さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

世界遺産「スプリット市街」

2008-03-24 16:54:38 | 海外旅行
人口20万人、アドリア海沿岸では最大の町

□スプリットの歴史

スプリットは古い町で、歴史は約1700年前始まった。300年頃、有名な ローマ皇帝Diokletian(ディオクレティアヌス)が生まれ故郷スピリットに自分の引退後の住まいとなる宮殿を作った。ディオクレティアヌスはローマ帝国を大規模に改革して、その上303年以来行ったキリスト教徒迫害の皇帝として有名。
皇帝が亡くなった後、宮殿は荒廃してしまったが、615年頃より市民たちは厚い外壁に囲まれている宮殿の中へ定住した。それ以来、スプリットは段々発達した。14世紀から1797年まで ベネチアの領地。その後、オーストリア・ハンガリー帝国、続いて世界第一次大戦の後にユーゴスラビアの中のクロアチアの領域になった。
 ディオクレティアヌス宮殿全体は1979年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

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