ある日、ヒイちゃんの息子さんが、車に一杯のおしめ(大人用紙おむつ)を持ってやってきた。
「これ使ってくれますか?」
「もちろん、頂きます!」どんなものでも頂けるものなら、何でも貰うのが池さんの原則。その時使わないものでも、何かにいつか使えると思ってる。そんな貰いものが大頭の倉庫には山のようにあるわけで。付け加えておくと、ヒイちゃんはおしめは使っていない。
息子さんが言った。
「昨日、山の家(ヒイちゃんが住んでいた家)へ行って片付けていたら、昔じいさんが使っていた時のおしめが大量に押し入れに入っていました」と。
じいさんとは、ヒイちゃんの旦那さん。
旦那さんが病気で寝込み亡くなるまでの間、ヒイちゃんはこのおしめを旦那さんのために使っていた。
それほど昔ではない。
平成11年だったかな。ヒイちゃんの旦那さんが亡くなったのは。
ほんの少し前まで、ヒイちゃんは山で暮らし、寝込んだ旦那さんの世話をしていた。
旦那さんを見送り、双子の妹が急に亡くなり、ショックでヒイちゃんはボケ始めた。
けれども、それまでは確かに元気に山で生きていたのだ。
大きな2つの段ボールに入った大量のおしめ。
ヒイちゃんは、どんな思いで旦那さんのお世話をしていたのだろう。
小柄なヒイちゃんは、どんなふうに旦那さんにおしめをしてあげていたのだろう。
山で暮らしていたヒイちゃんは、おそらくヘルパーや介護保険のサービスなど使ってはいなかっただろう。
一人で、お世話をしていたに違いない。
ほんの何年か前のヒイちゃんの暮らしを想い、私はなんとも言えない感慨深い気持ちになる。
ヒイちゃんはおしめは使っていないが、中に入っていたフラットタイプのシートは、今ヒイちゃんが寝る時のラバーシーツ代わりに使っている。
息子さんが持ってきてくれたおしめ(シート)を手にするたびに、私は、
山で生きたヒイちゃんという人の歴史を心に感じ、私の知らないヒイちゃんを思い、
今、私の目の前で老いと共に生きるヒイちゃんという人に、
深い想いを感じるのだ。
大きくて深く、濃く、暖かい想いを。
私たちが毎日見るのは、老いてボケて一人で生きられなくなった人達。
でもどの人にも、溌剌とした若い時代があり、家族のために生きた時代があり、笑ったり泣いたりした時間があったということを、私たちは絶対に忘れてはならない。
深く濃く豊かな人生が、どの人にもあったということを心に刻んで、日々向き合っていかなければならないと思うのだ。
ヒイちゃんが旦那さんのために買った「おしめ」
月日の流れと人の歴史と、そして様々な想いを含んだかけがえのない「おしめ」