浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-11-27 00:48:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


             償いの法則


善悪の行為が自分に返ってくる場合、時間に関係があります。
縁によって、つまりその相手との縁、或いは出来事の縁などの縁生によります。
二十日大根は種を播いて二十日経過すればもう収穫が始まりますね。
豌豆や野菜は三カ月から五カ月ぐらい経てば収穫できます。
桃栗三年、柿八年といいます。
檜は四十年、五十年しなければ伐採はできません。
そのように早く現れる場合と、長い時間経って播いた種が返ってくる場合と、
いろいろあります。

播いてしまった悪い種は、必ず成長して収穫されて自分の許に返ってきますから、
こいつ何とか自分の許に返らないようにしなくてはいけません。
その為には、良い行いをもってするしか、消すことができないのです。
「償いの法則」ですね。
一つの悪に対して、必ずその善の償いが要ります。
山林業をされる場合も、山の木を伐採して放っておくと、のちに雑木に山になります。
伐採の償いとして次の苗木を植えておかなければいけません。
過ちに一つ気付いたら、それに返る罪の償いをして、
何か一つ良い行いを積んでいくのです。
一つの悪を犯して「ああ私は悪い、私はもう罪人だ」といって自分を苦しめては、
神のご意志に背きます。

悪に目覚めた時に、その悪を土台として、良き行いを積めばいいのです。
あのジャン・バルジャンは、路傍に倒れて、
のたれ死になりかけていたところを神父さんに助けてもらい、
下男として働かしてもらいます。
恩を知っていれば、そこで恩返しをしなくてはいけませんのに、
ジャン・バルジャンは教会にあるお盆や燭台、そのほかいろいろな金の装飾品をみな袋に入れ、
それをかかえて逃げてしまいます。
それを元手に大きい商売をして大富豪になりました。
しかし自分の犯した罪が、自分の良心を責めます。

そしてその償いとして、盗んだ燭台や道具以上の物を返し、
又多くの方々の救済に当たりました。
数限りない人々を、その償いとして救われたのですね。
この場合、たとえ神様の物を盗んでも、それによって目覚めて、今度は
大勢の人を救いました時は、神様は必ず喜んで下さいます。
「あなたは目覚めました。よくそのような気持ちになってくれました。
私の燭台を盗んだことは許しましょう」と言って許されるはずです。
神様がいちばん喜んで下さるには、神様の意志に沿った行為をした時です。
いくらお金を供えても、神様には必要がないのですから駄目です。
神様はおよろこびになりません。


           ~ 感謝・合掌 ~





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