再生可能エネルギーの普及を (012.03.13.)
原子力利用に安全と言う言葉は有りません。石油や石炭等を燃やして得られるエネルギーは燃焼と言う化学反応によって、酸素と化合しその時に発熱する熱エネルギーを利用するもので、あるが、原子力の利用は、物質の元素を破壊し、その時に発する桁違いの膨大なエネルギーを利用しようとするもので、燃焼ではなく、核分裂によって発生させるエネルギーである。
その場合、やっかいなのは、エネルギーと同時に目に見えない放射性物質が発散する事である。その放射性物質が放つ放射線には、色んな種類があって、その放射能を人間が浴びる事に寄る健康被害が、現在世界中を騒がし、人類の生存そのものを脅かす大問題になって居るのである。
エネルギーだけを上手に取り出し、利用する事は願っても無い良い事であるが、同時に出てくる放射能による汚染の問題は、現在の近代科学を駆使しても、コントロール出来ないやっかい物なのである。
従って、原子力発電を行っても廃棄物の処理には今もって、世界中の国々がその捨て方や場所に戸惑っているのが現状である。
「エネルギーの利用」と言う人間にとっては「素晴らしいマンション」に相当する“天からの恵み”かも知れないが、同時に出てくる廃棄物の処理が出来ない様では、いずれは地球上が廃棄物だらけになってしまい、「トイレのないマンション」と言われる由縁になって居る事なのである。
ドイツやイタリアは今回の福島原子力発電事故で、国として原子力発電は行わない、と態度を明確にしているが、日本は今まで、国策として推進してきた国であるので、国民の気持ちとしては、「脱原発」を謳っているが、政府としては、原発輸出はやりたいようである。
廃棄物の処理が完全に行へる様になれば、まだしも、「メルトダウン」を起こした福島原発の処理は、炉心の冷温停止もまだ、完全に出来ず、今現在も大量の放射線汚染が続いている。
「除染!・除染!」と言っても、完全に消滅させるわけではありません、かき集めた汚染物は、これまた何処へ捨てるかが問題で、山積にされたままであります。
日本は「トイレの処理」が完全に行えるようになるまでは、「脱原発」を貫く姿勢を明確にすることが必要であり、国策として、再生可能エネルギーの普及に邁進する事が必要であると思います。
(えびなたろう)
原子力利用に安全と言う言葉は有りません。石油や石炭等を燃やして得られるエネルギーは燃焼と言う化学反応によって、酸素と化合しその時に発熱する熱エネルギーを利用するもので、あるが、原子力の利用は、物質の元素を破壊し、その時に発する桁違いの膨大なエネルギーを利用しようとするもので、燃焼ではなく、核分裂によって発生させるエネルギーである。
その場合、やっかいなのは、エネルギーと同時に目に見えない放射性物質が発散する事である。その放射性物質が放つ放射線には、色んな種類があって、その放射能を人間が浴びる事に寄る健康被害が、現在世界中を騒がし、人類の生存そのものを脅かす大問題になって居るのである。
エネルギーだけを上手に取り出し、利用する事は願っても無い良い事であるが、同時に出てくる放射能による汚染の問題は、現在の近代科学を駆使しても、コントロール出来ないやっかい物なのである。
従って、原子力発電を行っても廃棄物の処理には今もって、世界中の国々がその捨て方や場所に戸惑っているのが現状である。
「エネルギーの利用」と言う人間にとっては「素晴らしいマンション」に相当する“天からの恵み”かも知れないが、同時に出てくる廃棄物の処理が出来ない様では、いずれは地球上が廃棄物だらけになってしまい、「トイレのないマンション」と言われる由縁になって居る事なのである。
ドイツやイタリアは今回の福島原子力発電事故で、国として原子力発電は行わない、と態度を明確にしているが、日本は今まで、国策として推進してきた国であるので、国民の気持ちとしては、「脱原発」を謳っているが、政府としては、原発輸出はやりたいようである。
廃棄物の処理が完全に行へる様になれば、まだしも、「メルトダウン」を起こした福島原発の処理は、炉心の冷温停止もまだ、完全に出来ず、今現在も大量の放射線汚染が続いている。
「除染!・除染!」と言っても、完全に消滅させるわけではありません、かき集めた汚染物は、これまた何処へ捨てるかが問題で、山積にされたままであります。
日本は「トイレの処理」が完全に行えるようになるまでは、「脱原発」を貫く姿勢を明確にすることが必要であり、国策として、再生可能エネルギーの普及に邁進する事が必要であると思います。
(えびなたろう)