実はゲド戦記の「さいはての島へ」と「帰還」の間にムーミンシリーズ読んでいたのですが。
このシリーズ、初めて読んだのは結構最近で、ほんの数年前でした。
読んでみて、面白くてびっくりでした。昔見てたアニメとは全然違う(笑)
コミックもあるようですが、ちらっと読んだ感じでは特に読みたいと思いませんでした。この童話シリーズが好きですねえ。
読んでみてびっくりしたのは、「本当は怖い~童話」じゃないけど、結構暗い話だったことです。
描かれている登場人物たちも実に後ろ向きだし。
意外にシニカルな話なのでびっくりしました。
その一方で、児童文学らしいというか、子供らしい心理がかわいく描かれているところももちろん魅力だと思いますが。
ムーミントロールのスナフキンに心酔する様が、年上の友達に憧れる子供らしい心理をよく表してるなーとか思うし。
スノークのおじょうさんの目先のことしか見えないところは女の子の愚かさとかわいさをよく表していると思います。トーベ・ヤンソン自身はそういう女の子だったとは全く思われませんが、よくわかってるなあと。
そんな愚かしくもかわいい女の子を好きだと思うムーミントロールの心理もまたよく書けてるなあと。この二人は子供の幼い初恋(それも幼稚園か小学校低学年の)の感じがよく出てるなあと思います。
そして、男の子らしく勇ましそうでいて、なんでもママが解決してくれると信じきっているムーミントロールがまたかわいいですねー。子供の頃ってそうだよなあと。
こういうあたりはまさに児童文学の魅力、と思うんですよね。
一方で、洪水が起きたり彗星が衝突しそうになったり・・・という物語の暗さについては、訳者あとがきでも、戦争が時代背景にあるということを言っていて、それはそうだろうなあと思います。
けれど、あとがきでは、こういう暗さは成功していない、だから後に明るい作風になった、というのですが、後期のムーミンパパ海へいくでもわかるように、暗さは影をひそめていただけで、実際には暗い方が本来の姿なんじゃないかと思うんですが・・・
私は青い鳥文庫で読んでますが、どうもこのあとがき、一面では確かに・・・と思うんですが、このシリーズの暗黒面???を無視して、良い子なところしか評価していない気がして、違和感があってならないです。
物語の背景の暗さもありますが、なんといっても暗いと思うのは、ムーミンパパが妻子を置いて、あるいは無理やり引き連れて放浪したがる性癖がある、というところですね。
このあたりあとがきでどう解説してるだろう・・・と思ったら、思いっきり避けて通られていたのでがっかり、でした。
このムーミンパパの放浪癖、ムーミンママの家庭的すぎる?ところと比較して、トーベ・ヤンソンの男女観を描いているようでとても興味深いと思うんですが。
後にトールキンの「終わらざりし物語」で「アルダリオンとエレンディス」を読んで、このムーミンパパとムーミンママのことを思いだしたものです。
どちらも、自由でありたいと、常に気持ちが外に向かうのが男、家庭を守りたいと気持ちが内側に向かうのが女、みたいな、男と女の根本的な違いによるすれ違いを描いているように思えるんですね。
ただ、トーベ・ヤンソン自身はムーミンママやスノークのおじょうさんのようなタイプの女性だったとは思えないし、ミムラやミイやおしゃまさんのような女の子たちも登場してますから、単純な男女観ではなく、一つの例かなーとは思いますが。
この「ムーミンパパ海へ行く」、暗くて嫌いという人も多いようですが、私は暗さの中にも何がしかの暖かさを感じます。
小さなトロールと大きな洪水では妻子を置き去りにして放浪していたムーミンパパが、今度は無理やりでも家族一緒に行こうとした、ということに、ちょっと感動したりもするのです。
一見無理やりだけれど、それでももう家族と離れまいと思ったんだなあと・・・
ムーミンママも、それがわかっていて、本当は家を離れたくないけれど、パパとも離れたくないから、愚痴ひとつ言わずについて行くんですね。
その結果ホームシックになって心のバランスを崩す様は見ていて怖かったですけど・・・(汗)
放浪癖と言えばスナフキンですが(笑)昔アニメで見ていたときはカッコイイ印象でしたが、原作では結構いい加減男ですよねスナフキン・・・(汗)
ただ、ムーミントロールの慰め方とか、ムーミン谷の仲間たちの中のエピソードで、小さい竜が自分になついてしまった時の処し方とか、結構悟ってるところもあったりして、そういうところは大人だなあと思ったりもしますが。
しかし、スナフキンの父親のヨクサルはただのいい加減な怠け者だと思う・・・スナフキンがこの父親似だとすると(いや間違いなくそうだけど)うーむ、ですが(汗)
そう言えば、ムーミンパパの思い出で、若き日のムーミンパパがスナフキンやスニフの父親と一緒に旅をしていた話をするけれど、どうも眉唾な気がしてならない・・・スナフキンともスニフとも偶然出会っているのに、その父親たちとパパが仲間だったなんて。
どうも、スナフキンやスニフのためにパパが作り話をしているのでは、という気がするんですよね。なので、最後にその両親たちが現れるのが、物語が本当になったみたいで、なんだかちょっと不思議なあったかい気持ちになったりします。もしかしたら彼らが見た幻想なのかも、とも思って。
あと、登場人物たちに、すごく後ろ向きで変わった人たちが多いのも印象的です。
弱虫で欲張りでヤキモチやきなスニフはまあ子供らしいとしても、ミーサとかホムサとかフィリフヨンカとか、面白いくらいに被害妄想で後ろ向きな登場人物が出てきますね。
その後ろ向きなキャラクターたちを否定せず、彼らなりの彼ららしい気持ちの落ち着き先を見つけて描いているところに、トーベ・ヤンソンの優しさと懐の広さを感じます。
特にそれを感じるのがムーミン谷の十一月ですね。ムーミン一家に会いたいとムーミン谷にやってきた人たちが、不在のムーミン一家が帰ってくる前に、自分たちで自分自身の気持ちの整理をつけて去って行くというこの物語、とても好きです。
皆が皆あくせく前向きに頑張らなくてもいいんだよ、後ろ向きな人だって自分らしく生きていいんだよ、と言っているようで、なんかすごく癒されるんですよね・・・。モモなんかもそうなんですが。
そんな中、私が一番の傑作だと思うのはムーミン谷の冬ですね!
フィンランドの厳しい冬の描写と、一人目覚めてしまったムーミントロールの自立していく様子が見事に描かれていると思います。
今回読んでいて、雪うまが子りすを乗せて走り去っていくところは泣けてしまった・・・
冬の描写もすばらしいけど、春の訪れの描写もまた素晴らしいんですよね。本当に名作だと思います。
そうそう、キャラクターではミイが一番好きですねー。昔アニメを見ていた時は、ミイって意地悪だから嫌い、と思ってたんですが、さすがに大人になったんだなあと(笑)
笑うか怒るしかしない、というのもすごいですが、ちょっとそんなに強くなってみたいな・・・という点でも憧れたりもしますが、やっぱり子供らしくてかわいいんですよね。
そう言えば、作品が進むごとに、最初一緒にいたスニフがいなくなったり、スノークのおじょうさんがムーミン屋敷に住んでなかったり・・・と微妙な変化があるんですが、このあたりはどうなってるのかなあ。
スニフは両親が見つかったからその後両親と住むようになった、とかならいいんですが、とか思ってしまいます。
しかしスニフの両親、「大掃除の日にいなくなった」ってどんな行方不明だ・・・(笑)
というわけでとりとめもなく長い感想になってしまいました。2冊ずつくらいに分けて感想書けばよかったかなあ・・・
このシリーズ、初めて読んだのは結構最近で、ほんの数年前でした。
読んでみて、面白くてびっくりでした。昔見てたアニメとは全然違う(笑)
コミックもあるようですが、ちらっと読んだ感じでは特に読みたいと思いませんでした。この童話シリーズが好きですねえ。
読んでみてびっくりしたのは、「本当は怖い~童話」じゃないけど、結構暗い話だったことです。
描かれている登場人物たちも実に後ろ向きだし。
意外にシニカルな話なのでびっくりしました。
その一方で、児童文学らしいというか、子供らしい心理がかわいく描かれているところももちろん魅力だと思いますが。
ムーミントロールのスナフキンに心酔する様が、年上の友達に憧れる子供らしい心理をよく表してるなーとか思うし。
スノークのおじょうさんの目先のことしか見えないところは女の子の愚かさとかわいさをよく表していると思います。トーベ・ヤンソン自身はそういう女の子だったとは全く思われませんが、よくわかってるなあと。
そんな愚かしくもかわいい女の子を好きだと思うムーミントロールの心理もまたよく書けてるなあと。この二人は子供の幼い初恋(それも幼稚園か小学校低学年の)の感じがよく出てるなあと思います。
そして、男の子らしく勇ましそうでいて、なんでもママが解決してくれると信じきっているムーミントロールがまたかわいいですねー。子供の頃ってそうだよなあと。
こういうあたりはまさに児童文学の魅力、と思うんですよね。
一方で、洪水が起きたり彗星が衝突しそうになったり・・・という物語の暗さについては、訳者あとがきでも、戦争が時代背景にあるということを言っていて、それはそうだろうなあと思います。
けれど、あとがきでは、こういう暗さは成功していない、だから後に明るい作風になった、というのですが、後期のムーミンパパ海へいくでもわかるように、暗さは影をひそめていただけで、実際には暗い方が本来の姿なんじゃないかと思うんですが・・・
私は青い鳥文庫で読んでますが、どうもこのあとがき、一面では確かに・・・と思うんですが、このシリーズの暗黒面???を無視して、良い子なところしか評価していない気がして、違和感があってならないです。
物語の背景の暗さもありますが、なんといっても暗いと思うのは、ムーミンパパが妻子を置いて、あるいは無理やり引き連れて放浪したがる性癖がある、というところですね。
このあたりあとがきでどう解説してるだろう・・・と思ったら、思いっきり避けて通られていたのでがっかり、でした。
このムーミンパパの放浪癖、ムーミンママの家庭的すぎる?ところと比較して、トーベ・ヤンソンの男女観を描いているようでとても興味深いと思うんですが。
後にトールキンの「終わらざりし物語」で「アルダリオンとエレンディス」を読んで、このムーミンパパとムーミンママのことを思いだしたものです。
どちらも、自由でありたいと、常に気持ちが外に向かうのが男、家庭を守りたいと気持ちが内側に向かうのが女、みたいな、男と女の根本的な違いによるすれ違いを描いているように思えるんですね。
ただ、トーベ・ヤンソン自身はムーミンママやスノークのおじょうさんのようなタイプの女性だったとは思えないし、ミムラやミイやおしゃまさんのような女の子たちも登場してますから、単純な男女観ではなく、一つの例かなーとは思いますが。
この「ムーミンパパ海へ行く」、暗くて嫌いという人も多いようですが、私は暗さの中にも何がしかの暖かさを感じます。
小さなトロールと大きな洪水では妻子を置き去りにして放浪していたムーミンパパが、今度は無理やりでも家族一緒に行こうとした、ということに、ちょっと感動したりもするのです。
一見無理やりだけれど、それでももう家族と離れまいと思ったんだなあと・・・
ムーミンママも、それがわかっていて、本当は家を離れたくないけれど、パパとも離れたくないから、愚痴ひとつ言わずについて行くんですね。
その結果ホームシックになって心のバランスを崩す様は見ていて怖かったですけど・・・(汗)
放浪癖と言えばスナフキンですが(笑)昔アニメで見ていたときはカッコイイ印象でしたが、原作では結構いい加減男ですよねスナフキン・・・(汗)
ただ、ムーミントロールの慰め方とか、ムーミン谷の仲間たちの中のエピソードで、小さい竜が自分になついてしまった時の処し方とか、結構悟ってるところもあったりして、そういうところは大人だなあと思ったりもしますが。
しかし、スナフキンの父親のヨクサルはただのいい加減な怠け者だと思う・・・スナフキンがこの父親似だとすると(いや間違いなくそうだけど)うーむ、ですが(汗)
そう言えば、ムーミンパパの思い出で、若き日のムーミンパパがスナフキンやスニフの父親と一緒に旅をしていた話をするけれど、どうも眉唾な気がしてならない・・・スナフキンともスニフとも偶然出会っているのに、その父親たちとパパが仲間だったなんて。
どうも、スナフキンやスニフのためにパパが作り話をしているのでは、という気がするんですよね。なので、最後にその両親たちが現れるのが、物語が本当になったみたいで、なんだかちょっと不思議なあったかい気持ちになったりします。もしかしたら彼らが見た幻想なのかも、とも思って。
あと、登場人物たちに、すごく後ろ向きで変わった人たちが多いのも印象的です。
弱虫で欲張りでヤキモチやきなスニフはまあ子供らしいとしても、ミーサとかホムサとかフィリフヨンカとか、面白いくらいに被害妄想で後ろ向きな登場人物が出てきますね。
その後ろ向きなキャラクターたちを否定せず、彼らなりの彼ららしい気持ちの落ち着き先を見つけて描いているところに、トーベ・ヤンソンの優しさと懐の広さを感じます。
特にそれを感じるのがムーミン谷の十一月ですね。ムーミン一家に会いたいとムーミン谷にやってきた人たちが、不在のムーミン一家が帰ってくる前に、自分たちで自分自身の気持ちの整理をつけて去って行くというこの物語、とても好きです。
皆が皆あくせく前向きに頑張らなくてもいいんだよ、後ろ向きな人だって自分らしく生きていいんだよ、と言っているようで、なんかすごく癒されるんですよね・・・。モモなんかもそうなんですが。
そんな中、私が一番の傑作だと思うのはムーミン谷の冬ですね!
フィンランドの厳しい冬の描写と、一人目覚めてしまったムーミントロールの自立していく様子が見事に描かれていると思います。
今回読んでいて、雪うまが子りすを乗せて走り去っていくところは泣けてしまった・・・
冬の描写もすばらしいけど、春の訪れの描写もまた素晴らしいんですよね。本当に名作だと思います。
そうそう、キャラクターではミイが一番好きですねー。昔アニメを見ていた時は、ミイって意地悪だから嫌い、と思ってたんですが、さすがに大人になったんだなあと(笑)
笑うか怒るしかしない、というのもすごいですが、ちょっとそんなに強くなってみたいな・・・という点でも憧れたりもしますが、やっぱり子供らしくてかわいいんですよね。
そう言えば、作品が進むごとに、最初一緒にいたスニフがいなくなったり、スノークのおじょうさんがムーミン屋敷に住んでなかったり・・・と微妙な変化があるんですが、このあたりはどうなってるのかなあ。
スニフは両親が見つかったからその後両親と住むようになった、とかならいいんですが、とか思ってしまいます。
しかしスニフの両親、「大掃除の日にいなくなった」ってどんな行方不明だ・・・(笑)
というわけでとりとめもなく長い感想になってしまいました。2冊ずつくらいに分けて感想書けばよかったかなあ・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます