つれづれの記

日々の生活での印象

桜花に寄せて

2011年05月05日 20時06分52秒 | 日記
2011年5月5日(木) 桜花に寄せて


 東京の桜は、疾うに終わったが、目下、桜前線は、北東北辺りに、あるようだ。 思わぬ大震災に打ちひしがれている中にあって、TVで伝えられる、弘前公園の桜を観ていると、歴史的な城郭との対比もよく、穏やかに華やかに花を付ける、日本の自然の営みに、勇気を貰う思いである。
 先日、これもTVで、福島県三春町にある、見事な「三春滝桜」が紹介され、近隣の皆さんなどが、思い思いに楽しんでいる風景が、印象的であった。
 三春滝桜(町のHPより)
 この桜は、樹齢1000年位と言われ、他の、根尾谷薄墨桜(岐阜県 樹齢1500年)、山高神代桜(山梨県 樹齢1800年)と共に、国の天然記念物(後日、ミスに気付き、特別 を削除)に、揃って指定されており、これらは、日本三大桜、と讃えられている。 いずれも、実際に、間近で見たことが無いのは残念だが、今後、機会があれば、訪れてみたいものだ。
 日本古来の伝統的な桜の名木には、エドヒガン系が多い。これと、オオシマザクラとの交配により、江戸末期に生まれたという、ソメイヨシノの歴史は、まだ、100数十年程だ。今後、わが国の標準的な桜として、広く愛されていくことであろう。

 ソメイヨシノに先だって咲く、カワズザクラ(河津桜)は、赤みが強く鮮やかだ。 以前、発祥の地である、東伊豆の河津町を訪れたが、何と、雪が舞っている中で、花見をするという、偶然に恵まれた。
 現在の住まいの近くに、綾瀬川と、中川とを結ぶ、花畑運河がある。 1キロメートル程度の、短い人工河川だが、この川に架かっている、5つの橋、それぞれに、風流な名前が付いている。 順に
   月見橋、雪見橋、富士見橋、桜木橋、花見橋
である。日本の伝統的な美意識を表すと言われる、「雪月花」に、「富士」に「桜」と、大変、欲張ったネーミングである。富士見橋だけは、歩行者・自転車用の橋だが、他は、自動車が通る、立派な橋である。
 2年ほど前から、この中の雪見橋の、掛け替え工事が行われてきたが、この3月末に、竣工したばかりだ。工事中は、近くに、臨時の橋が掛けられ、結構、便利だったので、そのまま残ってくれたら、と思った位。
 この仮橋、そのまま残っていたら、名前に困ったかもしれない。第二雪見橋、では、味気ないので、青空橋、遊水橋 等は、どうかな?

 新しく出来た雪見橋の、橋の袂4か所に、ささやかな、植え込みが造られ、そこに、桜が、数本ずつ植えられている。 この桜の品種が、河津桜で、来春の、一足早い春の訪れが、待たれるところである。
 
  新装の雪見橋                    植え込みと桜
 
 花の名所は全国各地にある。 東京周辺で挙げれば、
   小金井公園
   靖国神社と千鳥が淵
   上野公園
   新宿御苑
などだろうか。 これらの場所は、子供の成長に合わせ、何度か訪れたり、職場の花見の場所取りに苦労した事、等もあり、それぞれに、思い出深いものがある。

 古来、花の名所と言えば、吉野山だが、筝曲に、「吉野山」という、宮城道雄の小曲がある。この2月の、邦楽のおさらい会で、この曲の演奏を聞いたが、以下の様な歌だ。
   吉野山 霞の奥は知らねども 見ゆるかぎりは 桜なりけり
 ここにある、“見ゆるかぎりは 桜なりけり” というのがいい。 調べて見ると、吉野山は、全山に桜が植えられていて、下千本、中千本、上千本、奥千本、といわれているようで、見渡す限りの春の風景が、彷彿として目に浮かんでくる。  
 吉野山の桜を、こよなく愛したと言われる、西行法師の、次の歌も忘れられない。
   願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃
果たして、願いが叶ったのかどうかは、詮索するのは、止めよう。

 先日、奈良の近くに住む知人に、吉野山の桜の事を聞いたら、ご本人もまだ行ったことが無いようで、是非、一緒に案内したい、と言われた。
 この知人には、数年前、東大寺二月堂のお水取りと、月が瀬梅林を、案内して貰ったことがある。月が瀬は、全山が味わいのある、日本一の梅林公園と言えるだろう。 昨年は、この知人が上京の折、建設途上の東京スカイツリーと、浅草仲見世を、案内したりした。
 もし、吉野山を訪ねるとしたら、足腰がなんとか利く、来春あたりだろうか。

 世界各国には、国花がある。中国はボタン、韓国はムクゲ、イギリスはバラ、スイスはエーデルワイス、などだ。日本では、国花という規定はないようだが、慣習的に、桜と菊、となっている。 桜は春、菊は秋と、それぞれに、味わいがあるのだが、やはり、より、心に響くのは、桜だろうか。
 バラなどと違って、桜は、個々の花というより、集合した、全体的な美しさが、素晴らしい、といえるだろう。 花より団子、という諺もあるのだが、花は花として愛しむ感性を、大事にしたいものである。

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学校での放射線被曝

2011年05月03日 12時04分41秒 | 日記
2011年5月3日(火) 学校での放射線被曝、


◎政府の内閣官房参与として、3月16日に任命されたばかりの、放射線安全学を専門とする、東大教授の小佐古氏が、先日、突然、辞任した。辞任の理由は
 ① 原発事故に対する政府の対応が、場当たり的である
 ② 学校での限界放射線量とした20mSvは、甘すぎて許容できない
という。

①については、何を言っているのか、良く分からない。政府筋も、国会等で、教授の発言について、抗議しているが、本人の真意は、違うところにあるようにも見受けられる。
 原発事故に対するこれまでの政府の対応は、決して万全とは思わない。 当初の爆発事故の深刻さや、事故レベルの再評価、緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)による影響予測など、危険な状況について、正確に公表してきた、とも思わない。でも、被曝量の安全基準の見直し、避難区域の見直しなど、未経験で、先が見えない事態の中で、時間に追われながら、原子力安全委員会などの助言も得つつ、関係機関と連携し、これまで進めてきた、と自分は、理解している。

②については、氏は、あくまでも、1mSv/年 以下とすべきだ、という意見のようだが、関係する専門家の間でも、意見の隔たりがあるのか、教授の意見は少数派だったようだ。
 国際放射線防護委員会(ICRP:International Comission on Radiological  Protection)の、勧告(2007年)では、一般人が、年間浴びても良い放射線量を、3つの範囲で指定している。
   緊急時 20~100mSv/年
   復旧時 1~20mSv/年
   平常時 1mSv/年 以下
 3月21日付で発表された、ICRPの、日本向けの声明の中でも、現在は、復旧時ととらえ、住民が住み続ける場合は、1~20mSvの範囲で検討する、という考え方が紹介されている。
 このようなことから、20mSv/年が、計画的避難の目安となっている。子供たちが学校で、屋外活動をする基準も、この数値から導かれ、1日の内、8時間は屋外、16時間は屋内(木造家屋)というモデルで、3.8μSv/時 とされた。小佐古氏の主張のように、1mSv/年とすると、同じモデルで、0.19μSv/時となる。
 ICRPでも、長期に亘る場合は、1mSv/年 になるのが望ましい、とされており、事故が終息に向かえば、数値は次第に小さくなると思われる。
 当面は、線量が高めな場合は、屋外活動時間を短くする、などとすれば良く、屋外活動による、心身のリフレッシュも重視するべきだろう。数値を小さくする程、安全性は高くなるのは自明だが、その分、子供たちの屋外活動が制限されてしまう、こととなる。

 小佐古氏は、辞任の会見の中で、20mSv/年の環境で、遊ばされる子どもたちは、可哀想だ、自分のヒューマニズムが許さない、などと言われているようだ。この数値が、10m、5m、1mSv/年等になったら、医学的に、どれ位の違いがあるというのだろうか。
 ICRP勧告作成にも関与された、日本アイソトープ協会常務理事の佐々木康人氏は、1~20mSv/年という数字なら、健康に全く問題はない、と話している。文科省が決めた数値が、如何にも問題があるように、思われてしまったのが残念だ。

 この国難と言える大事の時、多少の意見の違いはあっても、協調し合って、合意点を見つけて進めることこそ、大事と思う。
 放射線や原子力関係の専門家の間でも、見解の相違があるのは、当然のことで、小佐古氏の行動は、自分には、余りにも、独断的で、協調性がなく、敢えて言わせてもらえば、いわゆる学者先生の、子供っぽい行動に見える。学閥や、力関係なども絡んでいるのではないか。ご本人は、“ご意見は採用するので、辞めないで欲しい” と慰留される、と思ったのかもしれない。

◎文科省の数値が出るまで、校外活動を自粛していた郡山市の1校が、上述の基準を越えていたようだ。市では、早速、他の学校も含めて、グランドの表面の土を削って、新しい土を入れて、線量を低くしたようだ。
 所が、この削り取った土を、市のごみ集積場に集めようとしたら、それを知った近隣の住民が、強烈に反対したために、それもできず、元の学校のグランドの隅に積み上げて、シートをかぶせた状態にしていると言う。結局、グランドは使えないようだ。
 とんだ笑い話で、市では、削った土の処分法について、何とかしてくれと、文科省に泣きついているようだ。
市の担当部署としては、良かれと思ってやったのだろうが、捨てれば済むものではない、放射能の持続的な怖さについて、どの位分っていたのだろうか。削り取った土をどうするつもりだったのか、ゴミ集積場に集めるにあたって、周辺住民に話すつもりはなかったのか?

 放射能を含む、集めた土は、土中深く埋めることが考えられる。除染や、移送等に使った機材の処分等も同じだろう。これらは、放射性廃棄物となる。口蹄疫で処分した、家畜のようには、簡単には処理できないのだ。
 又、コンクリート製の倉庫の様な、外に放射線が出ない施設をつくって、そこに保管することが考えられる。青森県の六ヶ所村でも同じだが、この施設については、長期にわたった、厳重な安全管理が必要となる。

 放射性物質は、広く分散している方が、却って安全性は高い、とも言える。局所的に集中すると、その場所は、極度に危険性が高まる訳だ。
 本当に危険なら、学校を移す、しかないが、その前に、人間の生理的に備わった回復力に期待しながら、放射線量の強さに応じて、
   屋外活動時間をコントロールする、
   防護手段を身につける、
など、工夫しながら、付き合っていくことも必要であろう。




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ふたたびの 牡丹寿司

2011年05月01日 12時37分09秒 | 日記
2011年5月1日(日) ふたたびの 牡丹寿司


 未曾有の大震災で、気分は、滅入りがちだが、陽気も良くなり、大型連休を迎えて、上向きの雰囲気に、していかなくっちゃ!
屋上庭園で、見事に咲いた牡丹の花びらで、先日、家人が、寿司をつくってくれた。昨年の今頃、初めて、牡丹寿司なるものを賞味したのだが、今年もふたたび、その機会がやって来た、というもの。
牡丹の花

 採った花びらを、さっと湯がいて、甘酢に漬け、片や、酢飯の上に載せて、ちらし寿司に、片や、巻き寿司に、したものである。
 牡丹の花びらは、ほろ苦い味と、かすかな香りがするが、何といっても、色の取り合わせが、ご馳走だ。 赤と言うより、インクのマゼンタに近い赤紫色の、牡丹の花びらを広げた、ちらし寿司は、鮮やかで楽しい印象だ。
又、巻きずしは、牡丹の赤紫色と、卵焼きの黄色と、茹でたホウレンソウの緑色との、 対比が面白い。
 巻き寿司 と ちらし寿司
コメント (2)
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