何事も、数が多いか少ないかで決まる世の中。
本当にこれで良いのだろうか?。
一体、数が多いか少ないかは、何を基準に考えているのだろうか?。
選挙のたびに「一票の格差」が問題になる。
大都会の一票と、地方の一票が同じに扱われている。
これで良いのだろうか?。
大都会がどれほど地方(過疎地)の恩恵に浴しているか考えて欲しい。
私が住んでいる地域は、中間的な場所にある。
大都会でもないが地方でもない。
大都会に住む人たちは、食料や水・電力等、生活必需品の多くを地方(過疎地)に依存している。
しかし、大都会に住む人たちは、地方の為に何をしたであろうか?。
水源地の保全、農・林業の維持、・・・・。
いずれの問題にも、「知らぬ顔の半兵衛」である。
これが出来るのも、大都会に住む人間の数。
数に物を言わせて、自分達の主張を押し通す。
タイトルに書いた「数の暴力」である。
今の政治のやり方で行くと、「地方には住むな!」と言うのと同じである。
農・林・漁業の後継者がどんどん減ってきている。
このまま減り続ければ、やがては農・林・漁業をする人がいなくなってしまうのでは?。
「そうなったら、外国から輸入すればいい」と言う人もいるだろう。
一時的であれば、輸入でしのぐ事も出来るだろうが、輸入する為のお金はどうするのだろう?。
現在は安く手に入るものが多いが、これからは「そおは問屋が卸さない」と言いたい。
すでに、バイオ燃料の影響が出始めている。
そして、かつては穀物の輸出国だった中国が、今では輸入国になっているのである。
同じ様な国が、これからも出てくるだろう。
原油もまた然り。
簡単に輸入できない時代が来るだろう。
それよりも「水」はどうなるのだろう?。
水源地を守る人たちがいなくなった時、・・・・・・。
それが現実の問題になる頃には、私はこの世にいないであろう。
私が何をどうこうと言って見ても、大都会に住む人間の数の前では無力である。
この問題を取り上げる人は、極僅かである。
そして、仮に取り上げたとしても、大都会に住む人の数に押しつぶされ、何処かに消えてしまうのだ。
数の持つ力は、正しく使えば問題ないのだが、使い方を間違えると「数の暴力」になってしまう。
現代社会では、多くの場合「数の暴力」になっているように感じる。
確か、「民主主義の基本は、相手の話を聞く」ではなかっただろうか?。
「自己主張だけして、相手の話しを聞かない」と言う社会は、「民主主義国家」とは言えないのではでは?。
本当にこれで良いのだろうか?。
一体、数が多いか少ないかは、何を基準に考えているのだろうか?。
選挙のたびに「一票の格差」が問題になる。
大都会の一票と、地方の一票が同じに扱われている。
これで良いのだろうか?。
大都会がどれほど地方(過疎地)の恩恵に浴しているか考えて欲しい。
私が住んでいる地域は、中間的な場所にある。
大都会でもないが地方でもない。
大都会に住む人たちは、食料や水・電力等、生活必需品の多くを地方(過疎地)に依存している。
しかし、大都会に住む人たちは、地方の為に何をしたであろうか?。
水源地の保全、農・林業の維持、・・・・。
いずれの問題にも、「知らぬ顔の半兵衛」である。
これが出来るのも、大都会に住む人間の数。
数に物を言わせて、自分達の主張を押し通す。
タイトルに書いた「数の暴力」である。
今の政治のやり方で行くと、「地方には住むな!」と言うのと同じである。
農・林・漁業の後継者がどんどん減ってきている。
このまま減り続ければ、やがては農・林・漁業をする人がいなくなってしまうのでは?。
「そうなったら、外国から輸入すればいい」と言う人もいるだろう。
一時的であれば、輸入でしのぐ事も出来るだろうが、輸入する為のお金はどうするのだろう?。
現在は安く手に入るものが多いが、これからは「そおは問屋が卸さない」と言いたい。
すでに、バイオ燃料の影響が出始めている。
そして、かつては穀物の輸出国だった中国が、今では輸入国になっているのである。
同じ様な国が、これからも出てくるだろう。
原油もまた然り。
簡単に輸入できない時代が来るだろう。
それよりも「水」はどうなるのだろう?。
水源地を守る人たちがいなくなった時、・・・・・・。
それが現実の問題になる頃には、私はこの世にいないであろう。
私が何をどうこうと言って見ても、大都会に住む人間の数の前では無力である。
この問題を取り上げる人は、極僅かである。
そして、仮に取り上げたとしても、大都会に住む人の数に押しつぶされ、何処かに消えてしまうのだ。
数の持つ力は、正しく使えば問題ないのだが、使い方を間違えると「数の暴力」になってしまう。
現代社会では、多くの場合「数の暴力」になっているように感じる。
確か、「民主主義の基本は、相手の話を聞く」ではなかっただろうか?。
「自己主張だけして、相手の話しを聞かない」と言う社会は、「民主主義国家」とは言えないのではでは?。