今日は20人ポスター最後の3人です。20人と言いながら実は同一人物が二人入ってるんですよね~。
ビルボはもうちょっと若い時の写真にはできなかったものでしょうか。せめて裂け谷くらいで・・・
シネプレックス、新座に行こうか幕張に行こうか、なんて思ってましたが、スケジュールをよく確認したら、FotRは新座、TTT、RotKは幕張に行くという選択肢しかないことに気がつかました。うーん、新座の方が近かったのに・・・
そして、今日から4月なので、ブログも春らしく模様替えしたかったのですが、指輪サイトのトップページをマイナーチェンジしたのみで終わってしまいました(汗)
オオイヌノフグリは私が一番好きな花です。最近近所でもあまりみかけなくなってしまいましたが・・・
とまあそんなことはともかく、相変わらずSEE特典映像を見ていないので、原作の話などを。
原作は、フロドがアモン・スールで刺されて、そろそろ石化トロルが出てくるかなーというところ。
アモン・スールのあたりを読んでいて、黒の乗り手が退却したのは、何もアラゴルンがやっつけてくれたからではなく、フロドを刺したことで目的は果たした、と思っていたからだったんだ、ということに初めて気がつきました(汗)そして、フロドは魔王の目論見よりもずっと抵抗する力を持っていたのだということも思い出しました。うーん、こんなところでも名誉毀損が行われていたのですねえ、PJ映画(汗)
それにしても、ラジオドラマを聞いても思ったのですが、PJ映画に慣れていると、原作の馳夫さんていいなあ、と思いますね。いや、ヴィゴ・アラゴルンが良くないというのではないけれど。
フロドたちに認めてもらった後に、「わたしは、あなた方がわたし自身のためにもわたしを好きになってくれることを望んだのだ。」というあたりには、ちょっとじんわり来ました。
私の初読時以来の「指輪物語」の感動の源は、大きい人たちのホビットたちへの優しさ、でした。
でも何度か読み返し、映画も何度も見ているうちに、ただ優しいから感動したのではなかったことに気がつきました。
ただ優しいだけでなく、ホビットの生き方に感銘を受け、尊重し、心を癒されている様に感動したんだなあと。
それに気付かせてくれたのは、やはりPJ映画なんですが(汗)ただ優しければいいもんじゃないんだなあと、PJ映画が教えてくれましたよ(汗)
そういう意味では、実はボロミアのホビットたちへの優しさって、単に自分より弱いものへの優しさであって、アラゴルンやファラミアとはちょっと違うんだなあといこともわかって来ました。まあ、最後にはメリーとピピンを守ることで救われましたが。
デネソールもピピンに心を動かされていて、そういう意味ではボロミアよりもファラミアに近いように思ったりもします。映画は原作とは全然違うデネソールですが(汗)それでも、ピピンに歌わせたり、自らピピンを引きずって行ったりするデネソールは、なんだかかわいいなあと思えたりします。
映画のセオデンにがっかりしたのは言うまでもなく(汗)
でも、代わりにエオウィンとメリーの絆は良かったですけどね。ファラミアも、原作とはまた違った視点でホビットに感銘を受けていたかな。ピピンに癒されたりしてたし(笑)
話が逸れましたが(汗)原作のあの台詞で、一人過酷な使命を負ってさすらっていたアラゴルンが、ホビットたちとの友情によって癒されたいと感じていたことがわかります。
ホビットたちにとっても馳夫さんは特別な存在になって行きます。ミナス・ティリスでのアラゴルンとピピン、メリーの再会、そしてコルマルレンの野でのサムとフロドとの再会には、そんなホビットたちの馳夫さんへの愛着と、アラゴルンのホビットたちへの想いが感じられて、とても好きです。
映画のアラゴルンは、ホビットたちに優しいことは優しいのですが、やっぱり「ただ優しいだけ」かなあ・・・。フロドを送るシーンと、RotK SEEのメリーとの追加シーンは結構いいんですけど。ああいうシーンがもっとあったら良かったんですが。
映画のアラゴルンで一番残念だったのは、フロドと再会した時、気さくな笑顔を見せはしましたが、静かにベッドの脇で見守るだけだったことです。サムとアラゴルンの再会シーンもなかったし。(というか、そもそも映画ではサムとアラゴルンの接触あんまりないですよね)
ホビットたちにとって、馳夫さんは「特別な人」だったはずなのだけれど、映画ではそのあたりのウェイトが軽くなってしまっていて、残念だなあと思います。クールなヴィゴ・アラゴルンはカッコいいけれど、私はカッコいいアラゴルンではなくて、ホビットに優しい馳夫さんが好きなもんで。
だから、原作を読んでいると、ホビットに優しい馳夫さんがとても嬉しいです。多分映画を観る前よりも馳夫さんのこと好きになってます(笑)これもPJ映画効果のひとつですね。
ビルボはもうちょっと若い時の写真にはできなかったものでしょうか。せめて裂け谷くらいで・・・
シネプレックス、新座に行こうか幕張に行こうか、なんて思ってましたが、スケジュールをよく確認したら、FotRは新座、TTT、RotKは幕張に行くという選択肢しかないことに気がつかました。うーん、新座の方が近かったのに・・・
そして、今日から4月なので、ブログも春らしく模様替えしたかったのですが、指輪サイトのトップページをマイナーチェンジしたのみで終わってしまいました(汗)
オオイヌノフグリは私が一番好きな花です。最近近所でもあまりみかけなくなってしまいましたが・・・
とまあそんなことはともかく、相変わらずSEE特典映像を見ていないので、原作の話などを。
原作は、フロドがアモン・スールで刺されて、そろそろ石化トロルが出てくるかなーというところ。
アモン・スールのあたりを読んでいて、黒の乗り手が退却したのは、何もアラゴルンがやっつけてくれたからではなく、フロドを刺したことで目的は果たした、と思っていたからだったんだ、ということに初めて気がつきました(汗)そして、フロドは魔王の目論見よりもずっと抵抗する力を持っていたのだということも思い出しました。うーん、こんなところでも名誉毀損が行われていたのですねえ、PJ映画(汗)
それにしても、ラジオドラマを聞いても思ったのですが、PJ映画に慣れていると、原作の馳夫さんていいなあ、と思いますね。いや、ヴィゴ・アラゴルンが良くないというのではないけれど。
フロドたちに認めてもらった後に、「わたしは、あなた方がわたし自身のためにもわたしを好きになってくれることを望んだのだ。」というあたりには、ちょっとじんわり来ました。
私の初読時以来の「指輪物語」の感動の源は、大きい人たちのホビットたちへの優しさ、でした。
でも何度か読み返し、映画も何度も見ているうちに、ただ優しいから感動したのではなかったことに気がつきました。
ただ優しいだけでなく、ホビットの生き方に感銘を受け、尊重し、心を癒されている様に感動したんだなあと。
それに気付かせてくれたのは、やはりPJ映画なんですが(汗)ただ優しければいいもんじゃないんだなあと、PJ映画が教えてくれましたよ(汗)
そういう意味では、実はボロミアのホビットたちへの優しさって、単に自分より弱いものへの優しさであって、アラゴルンやファラミアとはちょっと違うんだなあといこともわかって来ました。まあ、最後にはメリーとピピンを守ることで救われましたが。
デネソールもピピンに心を動かされていて、そういう意味ではボロミアよりもファラミアに近いように思ったりもします。映画は原作とは全然違うデネソールですが(汗)それでも、ピピンに歌わせたり、自らピピンを引きずって行ったりするデネソールは、なんだかかわいいなあと思えたりします。
映画のセオデンにがっかりしたのは言うまでもなく(汗)
でも、代わりにエオウィンとメリーの絆は良かったですけどね。ファラミアも、原作とはまた違った視点でホビットに感銘を受けていたかな。ピピンに癒されたりしてたし(笑)
話が逸れましたが(汗)原作のあの台詞で、一人過酷な使命を負ってさすらっていたアラゴルンが、ホビットたちとの友情によって癒されたいと感じていたことがわかります。
ホビットたちにとっても馳夫さんは特別な存在になって行きます。ミナス・ティリスでのアラゴルンとピピン、メリーの再会、そしてコルマルレンの野でのサムとフロドとの再会には、そんなホビットたちの馳夫さんへの愛着と、アラゴルンのホビットたちへの想いが感じられて、とても好きです。
映画のアラゴルンは、ホビットたちに優しいことは優しいのですが、やっぱり「ただ優しいだけ」かなあ・・・。フロドを送るシーンと、RotK SEEのメリーとの追加シーンは結構いいんですけど。ああいうシーンがもっとあったら良かったんですが。
映画のアラゴルンで一番残念だったのは、フロドと再会した時、気さくな笑顔を見せはしましたが、静かにベッドの脇で見守るだけだったことです。サムとアラゴルンの再会シーンもなかったし。(というか、そもそも映画ではサムとアラゴルンの接触あんまりないですよね)
ホビットたちにとって、馳夫さんは「特別な人」だったはずなのだけれど、映画ではそのあたりのウェイトが軽くなってしまっていて、残念だなあと思います。クールなヴィゴ・アラゴルンはカッコいいけれど、私はカッコいいアラゴルンではなくて、ホビットに優しい馳夫さんが好きなもんで。
だから、原作を読んでいると、ホビットに優しい馳夫さんがとても嬉しいです。多分映画を観る前よりも馳夫さんのこと好きになってます(笑)これもPJ映画効果のひとつですね。