとか、さまざまなでっち上げを言いふらし、王を追い詰めて捕らえ、幽閉し、暗殺したというのが真実なのではないか、というのが通説のようです。
結婚できなかったのは、従姉妹のエリーザベートと相思相愛の仲だったためといわれています。
事実、エリーザベートとは、彼女が嫁いでからも、文通を続けていたし、一時は、エリーザベートの妹ソフィーと婚約したものの、やはりエリーザベートの代用にはならないことに気づいて、破談にしたのだそうです。
婚礼用の衣装やメダルまで作って心待ちにしていた家臣や国民が、甚く失望したのは当然で、このあたりから、「彼は王にふさわしくない」と家臣が思い始め、陰謀に陰謀を重ねたようです。世継ぎを作るのが大事な立場では、仕方のないことなのですが……。
この事実からは、少なくとも、ルートヴィヒ2世が、美少年を愛していたとか、同性愛者だったというのは、作り話のように思えます。
だから結局、ルードヴィヒ2世は、徹底した理想主義者だったのではないでしょうか。
尤も、狂気ではないにしろ、ある種のメルヘンチックな芸術に対する趣味はあったらしい。そしてそれは、母上の影響だったらしいのです。
事実、ノイシュヴァンシュタイン城から程近くに建っている、彼が育ったホーエンシュヴァンガウ城には、庭には白鳥をかたどった泉、室内にはシューベルトの友人でもあるロマン派画家、シュヴィントによる白鳥やミンネゼンガーたちの絵があります。
(ちなみに、バイエルン王宮画家だったシュヴィントの絵は、ウィーン国立歌劇場のシュヴィント・ホワイエや、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークでも見ることができます。)
つまりは、もともと、ルートヴィヒ2世は十分、理性的で知的な人物だったのに、エリーザベートとの悲恋、不誠実な家臣たちによって国の現実を知らされなかったことなどによって、生来のロマンチック志向がが、間違った方向に走り出したということはいえるかもしれませんね。
それでも、彼の芸術観は、ヴァーグナーによる楽劇改革を生む原動力になったし(尤も、ヴァーグナーの側では、このパトロンを少々、煙たがっていたらしいのですが)、ノイシュヴァンシュタイン城は、掛かった建築費を大幅に上回る利益をバイエルンに齎している。
つまりは、彼自身は悲劇的な人生を送ったけれど、後世に対しては、かなり貢献している、ともいえるかもしれない。
まぁ、私としては、少なくともそう思いたいですね。
『エリザベート』はほんとうは大傑作です。でも新宿公演はなぜか衣装は着ているもののコンサート形式で、たぶん少し割愛もしていたはずです。どうしてあんな形にしたのか、全くもって謎の舞台です。
masakoさん
ヘンリー・ジェームス原作とは興味を惹かれますね。いつかDVDで見たいです。でも確かにトリュフォーは作品の出来不出来が大きい監督とはいえますね。
(原作はヘンリー・ジェイムズの「死者たちの祭壇」です)
すごく気になる存在です。そのミユジーカルがあったとは知りませんでした。「エリザーベート」は、この間、新宿公演を鑑賞しましたが、ストーリーを説明したりする手法がなじめず、イマイチでした。
半年くらい前、BSでヴィスコンティ特集が組まれたときに「ルートヴィヒ」も放送されていましたよね。孤独と悲しさを感じる映画でした。。
ルキノ・ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』には、美青年に夢中になる王の一面が描かれていました。時代が時代ですし敬虔なクリスチャンでもあったので、想像を絶する罪悪感に苛まれていたのではないでしょうか。
ashukaさんへ
それは羨ましい!装置から衣装からすばらしく豪華だったとか。しかも初演メンバーの歌を聴くことができたなんて、とってもラッキーなことです。舞台は映画と違い、なまものなので、チャンスを逃がさずほんと良かったですね♪
とても綺麗で、もしまた行くことがあったら
もう一度観たい!と思っていたのですが・・・
なくなっちゃったんですか?残念です・・・
もちろんノイシュバンシュタイン城もリンダーホーフ城も行きました。
冬の一番寒い時期(2月)で、あたり一面が氷の世界でした。
とても幻想的で、こんなところに長くいたら
幻想を追ってしまうのも仕方ないような気がしちゃいました。
幻だけを友として生きるとは・・・虚しいだけであったことでしょう。
生まれてきたことの意味を自分自身に問いかける術を、誰も教えなかったのでしょうか。