ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

映画のサム克服できるかも・・・?

2003年09月05日 | 旧指輪日記

突然ですが、写真の圧縮の仕方わかりましたー。(多分・・・)という訳で今日は実験で一点写真を取り上げてみました。うーん、もうちょっと大きくてもいいかな?
ちなみにこれが噂の?ロンドンの2階建てバスのTTTのDVDの広告です。ちょっと見づらいですが、右端にはDVDのジャケットの絵がついてます。こういうのがたくさん走っていて、毎日何台もみかけました。東京もバスの全面広告になったりしたらいいのになあ。

さて、写真とは全くかかわりのない話題ですが(汗)この前、TTT映画の原作との違いをほぼ消化した、みたいなことを書いたのですが、その中でもサムについてはちょっと無理やり目をつぶっているような部分があります(汗)
が、ちょっと原作のサムについて考えていたところ、映画のサムにもRotKで妥協点を見出せそうな気がして来ました。
原作のサムがすごいのは、世界の運命や指輪を捨てる使命なんてよくわかっていなくて、ただフロドを助けるためだけに行動したということだと思っています。そのサムのシンプルで強い思いが結果として指輪を棄却するという重大な使命を果たさせることになるという物語の展開がすごい、と感動したものでした。
という訳で、指輪を捨てる使命をフロド以上に理解して正義感に燃えている映画のサムにはどうしても馴染めずにいます(汗)
ただ、RotKの展開を考えていて、ふと思ったことがあります。原作どおりの展開ならば、サムは一度は一人で指輪を捨てに行くことを決意しながらも、結局は指輪を捨てる使命よりもフロドを救うために引き返すことを選びます。もし、映画の、指輪を捨てる使命を充分に解っているサムが、それでもフロドを救うために戻るのならば、それはそれで心を打つ展開になるかもしれないな、と思いました。まあ、実際に映画でどのように描かれているかによっては、「やっぱりこんな偉そうなサムはいやだー!」となってしまうかもしれませんが(汗)
RotKの映画に対する心配は多々ありますが、(ギムリの出番が少なそうだとか(笑))どうか少しでも原作のサムから得た感動に近いものを(違っていてもいいから)与えてくれるサムになっていますように、と願わずにはいられません。

コメント
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