ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ゲド戦記感想の続き

2003年04月10日 | 読書
一昨日書いた感想に、肝心なところを書き忘れていたので追加です(汗)
今回の「アースシーの風」の中で最も心を動かされたシーンのひとつが、テハヌーが死について語る場面でした。
今本が手元になくて台詞があやふやなのですが(汗)「あたしが死んだら、今までしてきた息をこの世界に返せるんじゃないかなあ」という言葉にハッとしました。
死ぬということは、今まで生かしてくれていた命を世界に返すということなのだということなのですよね。
人間は死んで自分でなくなることに恐怖するけれど、竜は自分という個人がなくなることは怖れないのでしょう。
けれど、人間は、自分が自分自身であることも含めて、「所有する」ことを選んだ、
だから「失う」ことである死を恐れるのだ、という考え方に、なるほど、と思いました。
ひょっとしたら死への恐怖を持っている動物は人間だけかもしれませんよね・・・
この台詞を読んでいてもう一つ感じたのは、「葉っぱのフレディ」のことでした。
葉っぱは役目を終えて散った後も土に還って、新しい命の礎になるのだ、というのが
「葉っぱのフレディ」の死生観ですが、テハヌーも同じことを言っているのだなあ、
と思ったのです。
ちょっと話がそれますが、「葉っぱのフレディ」が日本で島田歌穂主演でミュージカルになっていますが、その作・演出の忠の仁氏がこのミュージカルを作ろうと思ったのは、絵本の「フレディ」を読んで、「でも役目を果たす前に散ってしまう若い葉=子供の死にはどう答えたら良いのだろう?」という思いからだったそうです。
その答えが、おもいがけずテハヌーの台詞の中にありました。
テハヌーは、今までしてきた息だけでなく、「これからなるはずだったもの、
なれたかもしれなかったもの」も返すんだと思うと言っていました。
この言葉にすごく感銘を受けました。命とは、今生きているということだけではなく、その未来の可能性までも含んでいるものなのだ、と、そう言っているように思いました。
うーん、やっぱり深い作品です。

もう一つ、「指輪物語」との関連で・・・
竜たちが「もう一つの風」に乗って西へ去ってしまうことがエルフたちが西へ去ってしまうことと似ている、と書いたのですが、それに関して、ちょっとショックだったことも・・・。
「アースシーの風」の中では、「もう一つの風」に乗ることは人間にとっては死を意味するのです。
ということは・・・「指輪」の世界でヴァリノールへ行くということはやはり死んでしまったということなのかも・・・と思ったのでした。
トールキンがどういう意図だったかはともかく、ル=グインはヴァリノールのことを
そういう風に捉えたのかもなあ、なんて思いました。実際のところその辺りを意識して書いたかどうかはわかりませんけど。
こうして考えてみると、そう言えば「ナルニア国ものがたり」のラストも同じような展開だなあ、なんてことに気が付きました。
「指輪」「ナルニア」「ゲド」、この3作品が同じようなラストになっているなんて、興味深いなあ、と思いました。
そして、それがこの三作品を他のファンタジー作品から一線を画させているゆえんなのかも、なんてことも思ったのでした。
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