きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

失言内閣の行方は

2008-09-27 12:16:17 | Weblog
失言内閣の行方は       (008.09.27.)

麻生内閣の発足は華々しい演出の中で発足したが、行く末をあんじられるのが「失言問題」である。

早速、国土交通省担当大臣の中山成彬氏(中山恭子さんの旦那)の失言問題が起こっている。
成田空港反対闘争を「ごね得、戦後教育がわるかった」発言、「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になれる、だから大分県の学力は低い」発言、「日本は単一民族」との発言でアイヌ先住民族を刺激する発言等が持ち上がり、本人にとっては、良く解っていないのか周りからの忠告で、事の重大さに慌てて謝罪に転換、発言の撤回と弁明に努めている。

失言と言うのは、本来、普段から心のどこかに存在する物で、それがチョットした心の緩みから飛び出す物で、その人の本心と受け止められる部分でもある。

中山大臣は、大蔵官僚のエリートで、夫人の恭子さんは拉致問題担当大臣として有名である。夫婦とも、東京大学卒業し大蔵省に入省すると言う、人も羨む超エリートである。

従って、庶民の気持が何処まで解っている人なのか疑問である。ご夫婦とも立派な人で悪い人とは思わないが、何せ苦境に喘ぐ庶民の境遇を経験してないから、理解しろと言う方が無理なのかもしれないが。少なくとも一国の大臣になられた政治家として、国民の気持を逆なぜする様な発言は、厳に慎む必要がある。

麻生総理自身も失言の多い人で、子供の時から、庶民の窮状なんか経験した事のない人である。昔なら、失言があっても庶民には、不満を言う事は絶対に許されなかったが、今の時代は、一人の人間として、人権が平等に評価され尊重される時代だから、それだけ大臣と言えども、国民一人一人の人権を尊重する意識が要求されるのは当然である。

今回麻生内閣には二世議員やエリート議員が多い、その為か、特に「国民の目線」を強調して麻生総理も「国民本位」とか官僚には「省益でなく国益を」とか大臣には「官僚を使いこなせ」とかを述べられている。

それでも、「彼等の目線」が「国民の目線」と相当の格差があるところがまだまだ理解されていない様に思われる。

何時か大前研一氏の論文のなかで、日本の官僚は優秀だが大学を卒業してそのまま官僚の社会で過ごしているから、民間企業の経験がないそこが大きな欠陥だと言っている。
官僚の登竜門に、民間企業の経験者を採用する条件を設けてはどうだろうか。

特に大学を卒業した若いうちに、おおくの経験をさせ、体験の中から、学び取らせる研修が必要である。
歴史上でも大成をなした人は、人生の何処かで、辛酸を舐め、苦行の体験をした人が多い、それが人生の転機になって大成を成し遂げているのだ。

歳を取り年長になったら、経験から来る自分の哲学を大いに論じる事が必要である。
後期高齢者を邪魔もの扱いにする、いまの政治の有り方は、いずれ国を滅ぼす道に進んでいる事を悟るべきである。
(えびなたろう)