文庫版の「追補編」出てないかな・・・と本屋に行ったら、ホビット4人が表紙の「PREMIRE」日本版が売っていたので思わず買ってしまいました。
ホビット4人のインタビューは面白かったです。ショーン・アスティンがホビットについて色々言っていて、コメンタリー聞いたばかりなので「またか~(汗)」と言う感じでしたが(汗)イライジャ・ウッドの「サムの無邪気さは素敵だと思う」という発言に救われるような思いでした。
でも、そんなアスティンを他の3人がいなしたりしてる様子を見て、この人たち本当に仲がいいんだなあと思いました。そうやって違う意見を持ちながらもお互いを認め合って友だちでいられるというのは素晴らしいことだと思いました。
さて、SEEは監督・脚本チームのコメンタリーのディスク1まで聴きました。
覚悟していたせいか、そんなに怒っちゃうような話はありませんでした。面白い話もいろいろあったし。
そんな中、私にとって一番重要だったのは、PJの木の鬚に対するコメントでした。あの「愉快で間抜けなクリーチャー説」の理由が明らかに・・・PJ曰く「トールキンがあまりにエントを神格化しているので茶化してみた」のだそうで・・・な、なるほど、確信犯だったわけですね・・・(汗)
なんでそんな風にしなければならなかったのはよくわかりませんが(汗)多分好みの問題なんでしょうね・・・
確かに木の鬚にはユーモラスな部分もあります。PJはその辺を強調した木の鬚のキャラクターにしたのでしょう。そして、エントの持つ深遠さ、去り行く種族の悲しみのようなものは取り去ってしまったのだと。
私が木の鬚の一番好きなところ・・・はホビットに優しいところなんですが(汗)その次に好きなのが、この深遠さ、去り行く種族の悲しさ、だったので、PJの木の鬚に馴染めないのはもう仕方ないことですね。どう考えたって平行線ですから(汗)
ただ、SEEの追加場面で、かなり私としても妥協できるような木の鬚になったように思うので、劇場版の時ほどの違和感はなくなりました。エント女の詩を読む場面、PJとしては「まずい詩を読むユーモラスなシーン」のつもりらしいですが(汗)、それでも原作の木の鬚の深遠さやエント女を失った悲しみが感じられるような場面になっているので。やっぱりSEEがあって良かったですね。
ホビット4人のインタビューは面白かったです。ショーン・アスティンがホビットについて色々言っていて、コメンタリー聞いたばかりなので「またか~(汗)」と言う感じでしたが(汗)イライジャ・ウッドの「サムの無邪気さは素敵だと思う」という発言に救われるような思いでした。
でも、そんなアスティンを他の3人がいなしたりしてる様子を見て、この人たち本当に仲がいいんだなあと思いました。そうやって違う意見を持ちながらもお互いを認め合って友だちでいられるというのは素晴らしいことだと思いました。
さて、SEEは監督・脚本チームのコメンタリーのディスク1まで聴きました。
覚悟していたせいか、そんなに怒っちゃうような話はありませんでした。面白い話もいろいろあったし。
そんな中、私にとって一番重要だったのは、PJの木の鬚に対するコメントでした。あの「愉快で間抜けなクリーチャー説」の理由が明らかに・・・PJ曰く「トールキンがあまりにエントを神格化しているので茶化してみた」のだそうで・・・な、なるほど、確信犯だったわけですね・・・(汗)
なんでそんな風にしなければならなかったのはよくわかりませんが(汗)多分好みの問題なんでしょうね・・・
確かに木の鬚にはユーモラスな部分もあります。PJはその辺を強調した木の鬚のキャラクターにしたのでしょう。そして、エントの持つ深遠さ、去り行く種族の悲しみのようなものは取り去ってしまったのだと。
私が木の鬚の一番好きなところ・・・はホビットに優しいところなんですが(汗)その次に好きなのが、この深遠さ、去り行く種族の悲しさ、だったので、PJの木の鬚に馴染めないのはもう仕方ないことですね。どう考えたって平行線ですから(汗)
ただ、SEEの追加場面で、かなり私としても妥協できるような木の鬚になったように思うので、劇場版の時ほどの違和感はなくなりました。エント女の詩を読む場面、PJとしては「まずい詩を読むユーモラスなシーン」のつもりらしいですが(汗)、それでも原作の木の鬚の深遠さやエント女を失った悲しみが感じられるような場面になっているので。やっぱりSEEがあって良かったですね。