きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

“疑わしき”は罰せず

2011-03-06 09:09:36 | Weblog
“疑わしき”は罰せず       (2011.03.06.)

相撲の八百長疑惑に付いては、平成19年、講談社が発行する「週刊現代」で、10週連続で報じ、此れに対し北の湖理事長(当時)と力士32人が講談社を相手取り「名誉毀損」で賠償を請求する裁判があり、講談社は敗訴して、賠償金と記事の取り消し広告を掲載したと言う経緯がある。

また、その外にも、新潮社が貴乃花親方に訴えられた訴訟もあり、何れも、協会側が「八百長はない」を主張して、其れが通って、証拠がないと言う事で、協会側の言い分が通っている。

八百長が行われたか否かは、証言以外に立証する物がなく、マスコミ側にも、日本古来からある大相撲興行に八百長の無い筈が無いと踏んでおり、誰か証言者の声が出てくると、まともに受け入れて、その都度、協会と対立するのであるが、土壇場での証言がぐら付き、確証が得られぬまま、敗訴に繋がっていた。

今回の問題は、野球賭博問題からの延長で、力士から提出されていた携帯電話のメール解析から、相手力士との相撲の取り方に対する、生々しいやり取りが、メールの記録に証拠として残っていた事が発見されたからで、此れは将に、動かし難い証拠となる物である。
これも、IT技術の発展による、デジタル通信が、動かし難い証拠としてメールがハードディスクにチャンと残っていたからである。従来までの、口約束だけでは、「言った」「言わない」「聞いた」「聞かない」の水掛け論で、あるから、結局は、証言者の言質でしか判断出来ない。

従って、此れまででも、八百長があっただろうけど、関係者の証言が「遣ってません」の一言を最後まで言い続ければ、結局、証拠が取れないから、裁判では証明する物がなく、疑惑を持った方が負けと言う事になるのである。

勝負の審判、裁判の尋問等々にも、「可視化」が何よりも動かし難い証拠資料として残る事が全ての判断を正確に証明している。

相撲に付いては、日本古来からの伝統興行であるから、戦う力士は真剣勝負で戦う事が絶対条件であるが、それが八百長であるか無いかは、戦う力士を信頼する以外にはありません、従って、ビデオやテープ、携帯電話等々、チェックは厳しく遣る事は必要で、あるが、それに引っかかる様な、不正行為は、即厳罰で処すと言う事にして、あまりこの様な事に囚われず、切りを付けて、早く本来の、観客に興味を持って見てもらえる大相撲興行を行う事が第一ではないでしょうか。
(えびなたろう)