きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

「計画停電」に付いて

2011-03-16 06:21:21 | Weblog
「計画停電」に付いて      (2011.03.16.)

今回の震災によって、今まで無かった、「計画停電」と言う、突然の停電が電力会社の供給能力の不足から、止むを得ず実施され国民生活に影響を与える事になった。

供給側の不足理由は、原子力発電の停止が大きな原因になっている事らしいが、止むを得ない事で、国民も国家の窮状に応えて、協力する事は、当然の事と受け止めている。

実施の方法は、地域別に五つのグループ分けして、最長3時間づつ停電させるものである。
この方法が、一番良いのかどうかは、分からないが、実施の一日目から、第一グループの停電が、中止になったり、暫くすると、実施の可能性がありますと言ったり、くるくる変わって、国民側は、「こりゃ一体どうなってるの?」と東京電力に振り回されている。

特に、交通機関に於ける、電車の運行が動くのか動かないのかが分からず、その情報が、間際にならないと分からないと言う不手際は、サラリーマンにとって、出勤も出来ず、仕事の計画も取れず、大混乱をきたしている。

確かに電力と言うものは、ストックする事が出来ず、使用に応じて電力量を調節する事が出来ない物だという事であるが、それにしても、国民大衆がそれに振り回されている事に、何か良いアイデアーが考えられないのでしょうか。

電車の運行も、交通量と時間帯に合わせて、間引き運転するとかすれば、利用者側も、それに合わせて、時間を調整するとか、休日にするとかが出来るが、ある区間だけ運転し、ある区間は運転中止となれば、利用者側は、全く動きが取れない。

利用者の実態を良く考えて、それに同調した「計画停電」を考えるべきだと思います。

東電側にしてみれば、電力が無いから止めます、有るから送電します、と自分側のご都合主義で進められると言う事は、「計画停電」と言ってもその“計画”は自分側だけの“計画”であって、利用者側の“計画”は何等考慮されていない。

この様な体質は、東京電力の体質とも言うべきもので、会社が大きすぎ、電力供給と言う公共的な業務は、利用者側に立った、きめ細かなサーヴィスなど考えた事は無いのではないでしょうか。

原子力発電にしても、危険性に対する意識感覚に、国民との距離感があり、平成14年に起きた「原子力不祥事」はデーター改ざんや、手続きの不備等で、国民の信頼を大きく失墜した前科がある。(本質は、不都合なデーターの隠蔽体質)

今回の福島原発事故も、対安全性の問題で、放射能問題だけでなく、「炉の冷却」と言う重要な工程に対する色んな角度からの想定を考慮に入れた安全対策が行われていて当然の事であると思う。“想定外であった”と言う言い訳は、想定不足であった事を先ず認めて反省するべきである。
(えびなたろう)