きまぐれ発言

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原発の再稼働に安全性の議論

2012-03-09 10:59:37 | Weblog
原発の再稼働に安全性の議論        (012.03.09.)

原発の再稼働に「安全性の確認が必要」と、言い出し、政府、保安院、地元自治体、が夫々、揺れている。結局どこが安全であると言う確認書を出すかで、もめている様である。それは何処の分野が、責任を持って、安全であると言う「確認書」が出せるかと言う事に尽きる。

結論から言えば、原子力の安全神話が崩壊した現在、原子力発電が安全であると言う事は最早、絶対に言えない事ではないでしょうか、各分野ともそれが分かっていて、責任逃れの為に、「安全確認書」と言うお墨付きを要求している。そしてそれが有れば再稼働に踏み込みましょうと言っている。

一番良いのは、原子力を使わない「脱原発」がベストだが、一方に電力不足による停電等の混乱を恐れて、再稼働したいと言う気持ちもある。従って、「脱原発派」の中でも、原子力に代わるエネルギ問題が確保されるまでは、やむなく、原発の再稼働を認める事もやむを得ないと言う意見であって、「減原発派」と言われる人である。

従って、再稼働に対しては、「原発には危険が存在し、100%安全とは言えないが、停電不安を起こさないで、完全原発なしの世の中にするまでの間は、最も安全性の高い原発は再稼働させましょう」と言っているのである。

従って再稼働の決断は、停電不安を起こさないための「危険を賭けた」行動であることを認識すべきである。もし、住民側が万が一つの危険も「嫌だ!」と言うのであれば、停電混乱は覚悟しなければなりません、其の事を明確にして、国が主導で、説明会を開き納得させれば良い事ではないでしょうか。

原発の安全性の判断は、専門家でないと解らない事で、政府や自治体では解りません、専門家の出す資料を信用するかしないかの違いで有って、決断は政府がやるよりしようがないでしょう。

専門家の出す資料と言うのは現在の所「保安院」と言う事になるが、今までの諸行が隠蔽体質で真実の公表をしない「保安院」では国民も信用しにくいのではないでしょうか。
その信用出来ない所が再稼働に向けて、「妥当!」と言っているから、益々、疑いが濃く思うのは当然の事であります。
むしろこの際、第三者の専門家集団(「原子ムラ」の人たちで無い集団)での審査データーの方が信頼できるのではないでしょうか。
自治体の首長も、住民も、決断の中心人物である枝野大臣も安全保安院をあまり信用してない様だから、揉めるのも当然のことかもしれない。
(えびなたろう)