ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

PJ映画のセオデン

2004年02月25日 | 旧指輪日記
原作のセオデンに初めて惚れた(笑)のは、ガンダルフの助けを借りて暗闇の中から甦る場面でした。それが映画では「サルマンがセオデンに憑りついてましたー」という単純明快な設定になってしまって、涙を呑んだものでした・・・。
甦った後も、角笛城に逃げるの判断ミスみたいに言われちゃうし、なんだかアラゴルンに比べて「情けない王」みたいな扱いにされてしまっていて、憤慨しきりでした。
でも、TTTを何度も観るうちに、バーナード・ヒルの演技にも助けられて、映画のセオデンもいいなあと思うようになりました。
原作のセオデンは、ガンダルフに癒されてすぐに暗闇から抜け出したけれど、映画のセオデンは、甦ってからも厳しい現実に自力で向かい合い、自らの苦悩と戦わなければならなかったのだと。
しかしTTTのラスト、アラゴルンに「共に剣を抜こう」と言うセオデンが「アラゴルンを指導者として認めた」のだという解釈をオーディオコメンタリーで聞いた時はかなりショックでした(汗)あの場面で映画のセオデンは原作のセオデンに追いついたのだと思っていたので・・・
でも、馬鍬砦でのエオウィンとの別れの場面で、「ローハンを救ったのはセオデンではない」と言うセオデンを観て、ああ、そういうことか、と思いました。セオデンは、自分の力では自分の民を守れなかったことに悩み、エオル王家の王として先祖の勲しに自分が及ばないことにずっと悩んでいたんだなあと。
PJ映画では、セオデンを始め、サウロンの放つ暗黒(まあセオデンやエオウィンは直接サウロンからではないですが)に心を捉われてしまった人々の絶望とそこからの癒し、という原作の要素は全くなくなり、皆それぞれの心の悩みに置き換えられているようです。TTTの時はそれがかなりショックでしたが、RotKを観たらそれも納得できるような気がしました。どの人物の悩みも、とても人間的で共感できるものに描かれていたので。
セオデンもまた、歴史に残るエオル以来のローハン軍の長征という偉業を成し遂げ、栄誉ある死を迎えましたが、その影にはとても人間くさい苦悩があったのだと思うと、映画のセオデンもいいなあと思うのでした。
ただ、セオデンの最期の場面はもう一息かな。もっと、エオウィンに「幸せになって欲しい」というようなことを言って欲しかったです。原作でメリーに言っていた台詞の代わりに・・・それだけ残念ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする